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長編小説『エンドウォーカー・ワン』第15話

 それより季節は巡り、旧サウストリア領には春が訪れていた。
 戦火を逃れた街では国樹であるサクラの花が咲き誇り、人々の目を楽しませている。

「レックス見て。みんなお花見してるよー」

 ベージュの軽乗用車から顔を出していた小麦色肌の女性がブロンドのショートヘアを靡かせながら運転手の青年に言う。
 春日を受けて煌めくアメシストの瞳には流れ行く景色が映っていた。

「……」

 しかし彼は青い顔でハンドルにしがみついたまま何も返そうとはしない。
 虚ろな瞳は忙しなく動き回り、顔には汗が浮かんでいた。

「そんなに緊張しなくても。運転なんてみんなフツーにしているんだし、すぐ慣れるって!」

 女性は朗らかに笑うと、レックスの思いなど露知らずといった様子で肩を平手でバンバンと叩く。

「うるせぇ! 先月ようやく免許取ったばかりなんだよ、触るんじゃねえ!」
「はいはい。もう少しだから頑張ってねー」

 小麦色の女性はケタケタと笑い座席に戻るとシートベルトを着けなおした。
 ただでさえ豊満な胸元にベルトが食い込んでそれを更に強調させる。
 強い圧迫感を覚えた彼女は自分の胸元と、レックスの顔に視線を行き来させ、僅かに頬を紅潮させて「……えっち」と細い声で呟いた。

「見てねぇ!」

 狭い車内では終始そのようなやり取りが行われ、目的地に着く頃には低かった陽は高々と昇りきっていた。

「長時間移動の次は物資運搬かよ。こんな作業、民間にやらせておけばいいだろ……」

 吹き付ける外気にレックスが誰に言うでもなく悪態をついた。
 近隣の工場で借用した土木作業用WAWが荒れた道路を一歩一歩踏みしめるように進んでいく。
 機体のバックパックユニットには生活用品が満載され、孤立した集落へと送り届けられる予定だ。

「こーら、ウチも表向きは民間企業なんだから文句言わない」
「フォリシア、そうは言うがなぁ」
「じゃあ、何? すぐにでも彼と戦いたかった?」
「そういう訳じゃ……」

 あの日「ハンドラー」に投げかけられたこの惑星の災厄との戦い。
 そこに彼は非日常なスリルを感じ、自らもまたその境遇に陶酔していた。
 惨めたらしい生活から外れ、苛烈な戦場を駆け回れると思っていたのだ。
 だが、現実は雑用ばかりで目立った作戦行動はここ数か月の間行われていない。

「彼がテロリストとはいえ、戦闘なんてそうそう起きる訳じゃないよ。特にノーストリア占領下にある今はね」
「じゃあ、なんでオレたちは集められた?」
「来たる日の為に、じゃないかな」

 さらっと言ってのける彼女にレックスはぞくりと身を震わせる。
 彼が入隊するよりも遥か以前に実施された大規模作戦。
 ただ一人を残して壊滅した部隊の当時を知る彼女らの口から出た言葉は何よりも冷たかった。
 まるで次は自分の番だと悟っているようで、レックスにはそれがどこか他人事のように感じられる。

「0時方向っ」

 レックスが独りで言葉を濁していると、息つく暇なく彼女の鋭い一声が飛び込んでくる。
 彼は条件反射でレーダーを確認しようとしたが民生の作業機体にそのような贅沢品が付いている訳もなく、前方を凝視すると野道の中央に人影が確認できた。
 レックスは作業服の胸ポケットから単眼鏡を取り出して覗き込む。
 ほんの僅かに灰色がかかった衣にベールを被り、先端に煌びやかな装飾の付いた棒状のものを携えている。

「女……?」

 服の上からでも分かるなだらかなボディラインとベールから流れ出る白銀の線。
 集落が近いとはいえ、山道をこのような格好の女性が一人で歩いているのは些か不自然だ。
 その女性は目元を覆っていたベールから目を覗かせ、赤い瞳でレックスたちを見上げる。
 それで何かの合点がいったのだろうか。棒を杖代わりにして彼らの元へとゆっくりと歩み寄ってくる。

「警戒したほうがいいか?」
「さあ……だけど注意して。彼女、普通の人間じゃない」

 彼らが搭乗するWAWも少しずつ歩みを進め、灰色の女性との距離を詰めていく。

「はじめまして。この村にどのような御用でしょうか」

 互いの顔が視認できるほどまでに近づくと、硝子の楽器で奏でられたかのような透明感のある声色が響いた。
 透き通った中ではあるが、警戒の色を濃くしており瑞々しい唇はきつく真一文字に結ばれている。
 レックスはシートベルトを外して操縦席から飛び降り「レックス・モートンだ。オレたちはノーストリア政府の要請を受け、生活物資の運搬をしている。村はこの先なのか?」と矢継ぎ早に繰り出した。
 その女性はほんの一瞬だけ呆けたような顔を覗かせたが、脱げかけていたベールを慌てて直すと咳払いをして「この先です。ご案内いたします」と背を向けて歩き出す。

「ふーん……キミ、ああいう子が好みなんだ?」

 レックスの耳にフォリシアの粘着質な声が飛び込んでくる。

「なんでそうなる。頭の中沸いているのか?」
「まぁーた照れちゃって。すごい綺麗な声の人だったじゃない」
「そうかもしれないけどな、まだ前の彼女のこと忘れられねぇんだ」
「これだから男の子は。気持ち切り替えていこうよ。その彼女さんも今頃新しい彼氏作ってるかもよ」

 彼の事情を知らぬフォリシアがグイグイと押してくるが、操縦席に戻ったレックスはベルトを締め直すと「あいつはもう死んだよ」と黄色い声に冷や水を叩きつける。

「えっ、あの……その、ごめんね」
「いいんだ。もう慣れた」

 レックスは淡々とそう返してスロットルを倒し、WAWを前進させる。
 「慣れた」など嘘だ。
 恋人との思い出は今や彼の傷痕となり、耐え難い悲しみに襲われることも少なくはない。
 喪った記憶はまるで昨日のように。
 残された者たちはそれから目を背けずに今日を生き、前へと進まなければならない。
 レックスの胸の内はベルハルト・トロイヤードへの復讐と、これ以上の戦火拡大を食い止めるという使命感で溢れていたはずだった。

「そうやってお前はまたオレを困らせるんだな」

 目を僅かに潤ませる彼の呟きは誰に届くことなく、午後のうららかな日差しの中に消えていくのだった。


  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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