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Happily ever after.

Happily ever after.

あいいろのうさぎ

 人の記憶を喰らう時、俺はその記憶の味と共に人生を見る。その味は何とも形容しがたい。一つの感情だけでは生きていけない人の生には、様々な味が詰まっているからだ。

 ただ、今日の人間の記憶の味を一言で表すならば、「甘い」が適切だろう。スイーツのように甘く、甘すぎて、甘ったるい。

 初めは苦しみの苦さに涙のような塩辛さが混じった、「甘い」とは正反対の記憶だった。涙を飲む幼少期。両親の別れ。シングルマザーになって仕事に励むようになり、疲れ切って帰ってくる母。そのうち余裕もなくなり、冷たくなった母との関係に「私が悪いんだ」と自分を責める日々。

 こういう記憶も今ではそう珍しくなくなってきたが、やはり眺めていて気持ちの良いものではない。

 ただ、その先が凄まじかった。

 生涯を添い遂げることになる男との出会い。そこで一気に味が変わる。恋をした甘酸っぱさ。けれど、直後に襲ってくる喉に詰まるような諦観。自分を責め続けた彼女には、「誰かと付き合うこと」それ自体が高望みのように感じられた。しかし、その価値観を変えたのもまた、その男だった。少し零れてしまった自責の念に、男は言った。「それは間違ってる」と。最初は受け入れられなかった。彼女にとっては十数年間信じ続けてきた価値観だ。いきなり否定できるわけもない。だから話した。どんなに自分を責めてきたのか。どれだけ自分が迷惑な存在か。そして話していて気がついた。どこにも自分が信じてきた価値観を正しいものだと証明する根拠がないことに。

 その時の記憶の味は爽快感に溢れていた。炭酸のように弾ける驚き、ミントのようにスーっと通る晴れ晴れとした感情の匂い。

 この時は呑気に『良かったな』などと思っていたが、直後に襲ってくる甘さの激流。「彼のことが好き」それだけで頭がいっぱいになっていった。

 しかもそれがほとんど死ぬまで続く。

 愛しの彼と結婚してからなんてのは『まだ甘くなるのか』と驚きを禁じ得ないほどの甘さだった。キャラメルとキャンディとホワイトチョコレートを煮詰めたんじゃないかと思った。正直、よく飲み込めたな、と思う。「今日もかっこいいわ」とか「優しくて素敵」とか『お前それ昨日も言ってなかった?』ってことを毎日繰り返す。育った環境の冷たさからすれば『家族の温かさを知れて良かったな』という感想も抱くが、ただの捕食者からすれば『いい加減やめてくれ』と文句を言いたくもなる。

 ただ、その甘ったるさも最後の最後、ほんの一瞬だけ涙の塩辛さに変わった。

 愛しの彼は、彼女が亡くなる数年前に亡くなってしまったから。

 彼女は最後の数年間を娘たちと共に過ごし、自宅で主人と同じように亡くなる。

 記憶の旅が終わり、俺は少しだけあの甘ったるさが恋しくなった。


あとがき

 目を通してくださってありがとうございます。あいいろのうさぎと申します。以後お見知りおきを。

 「Happily ever after.」つまり、めでたしめでたしという意味のタイトルがついたこの作品のお題は「スイーツ」です。スイーツと言えば「甘い」。甘い思い出。そこで記憶を実際に食べてしまう種族がいたら面白いのではないかとこの作品を執筆しました。楽しんでいただけていれば幸いです。

 またお目にかかれることを願っています。




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