夏の日の思い出3

半年間のリハビリを終えた俺は、ついに退院となった。
 長いようで短い時間を過ごしたこの病室とお別れかと思うと少し寂しくなる。
 ふかふかのベットや窓の景色、一人では広すぎる空間も、この部屋の全てが半年間、俺が居たという証だ。
 
「......さーん!」

長い感傷に浸って居た俺に外にいる守さんが俺を呼ぶ声が響いた。
 さすがに長く居過ぎたか、守さんの事だ、俺を心配して声を掛けてくれたのだろう、だがもう大丈夫だ。
 良し!

「はーい」

返事を返し殆ど何も入っていないバックを肩に掛けて病室の扉まで行くと病室に今までの感謝としてお辞儀をして半年間の我が家の扉を開き出ていった。

「......さん大丈夫ですか?」

「ええ、ちょっと感傷に浸ってただけですから」

「そうですか......ではお送りしますよ」

「ありがとうございます」

この病院に半年も居れば何処をどう歩けば何処に着くのかもう慣れたものだ、この病室からこの病院の玄関までの道のりももう記憶にある。
 病院の景色を改めて見ながら順調に歩いて行くと、声を掛けられた。

「あっ! ......じゃん、ここで何してんの?」

「陽太(ようた)か、そういえば言って無かったけ、今日で退院なんだよ俺」

「マジかよ、そういうのは前から言っとけよ! お別れ会出来ないじゃん」

「悪い悪い、でもお別れ会とか性に合わなくてな」

「お前なぁー」

まるで同い年の様に声を掛けてきたこの子供はこの病院で交流を持った人の一人、陽太だった。
 陽太は俺がリハビリ中に出会ったのが最初だった、最初は生意気な奴で会うたびに俺に嚙みついてきた、比喩的な意味で。
 そう、あれは俺がここにきて三か月経った頃、未だに慣れないリハビリに必死に頑張って居た時陽太は声を掛けてきた。

「ぐぬぬ! ぷはぁ! はぁ、はぁ、はぁ」

「おい! おっさん!」

「あぁ``! 俺はまだ二十代じゃ!」

「はっ! 俺からしたら十分おっさんだね!」

まさに、出会いは最悪だった、お互い口汚くお互いを罵り合った。
 そのあとお互い看護師さんにこっぴどく怒られたけど。
それからだった陽太が毎日のように俺にちょっかいを掛けてくるようになったのは。

「おい! おっさん!」

「おっ! ン``ン!」

危ない、また前みたいになるところだった。
 冷静になれ俺相手ははまだ子供だ例え生意気でも、まだ二十代の俺に対しておっさんと呼ぶのもまだ子供だからだ。
 それに対して俺はどうだ記憶は無くとも分別のある大人だからここは落ち着いて対応するんだ前回みたいに怒られるのはごめんだ。
 深呼吸をして目の前の陽太君に笑みを見せながら落ち着いた大人の対応を見せるのが正解だ。
 笑みは少し引き攣ったが。

「いいかい陽太君、俺はまだ二十代でおっさんでは無いのだよ、これで二度目だが俺は大人だ今回は許すから次からはお兄さんと」

「いやだね、おっさん」

「そ、そうか、まぁいいさ。まだまだ時間はあるしこれから直していければ」

「これからもおっさんて呼び続けるね」

「......」

落ち着け! 俺! 俺は大人、俺は大人、俺は大人。
 まるで自己暗示のように自分は大人だと唱えなければ前みたいに口汚くなってしまう。
 落ち着け、もう一度深呼吸だそして笑顔。
 良し、もう一度説得だ。

「陽太君......この!......」

ダメだった、何故か感情を抑えられず、またケンカしてしまった。
 そして例のごとくまた叱られた。
 はぁ、何故あんな子供の言う事が気になるのだろう。
 今でも、驚いている、見ず知らずの子供にちょっかいを掛けられただけで、あんなに感情を表に出すなんて、俺はどうかしてしまったのだろうか。
 と、言う事を守さんに相談した。

