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 次の日千歳は目を覚ました。

 天井は予算を限界まで削ったのか、学校で見るあの天井と同じだ。

 あの天井を生産している会社はいったいどこなのか千歳にはわからないが、世の中、全ての天井があの世界観だよな、と思った。

 千歳はしばらくぼんやりしていたが、隣で誰かの声が聞こえた。

 
「おはよう」

 千歳は隣の声を梓のものと認識して声のしたほうに目線をやる。

 
「目が覚めたね」

 千歳
「結構早くに来るじゃん。今何時?」

 
「11時。結構深く眠ってたね、千歳君」

 千歳
「梓さんが来たのは何時ごろ??」

 
「9時ぐらい」

 千歳
「2時間何してたの?」

 
「千歳君の顔を眺めてた」

 千歳
「あっそ」

 
「苦しそうだった。千歳君の寝顔」

 千歳
「そうかもね」

 
「どんな夢を見ていたの?」

 千歳
「泥棒が家に入ってきて、俺の棚から金を持って行こうとする夢を頻繁に見る。これが地味にきついんだよな」

 
「確かに、千歳君を一番苦しめそうな夢だね。でも、夢に出てくる泥棒は案外吉夢だったりするよ。千歳君が執着しているものを持ち去ってくれる存在みたい」

 千歳
「言えてる。これ持論だけど、お金は稼ぐより使うほうが難しいよ。いろいろと気にしないでお金使えたら楽しいんだろうけどね。世の中が不況になれば不況になるほどお金の稼ぎ方の詐欺は増えるけど、お金を使って楽しく過ごそうみたいな話は出てこないしなあ」

 
「さすが詐欺師。人の心理をちゃんとつかんでるね」

 千歳
「今の俺の悩みでもある」

 梓はここで一呼吸置いた。

 そろそろ前置きはこの辺にしたいようだ。

 
「あのさ、傷の具合どう?」

 千歳
「防弾繊維入りのシャツを着てたから、全然平気。少し骨を痛めた感じであるけど、500円の牛乳を飲んでたらカルシウムをたくさん補給できてすぐに回復するよ」

 
「そっか」

 千歳
「今は俺の体より世間の動きが気になるかな? ニュースはどう?」

 
「警察がいろいろと捜査してるけど、私たちの足取りは追えてないみたい。もちろん、千歳君が戦った相手の足取りもね」

 千歳
「わかった。ところで、持ってきてほしいって頼んだもの持ってきた?」

 
「どうぞ、これ」

 梓は千歳にVRゴーグルを渡した。

 千歳
「これで情報の海にアクセスできる。体はボロボロで体力が尽きてても脳は動くからね。体が不自由でも知能は普通の人と変わらない」

 
「嫌味じゃん、それ。千歳君は普通の人よりはるかに知能が高いくせに」

 千歳
「今の揚げ足取りはいらないかな? まあいいや。学校あるでしょ? 俺のことはもういいから、行っておいで」

 
「わかった」

 千歳は仕事を始めた。

 まずはネットニュースから。

 確かに議員を襲撃したニュースが報道されているが、議員は警察に保護されていてマスコミはアクセスできていない。

 断片的な情報から様々な推測をする人たちの書き込みが溢れかえるが、それらはゴミ情報だ。

 見ていても仕方がない。

 千歳はそういったゴミ情報に見切りをつけて、犯罪者や警察がよく利用するディープウェブへのアクセスを開始した。

 専用の回線を開いて千歳が日本からアクセスしている痕跡を消す。

 そして、ディープウェブの扉は仮想現実上でただの文字列となって姿を現すのだった。

 が、そこで誰かが待っていた。

 物部
「おはよう千歳君」

 仮想空間上だがディープウェブにはアバターなんてものはない。

 ただの文字が出力されるだけで、物部にアバターはない。

 が、物部は自分のメッセージに物部と入力していたので判別することができた。

 千歳は自分の文字列に千歳と入力して物部に自分が来たことを伝える。

 千歳
「おはようございます。昨日は痛い思いをしましたね」

 物部
「そうかそうか。無事で何よりだ。僕が若かったころは暴力事件もそこそこあったからね。いいお知らせではないけど、通過儀礼を千歳君は果たしたわけだ。そしてケガも軽微。今はそれを祝おうじゃないか」

