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 千歳が仕事をするようになってから6月になった。

 空は雨模様が多くなり、特別支援学級の生徒も体調を崩して休むことが多くなってきた。

 千歳は大丈夫だが、今日のクラスは篝が休みだったりする。

 今日は金曜日、次の月曜日が祝日なので仮想空間は本日メンテナンス。

 千歳たちの仕事も存在しないのが現状なのでいいタイミングで体調崩したな、と千歳は思った。

 とはいえ、せっかくお休みなんだから体調万全で遊びたいのが篝の本音だろう。

 授業風景では6月の仕事スケジュールが発表されていた。

 先生
「少し前から6月にも祝日ができましたね。先生が子供のころは6月というのは祝日がない地獄の日々でした。皆さんは祝日があって本当にいいですね。まあ、嫉妬していますよ、確実にね」

 先生は相変わらず思ったことを言うな、と千歳は思うが、雨模様激しく外出もはかどらない状態では祝日を与えられても微妙な気分と言わざるを得ない。

 先生
「それから、皆さんに悲しいお知らせもあります。7月から通常であれば夏休みがありますが、今年から夏休みもありません。皆さんには土日完全休日で通常通り労働してもらいます」

 四季
「はいはい、そうですか」

 
「仕方ないですね」

 
「……」

 
「だるいなー」

 先生
「とは言っても、学校自体はお休みなので午後4時までなら何をしても平気です。デバイスさえ持ち歩けばどこでも仕事はできるので、皆さん好きに時間を過ごしてください」

 
「だってさ」

 四季
「ひょっとして、修学旅行もない感じですか?」

 先生
「その通りです。なので、先生としては皆さんには旅行先で仕事をすることをお勧めしたいですね。京都の宿とか安いところは安いですし、皆さんには給料が渡されています。どうです、旅するようにお仕事するとか」

 千歳
「魅力的ですね」

 先生
「京都までは新幹線使えば1時間とちょっとでいけますからね。どうです、1週間くらい宿泊して仕事しながら観光してみては? 修学旅行じゃないから先生の監視もありませんし、好きに動き回れますよ」

 千歳は思った。

 修学旅行が日程として消えたから、先生は先生なりに自主性を育むための教育を自分たちにしているのだな、と。

 アイディアとして悪い話ではないのだが、高校生相手に自力で旅行の日程を作って旅をしろというのもなかなかチャレンジングな話ではあるな、とも思った。

 先生
「というわけで、今日から仮想空間で放課後を設けて自由に会話する時間を作ってあげましょう。まあ、何の時間にするのかは皆さんの自由です。それでは、今日はここまで」