「なるほど、それは少しだけ嬉し事ですね」

「えっ、俺が怒られることがですか」

ショックだ、まさか俺が怒られている事を聞いて笑みを浮かべている守さん。
 俺のことを心配しているかと思ったらまさか笑われるなんて。
 まさかそういう人なのか......いや違う守さんはそんな人じゃない、きっと別の意味だ。

「違いますよ。......さんが感情を表に出してくれた事がですよ」

「そ、そうですか」

ホッとした、そうだよな守さんが誰かを傷付けるような言動を取るわけがない。
 僅かでも疑った俺を許してください守さん、そして神様。

「あの、どうかしました」

「え?」

「いや、教会で懺悔をしているような祈りのポーズを取っていたので」

「あっ! いや気にしないでください! 少し自分の浅慮を懺悔していただけなので」

「そ、そうですか」

僅かに苦笑を浮かべている守さん、ちょっと気持ち悪かったな今のは。
 そういえばなんの話をしに来たんだったかな?  あっ! そうだそうだ、今日の出来事と俺の感情の話だ。
話を本筋に戻すために、一つ咳ばらいをし話を再開するため聞き返した。

「俺の感情が出ることが嬉しい、でしたっけ、俺って通常そんな感情が表に出てないですか?」

「まぁ、そういう事では無いんですがね、ですが......さんは私や他の年上の方には何処か遠慮がちな対応をするでしょ、ここには......さんと同世代の方は少ないですし他の同世代は看護師でしょうがそれでも遠慮がちな傾向なんですよ」

「なるほど」

確かに言われてみればそうだ、言われてみればそうかもしれない。
 俺は守さんやその他の俺より年上の人にはあまり感情を出していない気がする、だけど今日はあの陽太君には守さんには出したことも無い感情を出した。
 それは、なぜだろう?。

「守さん、それじゃあ何故俺は、陽太君にあんな過剰に感情を表に出したんでしょう?」

「もしかすれば、......さんは陽太君と同じ様な精神状態だったからではないでしょか」

「同じような精神状態?」

それは、あの子供と同じ精神構造だと言う事か、いや記憶を失っているとは言え精神年齢まで逆行するなんてあり得るのか。
 自分の過去は思い出せないがそれ以外なら思い出せる、社会常識とか色々、いや自分の過去を思い出せないからかだから。
 そう考え込んでいると、守さんは察した様に笑みを深めると俺の名前を呼び考え事の世界から現実に呼び戻すと話を続けた。

「......さん、貴方は自分の過去を失った、それは自分の生きた証を失ったと考えられます。それはもう何もしらない赤ん坊と同じ様な状態です。貴方が今も理性的でいられるのは社会常識などを覚えている影響だと思いますが、それでも今の貴方の精神年齢は陽太君と同じような年齢と言えます」

「なるほど、まだ覚えている社会常識に感謝ですね」
 
その話は俺が軽い冗談で言って終わった。
 会話を終えるとその晩はベッドで転がりながら守さんの言葉を考えていた。
 確かに陽太君と会ったときは何というか共感の様なものを覚えた気がする、波長が合うというか、詳しい言葉で言えば、そう、いい友達になれそうだ、と言う事だ。
 彼とケンカをしたとき怒りもあったが嬉しさも合ったのは確かだ、そういう思いに気付くと少しだけ明日のリハビリが楽しみになってきた、今度は揶揄われたときケンカ腰ではなく優しく会話できるように言葉を考えておこう。

「よう!、おっさん」

翌朝、いつものリハビリに励んでいる俺の前に陽太君が現れた。
 いつもの言葉から始まり俺が言い返す所から口喧嘩は始まる、だが今の俺は違う昨日の守さんとの話によって、自分の心を見つめることが出来た。
 故に、今の俺には怒りよりむしろ、爽やかな気持ちが広がっている、彼とは年齢こそ違うが友達になれそうな気がするからだ。

