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甘い蜜の王国 森茉莉

過ぎ去りし頁を求めて
~文学と私~

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【森茉莉編 甘い蜜の王国】

 森鴎外という作家をご存じの方は多いだろうか。

 『舞姫』という作品は高校の国語の教科書に載る古典の名作なので、普段本をあまり読まない人でも名前だけは聞いた事のある作家かと思う。

 実は『横浜市歌』の詞もこの明治の文豪の作品の一つなのである。

 鴎外には4人(正確には5人だが、一人は早くに亡くなった)の子供たちがいて、文学や医療の発展に従事してきた父の背中を見て育った為なのかそれぞれの経歴を見ると随筆家になった方もいれば、やはり医者となった人もいる。

 今回は作家になった長女・茉莉の話をしたいと思う。


 まず彼女の作品について語る時に知っておくのは、茉莉がどれだけ父・鴎外を尊敬し、また深く愛していたか…という事である。

 茉莉の幼少の頃の最初の記憶は、父の膝の上に乗り背中を撫でられながら、

「お茉莉は上等、目も鼻も髪も上等、性質も善い子だ」

 と繰り返し唱えられた事だ、とエッセイに書いてある。

 意外にも鴎外は明治・大正の日本にはまだなかなか居なかったタイプの、

『優しいパッパ(茉莉たち家族は鴎外をこう呼んでいた)』

 だったのだ。読むまで私は波平さんみたいな頑固おやじを想像していた。

 また、茉莉は当時珍しかった西洋の文化に触れて育った。

 幼少期のエピソードを読むと、

「絵に描いたようなお嬢様の日常だ…」

 と、その都度思う。

 彼女の愉しい思い出には、“資生堂パーラーのアイスクリーム曹達ソーダ“や”精養軒の料理“などが傍らにあったそうな。

 やがて17歳の娘になった茉莉は結婚し、フランスへと渡った夫の後に花の都・巴里パリへと向かう。

 その時期の事が描かれたエッセイを私は何回も読んだ程、当時の様子や少女のようだった若奥さんの茉莉が少し大人になっていく様が繊細な筆致で書かれていた。

 森茉莉は、この巴里で過ごした青春を、

『最後の、楽しい幼年時代』

 と振り返っている。

 西洋の旅の帰りの船で、最愛の父の訃報を受け取ったのだ。

 その後日本に帰ると2度の離婚や戦争による疎開など…今まで美しい世界に生きていた彼女には“苦い季節“がやってきた。

 そこから這い上がる決心をしたのは戦後、“書けないなりに書いてみよう”とペンをとった時であった。

 晩年はお世辞にも綺麗とは言えないアパートで、また家事も不得意だった為に掃除好きな作家の先輩が訪ねて来たとき一晩眠れずに過ごしたほどの一部屋に暮らしていたそう。

 だが…それでも茉莉は戦後の目まぐるしく変わりゆく世の中にあっても変わらず『美の世界』を追求し続けた。


 彼女の作風は、メジャーなものではない。

 また世界情勢や社会問題に切り込んだものが流行した(これは現代も一緒かも知れぬ)当時の文壇においては異端だったらしい。

 テーマ一つとっても、

『父に溺愛された美貌の令嬢が次々美青年を破滅に突き落とす(彼女は男を一目見ただけで虜にする力がある)』

 …だったり、

『富豪の青年と寵愛されている美少年の恋愛が粗野な男の介入によって破滅の道へと向かう(現代ならボーイズラブのジャンルに分けられるだろう)』

 と、どちらかというと時代が今なら受け入れられたかもしれない物語が多い。

 ここから先は余談になるが。

 先述の本の主人公は今の漫画・アニメの“乙女ゲーム”の主人公や、昨今流行している“悪役令嬢”のひな型だと個人的に思う。

 ファン・フィクションの話になるので書こうか迷ったが、ドリーム小説と呼ばれる恋愛小説のヒロインによくある特徴を挙げていくとこの本の主人公・モイラの、

『相手の男が彼女を見た時に感ずる“魔力”』

 が妙にニアミスしているのである。

 まぁモイラも、言ってしまえば無自覚美少女の類ではあるが…似て非なるものだろう。


 森茉莉の作品やエッセイというのは、句読点の打ち方が独特だったり現代ではカタカナ表記の固有名詞が漢字で書かれていたり(バターが“牛酪バタ”だったりする)…と、海外製のお菓子のように初心者にはとっつきにくい上に作風もかなり好みが別れる作家である。

 それでも私は森茉莉を一番好きな作家に挙げている。

 彼女の文章からは、優雅でありながらも何処か“美”というものを蔑ろにする現代への反骨精神に近いものを感じるのだ。

 私個人の話になるが、読むものでも美しい物語を読む。

 頑なに現代のシニカルな文章に手を出さないのには、

「誰がこのんで、灰色の醜い世界を見たいだろう」

 という正直な感情も入っている。

 まぁこの辺は人それぞれだが…恐らく、今は私の方がマイノリティに分類されるだろう。

 森茉莉の美の世界には、“曇り硝子”の視線だけが選び取ったただ“綺麗“な物語がある。

『美しさに、思想などあってたまるか』

 という太宰治の「女生徒」の言葉と、

『美しいものは強者であり、醜いものは弱者だった』

 という谷崎潤一郎の短編・「刺青」の冒頭の数行に通ずる非情かつ何処か真理を突いた感覚センスの世界だと思う。

(谷崎の方は、現代でこんな事を書くとモンダイになりそうだが…ルックスの事を言っている訳ではないと感じる。気のせいだろうか)


 いつだったか、森茉莉が亡くなった時の新聞記事の画像をネットで見かけた事がある。

『孤独な晩年』

 と書かれていたが。

 彼女は老年になっても二回り年下の読者の女の子と同年代の友達さながら交流し、作家仲間からは『茉莉さん、茉莉さん』と慕われていたようである。

 記者は、一体どこに目をつけていたのであろうか。

 私には、

「生きているうちにやりたい事をやったから、大好きなパッパの膝の上へ帰っただけ」

 だと感じるが……。




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