 そうして朝のホームルームが終わり、午前の授業、午後の授業が終わり、放課後の仕事が終わり、先生の言った通り特別支援学校の面々が自由に会話をする時間が設けられた。

 
「じゃあ、どっか遊びに行きたい人いる?」

 
「そうですね、修学旅行がないのはさみしいですし、ぜひ皆さんとどこかへ行きたいですね。お金もあることですし」

 四季
「賛成。そういえば体育祭もないし文化祭もないしね。自力でイベント作らないとやってけないよ」

 
「うん、そう思う」

 
「京都行くなら舞鶴だよねー。外せないなー」

 千歳は静かに過ごしたいので乗り気ではないのだが、メンバーがそう言うなら従わざるを得ないだろう。

 あとで物部に休暇を申請するほかないな。

 金の心配は一切ない。

 実のところ千歳は闇バイトで貯金が口座に数えられないほどある。

 タンス預金は棚が一つ埋まった段階で数えるのをやめた。

 
「じゃあ、宿は私が予約するので、皆さんはどこへ行きたいのか考えておいてください。場所は京都駅周辺で大丈夫ですか?」

 
「大丈夫でしょうか? それはお高くなってしまうのではないでしょうか?」

 
「ああ、それはね、私が上級国民だからお友達同士なら勝手に泊まっていい宿とかあるんだ。だからお金は心配しなくてもいいよ」

 なかなかえげつない話だな、と千歳は思った。

 それはさておき、仕事終わりに7月の夏休みの自主的修学旅行の予定は立っていくのだった。

 とはいえ、女の子が大半を占める会議で具体的な日程が決まるはずもなく、ひたすらダラダラして終了というすごい旅行予定が完成したのだった。

 千歳としてはまあ、こんなものかな、と思って自分は自由時間にぶらり旅をするかな、と考えるのだった。

 
「そういえばさ、千歳君妹さんと二人暮らしだよね?」

 千歳
「そうだけど?」

 
「せっかくだから妹さんも一緒しない? 一人で家に残してきちゃうといろいろと不安だと思うから」

 千歳
「あー、それか」

 謎の組織に頼んで面倒は見てもらおうと思ったが、クラスメイトがそう言ってくれるのであればそのほうが助かるな。

 千歳は思わぬところで助けられたのだった。

 7月の旅行の予定が立て終わったのは午後11時、終わらないガールズトークに付き合わされて千歳はそれなりに疲れた。

 まあ、みんなでワイワイが好きなタイプでもないしな。

 そう思って千歳は簡単な夕食を食べると床に就くのだった。


 次の日の朝。

 組織の構成員が千歳を迎えに来た。

 どうやら仕事とは別に会わせたい人物がいるらしい。

 なんでも、千歳の仕事のことを直接会って感謝したいとのことだった。

 千歳は車に乗ると都内の喫茶店まで案内された。

 林檎
「こんにちは、君が千歳君だね」

 それは4月に桜の展示会を仮想空間で演出した芸術家の林檎先生だった。

 千歳
「おや、こんなところへ何しに?」

 林檎
「いや、仕事がひと段落したからね。お礼にと思って」

 千歳
「お礼なんてそんな。お金は支払われているじゃないですか。それで十分ですよ」

 林檎
「ははは、若い奴が言いそうなことだな。おじさんが子供のころは気の合わないやつとは徹底的につるむなと言われたが、そんな世の中とっくに限界を迎えてる。こうして直接お礼を言うのも悪いことだとは思わんぞ?」

 千歳は内心うざいな、こいつと思ったが、まあ、おじさんなんてこんなものだろう。

 林檎
「君が入場ゲートを通してくれたおかげで、ネットに俺の作品をアップできた。あれができなかったら多くの人が俺の作品を見ることができなかっただろうに。君には本当に感謝しているよ」

 千歳
「そうですか」

 林檎
「君は芸術には価値があるものだと思うかい?」

 千歳
「まあ、それなりには」

 林檎
「昔は、芸術品を見ることができるのは一部の貴族だけだったんだ。それが、美術館ができてネットができて多くの人が見ることができるようになった。芸術は貴族のものから大衆のものへと変わっていった。だから価値があると俺は思っている。それなのに俺の雇い主ときたら、入場者限定公開にしやがるからな。君らの組織にお願いして無断でアップロードさせてもらったというわけだ。本当に助かった」

 千歳にはよくわからない話だ。

 とはいえ、千歳のところに仕事が下りてきた理由がこれなのだろう。

 林檎さんには林檎さんの信念があり、千歳はそれを手伝った。

 林檎
「ところで、君は普段どんな芸術を鑑賞するんだい?」

 千歳
「まあ、同人音楽とか。動画共有サイトで無料なんで」

 林檎
「はははは、これはまたとがった趣味をしているなあ。俺も昔は同人で活動してた。でもま、同人と商業に区別はないなんて言われて久しいからな。安心したまえ、君が聞いてる音楽だってどこかにスポンサーがいて流してもらってるんだ。無料だからって引け目を感じないでガンガン聴けばいい。元より芸術は大衆のためにあるのだから」

 林檎さんも随分と尖った思想の持ち主だな、と千歳は思った。

 千歳
「それにしてもいいんですか? 無料でばらまいたところでお金にならないじゃないですか。さっき林檎さんが言った理論で言うなら、林檎さんに支払いは一切ないですし、むしろ損失を出している。それでいいんですか?」

 林檎
「やれやれ、結局は頭の固い少年だな、優等生でも。いいかい、1+1=2はお金の世界では通用しないんだ。どれだけ働いても貧しさから抜け出せない人もいるし、少し努力しただけで運に恵まれて大成功する人もいる。権力者とずぶずぶの関係で金が無限にわいてくる人もいる。金に数学は通用しないんだよ」

 千歳
「それは、どの本を読んだらわかりますか?」

 林檎
「さあね、よくわからんが、行動心理経済学あたりを読んでみたらいいんじゃないか?」

 千歳
「今度読んでみます」

 林檎
「君は、現実主義者か?」

 千歳
「さあ、少なくとも夢想家ではないと思います。芸術家は夢の世界を描いているみたいで、夢想家じゃないと務まらないと思うので、林檎さんからしてみたら自分はひたすら現実主義者のように映ってしまうかもしれませんが」