「なぁ!、おっさん! 聞いてんかよ」

「んっ? ああ、聞いてるよ、なんだい陽太君」

「あ? なんか気味悪いな、おっさん」

「そうかい? 俺としてはそうは思ってないんだが」

それから、色々と何かにつけては俺の事をおっさんと呼んでくる陽太君の口撃は続いた。
 だが俺は爽やかスマイルと爽やかな会話で全てを交わした。
 最終的には、陽太君は悔しそうな表情を取るとそのまま何処かへ消えてしまった。
 まだ心の距離は遠いと思うがそれでも会話を重ねれば距離は縮まるはず、そう考えれば俄然やる気が出ていた。
 次の日、リハビリ中今度も陽太君は俺にちょっかいを掛けてきた。
 
「なんだよ、その歩き方、変な歩き方だなおっさん」

「そう......か......俺と......しては......頑張ってる......方......なんだが......な」

だが今回も俺が会話を受け流し、陽太君はまたも悔しそうな顔を取るとどこかへ消えていった。
 またまた翌朝、陽太君は現れたが今回も会話を受け流した。
 次の日も、また次の日も、そのまた次の日も毎日、ちょっかいは続いたが全てを受け流したある日、俺はそろそろ頃合いだと思い心の距離を一気に縮める為にこちらから会話を仕掛けた。

「やぁ! 陽太君!」

「な、なんだよ! おっさん!」

「いや何、そろそろ、俺にちょっかいを掛ける理由を聞こうと思ってね」

「はっ! 何聞かれても答えないね!」

「三十五回」

「はぁ?」

「この数字は君が俺にちょっかいを掛けてきた数だよ、不思議だ、ただの悪戯小僧でもここまでの執着は見せない、陽太君、君のことは聞いたよ、君俺みたいなリハビリ患者達にもこうしたちょっかいを掛けてきたんだってね」

「......それがなんだよ」

「で、俺は理由を考えた、なんでリハビリ患者にちょっかいをかけるのか、それでこの病院で一番患者の情報を知ってる人に聞いたんだが、君、事故に遭ったんだって?」

「......」

陽太君は何も答えない、何故ならこれが核心だから、彼がリハビリ患者達に対してちょっかいをかける理由の。
 俺は話を続ける。

「それで俺の知り合いの人はこう言ってた。君は事故に遭った後は、リハビリを頑張ったそうじゃないか、何ヶ月もただひたすらに」

「......」

「でもダメだった、事故であった後遺症で君は、足がまともに動かなくなった、歩く事は出来てもとても走れる様な状態にはどれだけリハビリを頑張っても一生ならないと知った、その時君は」

「もういい!」

聞いたことの無い様な声を陽太君は響かせた。
 これが彼の行動理由、守さんが言うには彼は走る事が大好きなただの小学生だったらしい、だが事故にあい、大好きな走る事を失った。
 リハビリすれば必ず走れる様になると医者と親に言われた彼は、リハビリを頑張り続けた、だがある時聞いてしまった、彼の足はもうまともに走る事ができないと。
 それを知った彼の心中は察するに余りある、彼は信じた人に裏切られたと感じただろう、好きな事が出来ないと絶望感に苛まれただろう。
 子供が受けるには辛すぎる現実だ。
 
「みんなバカなんだよ! どうせこんなの頑張ったって何にもならないのにさ! 意味が無いんだよこんなの! だから俺は!」

「邪魔をした?」

「ああ、そうだよ! リハビリを頑張っている奴を、見ると無性に腹が立った! 無駄なのに! 無意味なのに! なんでそんなに頑張れるんだよ!」

涙を流しながら発したそれは彼の心の叫びだった。
 全てに裏切られた様な気分にさせられた彼は、周りに八つ当たりをしていた。
 自分のやらせない気持ちを誰かにぶつけないと自分の心がどうにかなってしまいそうだったから。
 だから俺は黙って話を聞いていた。
 彼の叫びの全てを聞いた後で俺は全てを知った後言いたかった言葉を吐く。

