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「京都に来たら行きたかったお店があるんです。全部私のおごりなので気にしないでください」

 そう言いながら唯は京都の商店街を歩いた。

 千歳
「そのお金はどこから出たものですか?」

 
「捕まえた人が、これで飲んで忘れてくださいって言ってました。素直に呑もうと思います」

 千歳
「いいですね、盛大にやりましょう」

 
「地元ではそれなりに格式の高いところらしいので、覚悟してくださいね」

 そうして千歳は唯のゆったりとした歩調に合わせて歩いた。

 そういえば、今日は素早く移動してばかりだ。

 クラスメイトの夏休み兼修学旅行は始まったばかりだが、千歳と唯の休みはたった今始まったのだ。

 千歳にとっては日常だが、唯にとっては散々な一日だったはずだ。

 23歳という大人なのだから、お酒を飲んで忘れるという作戦が使える。

 そういえば、先生も似たようなことをやっていたな、と千歳は思い出した。

 まあ、一仕事終えたら自分へのご褒美をあげるぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。

 千歳
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」

 
「いいんです。刺激的な夜ですもの。みんな結局はいい人たちでしたし、16歳になったらバイクを盗んで走るのが昔の人たちじゃないですか」

 千歳
「いったいいつの時代の話なのやら。それで、行きたい場所はあとどのくらいで着きますか?」

 
「もうすぐです……はい、ここがそうですね」

 確かに、京都にありそうな隠れ家的なバーだ。

 バーに入ると、マスターが一人、客が数人いた。

 庶民の店ではないな、と千歳は思った。

 なんだ、唯もこういうところに興味があるんだな。

 唯がカウンター席の一番奥に座ると、隣に千歳が座った。

 
「千歳さんは何を飲みますか?」

 千歳
「お湯の水割りをおロックで」

 
「マスター、彼にアルコール度数3パーセントになるようにカクテル作ってあげて」

 マスター
「いやだね、酒の味が分かるようになってから出直せ。ソフトドリンクにしときな。お嬢さんは何がいい?」

 
「じゃあ、ジントニックで」

 マスター
「かしこまりました」

 マスターは酒を調合しはじめた。

 千歳は、緊張を表情に出していた。

 こういう空気は苦手らしい。

 
「私の秘密をもう一つお伝えしますね」

 千歳
「なんでしょう?」

 
「お酒が入ると、神様と距離が近づくのでしょうか、普段は見えないものが見えてくるんです」

 千歳
「超能力ですか。否定はしませんが」

 
「言ったじゃないですか。私は千歳さんの心の錦を信じるって。千歳さんはいい人だって、この目で確かめたいんです」

 千歳
「そうですか」

 千歳は少し緊張したが、何を考えたのかこんなことを言い始めた。

 千歳
「自分はいい人だと思いますよ。やることはえげつないですけど、謎の組織の人は支えてくれますし、妹との暮らしを守るための今の組織に身を投じています。そこまで悪い動機で普段やってることをやっているわけではないと思いますが」

 
「だからこそ、千歳さんの心に罪がないかどうか、私の特別な力で証明してあげたいんです」

 千歳
「そうですか、じゃあ、念のため、ね。誰だって罪を一つや二つ犯しているものですから」

 
「じゃあ、誰か悪い人がいても、千歳さんは石を投げたりできませんね」

 千歳
「なんですか、その話?」

 
「聖書の一節です。罪人が裁かれ人々から石を投げられそうなとき、聖なる人が現れて、心にやましいものがない人だけが彼を心の底から憎みなさい、と言ったのです」

 千歳
「そっか。俺が誰も憎まないのは、心が真っ黒だから、かな?」

 
「そうかもしれませんね」

 そうして、唯の前にお酒が登場した。

 唯はそれに口をつけて、飲み干した。

 
「ふふっ、こんなに楽しいお酒はいつぶりでしょう? 千歳さんと飲んでいるからでしょうか?」

 千歳
「そうだとしたら光栄ですね」

 お酒は飲んだが、まだ酔いは回っていないようだ。

 しばらく唯は千歳と他愛のない会話を楽しんだ。

 千歳たちの世代は、お金がある世帯はテレビゲームを遊んで楽しいらしいが、唯や千歳のようにお金がない人はソーシャルゲームを遊んでお茶を濁すのが精いっぱいだ。

 だから、こうやって雑談をすることが最高の娯楽になる。

 唯が話す内容はこの前行ったケーキ屋さんがどうとか、喫茶店がどうとかの話が中心だった。

 なんというか、いかにも女性らしいな、という語り口調が続いてゆく。

 千歳は、組織の話をするわけにはいかないので、話の種が一切ない状態で、唯の話を聞いているだけだった。

 素敵な時間だったが、次第に唯の意識がぽうっと柔らかになったとき、唯はこんな動作を始めた。

 千歳の顔を、じっと見たのだ。

 その視線は千歳の右上、上、左上へと移り変わった。

 
「一つ、二つ、三つ……」

 千歳
「……」

 
「四つ……」

 このあたりから唯の表情が青ざめ始めた。

 四つといったとき、唯の視線は千歳の左下を見ていた。

 そして……右下へ……。

 
「五つ……」

 そして、千歳の胸元へ。

 
「六つ……そんな、ああ、神様」

 なぜだか唯は胸の前で十字を切るのだった。

 千歳
「どうしたんですか?」

 
「千歳さんは、いい人なんですか? 悪い人なんですか?」

 千歳
「どうしたんですか急に」

 
「あの……答えにくいのですが、千歳さんの心の錦を見ることはできませんでした。でも、千歳さんが心に鍵をかけているのが見えました。鍵の数は全部で六つ。一つや二つは誰にでもあります。これが三つに増えてくると罪人に、人を殺してしまうよな人間になると五つになると言われています。でも、千歳さんは六つ」

 唯はここから先、あまり口を開きたくなさそうだった。

 どうやら、千歳に喋りたくないらしい。

 千歳
「大丈夫です、話したくないなら、話さなくても」

 
「一つだけ、確認させてください。千歳さんはいい人なんですか?」

 千歳
「わかりません。謎の組織で少し悪いことをやっているのは確かです。でも、組織の偉い人からは暴力だめ、人殺しはダメ、と言われ続けて、それを守っています。自分でもよくわかりません。暮らしていくために罪人になりましたが、唯さんは天国を信じていますか?」

 
「はい、信じています」

 唯の目に曇りはなかった。

 千歳
「自分のような人間が、罪を重ねて生きて、天国へ行けるのかどうか、不安ではあります」

 
「違います。大切なのは精神です。行いではありません。人間は生きていくために仕方なく悪いことをしてしまうこともあります。だから、天国に行けるかどうかを判断するときに、大切なのは精神の方です。私は千歳さんの心が穢れているとは思いません」

 千歳
「そうですか、それはありがとうございます」

 
「ごめんなさい、酔いがさめてしまいました。軽いお酒ではだめですね。でも、明日から観光ですし、二日酔いはよくないですね。今日はここまでにしましょうか。宿に戻ります」

 千歳
「そうですか、おやすみなさい」

 千歳は、この時ふとスマホで時刻を見た。

 それは、魔法使いの魔法が解けて城からシンデレラが逃げ出してしまう、12時ちょうどだった。

 いつかは見破られるだろうと思っていたが、唯は正体を見破っても逃げなかった。

 それほど、悪い状態ではないのかもしれない。

 嘘で築いてきたクラスメイトとの信頼関係は今、ようやく機能し始めたのかもしれない。


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