 林檎
「どうだろうな、君が夢かもしれないぞ。俺も、子供のころはただのサラリーマンに憧れていた。一度普通の会社に入って仕事をしてみたけど、受け入れてもらえなくて、それから運命のいたずらが何度も起きて芸術家の道に堕ちたのさ。君みたいに真面目に働く姿こそ、俺にとっては理想の姿だよ」

 千歳
「そうですか」

 林檎
「だから自分が見ている光景が現実だなんて思わないほうがいい。君が見ている現実は、誰かにとっては夢の世界なんだから」

 千歳
「そうかもしれませんね」

 確かに、何が現実かなんて誰にも分らない。

 千歳は自分がやっていることが正しいかどうかの確証も持てない。

 ただ生きていくのに必死なだけだが、それも見方を変えればたくましく生きているしたたかな姿であると言えなくもない。

 とはいえな、人間にはどうあがいても弱い心という器官が存在する。

 いくら林檎さんが千歳のことをほめたところで、千歳にそれを受け入れる準備がなければ空振りに終わる。

 だから、千歳は皮肉交じりにこういうのだった。

 千歳
「林檎さんもただの現実の住人だと今では感じています。しっかりと自分の考えを持っていますし、世間に流されたりしない。むしろ何も考えないで流されるままに生きている人たちのほうが幻想であるように思います。昨日は学友たちと一緒に京都へ行こうと放談にふけっていましたが、話は何もまとまらず無限に脱線する。実にくだらないものでした。ああいう人たちこそ幻想の住人にふさわしいと思っています」

 林檎
「そうか。いや、堅実な考えだとは思うけどね、君はだいぶ大人のようだ。俺なんかよりはるかにね。やれやれ、最近の若いもんは成長が速すぎてかなわない。もっと、子供のままでもいいんだぞ」

 千歳
「いいえ、早く大人になりたいですね、自分は。大人になることでしか生きていく方法がないので」

 林檎
「そうか……脱法組織なんかに身を置いているからとんだ不良かと思ったらこんな優等生とは。世知辛いねえ。君は平凡な学生よりも優等生のほうがよっぽど辛い思いをしている、と知らないのかい?」

 千歳
「辛い思いならすでにいくらでもしています。これ以上にないくらいにね。それで、結局林檎さんは何が言いたいんですか? 自分に対して何か言いたいことがありそうですね、はっきりと言っていただいても問題ないですよ、そのほうが自分もやりやすいです」

 林檎
「じゃあ、いうがね、君は大人すぎる。俺は今でも芸術なんてやってる子供だ。人間の本来の姿はどちらだと思う?」

 そういわれて千歳は何となくわかった。

 千歳
「人の本来の姿は、子供でしょね。それに異論はありません。確かに、不自然なのは自分のほうだ」

 林檎
「そうだとも、現実こそ幻、人の夢こそ真実、この心を忘れないでほしいね、今の若い人たちには」

 話はそれで終わった。

 千歳は、ただただ強者の理論だな、と感じただけでそれ以上の感情は抱かなかった。

 とはいえ、千歳にも今やりたいことはある。

 それはクラスメイトと素敵な毎日を過ごすこと、そして百々との暮らしを守ってゆくこと。

 それは確かに現状でもできていることなのだ。

 だから千歳は何不自由ない生活を送ってはいるのだ。

 仮想空間ではクラスメイトが楽しそうにおしゃべりして、百々とは平穏に暮らせている。

 だから、林檎がいくら理想論を唱えたところで、千歳は欲しいものをすでにすべて持っている。

 今のままでもそれなりに幸せだ。

 喫茶店の会計は林檎が全て済ませた。

 帰路に就いた千歳は老人の話は長いなあ、相変わらず、と思って自宅の玄関のドアを開いた。

 この少しごたごたしているが何でもない日常が続いていくこと、それが千歳の一番の願望だ。

 女の子同士のまとまりのない話は男の身からしてみると退屈だが、まあ、それも仕方ないな、と思いつつ、千歳は今日一日を終えるのだった。

 また、クラスメイトと会うのが楽しみだし、特別支援学級でいくセルフ修学旅行も楽しみだ。

 何も悩みはない。

 千歳はそう自分に言い聞かせた。



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