「君に起きた事は確かに途轍もない不幸だ。でもね君はまだマシな方だと思うよ?」

「なんだと!」

彼は俺を睨みつけて来た、今にも掴みかかりそうな勢いで。
 そりゃそうか、でも俺の言った事は本当だ、何故なら此処にいるから彼以上に不幸な奴が。

「俺さ、記憶が無いんだ」

「え?」

「君と同じ様に事故に遭って自分の過去の記憶全部吹っ飛んだんだよ。社会常識はあっても、自分の家族も、家も、初恋も全部消えた。それでもリハビリを頑張りたいのは足掻きたいからかな?」

「あがく?」

「そう、たとえリハビリを頑張っても走れる様になるでも記憶が戻るわけでも無い。でもリハビリを続けるのはここで辞めたら負けた気分になる、だからさ、勝ちたいのさ、諦めされる自分に」

「諦めさせる自分に勝つ......」

「そう、ふー、俺からの話は終わりだ、俺はこれからもリハビリを続ける、これからもちょっかいをかけるなら別にいいよ、でも次からはおっさんって呼ぶのはやめてくれよ? じゃ!」

「待って!」

「?」

歩き出した俺を引き止める陽太君、彼は下を向きながら表情が見えない。
 何も言わずに一分経ち、首を傾げていると、陽太君はいきなり顔を思いっきり顔を上げた。

「おっさんって呼ばせたくなかったら、あんたの名前教えろよ!」

「っ!」

顔を真っ赤にして恥ずかしそうに聞いてる彼の言葉に俺は、一拍反応が遅れて俺は自分の名前を教えたのだった。

「俺の名前は......」

それから暫くして、彼はリハビリ中の俺に声をかけて来た。
 今度はおっさんではなくちゃんと俺の名前を呼び、辛辣な言葉ではなくちゃんとした会話をした。
 途中からは敬語だった俺の口調もまるで友達と話す様なタメ口になっていた。
 これが俺と陽太は友達になった経緯だ。

「懐かしいな」

「んっ? 何が?」

「いや、陽太と俺が出会ったばかりの時を思い出してた」

「そんなの思い出すなよ、こっちが恥ずかしいだろ!」

「なんだよ、照れてるのか、まぁ仕方ないかまだ子供だもんな」

「あっ! こら! やめろよ! 頭撫でるな!」

「へへ!」

あぁ、やっぱり寂しいな、記憶が無くなって今の俺が始まった時からいた病院、時間が経った分だけ大切な思い出がここにはある。
 寂しいけど、それでも前に進まないとな。
 よし、悲しい事は考えず楽しい事を考えていこう!。

「フッ、じゃあ陽太! これが一生のさよならってわけじゃ無いけど、楽しかったぜ! また会おうな」

「フン! 寂しくは無いけど、元気でな!」

「ああ、そっちこそ!」

互いに握手を交わし、別れる。
お互いの背中がゆっくりと着実に離れていく、後ろで何かを啜っている音が聞こえるが、聞こえない振りをしよう、俺達は笑顔で別れたんだ、ならそう言う事にしておいた方がいい。
 だろ陽太。

「寂しくなりますね」

「そうですね、守さん」

少しだけ間が開くとお互いに笑顔を浮かべ握手をする。

「それでは、......さん、お元気で!」

「守さんこそ健康にお気を付けて下さいね」

「ええ」

交わしていた手を解くと、俺は自然に呼ばれていたタクシーの側までよると守さんへと振り返り。

「お世話になりました!」

深くお辞儀をしてタクシーに乗り込んだ。

第3部 完


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