 千歳
「せっかくですが、事件の調査が先決です。今出ている情報を教えてもらっていいですか?」

 物部
「せっかちだね。まあいいや、千歳君が撃たれたことで相手の銃弾の痕跡を見つけることができた。銃弾についている傷からどの銃から発射されたか追跡できる。それを任せても問題ないかな?」

 千歳
「わかりました」

 千歳は物部から銃弾の痕跡のデータを受け取った。

 そして、一部の人間しか知らない裏社会での銃の商店へ問い合わせをかけた。

 日本で銃を販売している裏組織は数少ないのですぐに解析結果が送られてきた。

 結果、該当する銃なしと報告が返ってきた。

 が、これは裏を返せば記録に残らない銃を使っていることの動かない証拠だ。

 どうやら、銃は秘密裏に製造されて表社会からどころか裏社会からも姿を消しているゴーストガンのようだった。

 千歳は結果を物部に報告する。

 千歳
「物部さん。該当する銃は見つかりませんでした。よって、ゴーストガンだと思われます。物部さんは密造銃を製造販売している組織をご存じですか?」

 物部
「もちろん知っているとも。とはいえ、10年に一度取引する程度だけどね。一部の人間しか知らないブラックマーケットの中でも重要機密だよ。アメリカのほうではそうでもないみたいだけどね」

 千歳
「該当する会社は何社ありますか?」

 物部
「日本で密造銃を扱っている会社は一社しかない。だから、そこで銃を調達したことは容易に想像できる。とはいえ、千歳君が面と向かって情報をくれと言ってもくれないだろうね。私の顔が必要になる。少し待っていてくれ。条件次第では教えてくれるはずだ」

 千歳
「わかりました。待ってます」

 千歳はしばらく待機していた。

 が、情報はすぐに下りてきた。

 物部
「お待たせ。ブラックマーケットでの販売履歴だよ。僕はまだ中身を見てないけど、解析は千歳君がやってくれ。私は事後処理で少し忙しいのでね。とはいえ、密造銃は大量に取引されているわけじゃないから情報量はそこまで多くないかな?」

 千歳
「助かります」

 千歳は情報をあさり始めた。

 ディープウェブはただの文字列で表示されるため、分量にして小説1冊分程度の取引履歴の文字列が送られてきた。

 取引されている銃としてはやはり拳銃が多い。

 購入者は物部のような裏組織の人間だらけ。

 ごく限られた組織に対して銃を販売している痕跡が見受けられた。

 が、ひとつだけ、気になる会社が取引をしている記録が残っていた。

 その会社は、千歳が警備する仮想現実の親会社だった。

 記録によると販売した拳銃の数は10丁、装弾数10発。

 先日盗まれた弾丸の数は500発。

 予備の弾丸を考えると拳銃10丁に対して500発は妥当な数字だ。

 そして千歳たちが戦った連中は10人程度。

 この一致が偶然とは思えない。

 千歳は物部に連絡を入れる。

 千歳
「突き止めました。どうやら銃を購入したのは本田詠子を支援していた大企業のようです。どうしてこんなことをするのでしょうね?」

 物部はしばらく沈黙していたが、千歳を諭すようにこう言ったのだった。

 物部
「面白いね、政策を唱えている政治家を暗殺して、法案の注目度を一気に上げる作戦じゃないか。まあ、近年の政治のやり方ではあるよね」

 千歳
「どういうことですか?」

 物部
「汚い政治のやり口だよ。昔から英雄を戦死させて兵士たちを奮い立たせる作戦っていうのがあってね、バラバラになってしまった国民の心を一方向へ向かわせるよくある手だ。今回は本田の支援者が本田を亡き者にして、法案を一気に通して、本田亡き後は自分たちが政治をコントロールする気だったんだろう。まあ、千歳君には少し早い話かな?」

 千歳
「いいえ、何となくわかる気がします」

 物部
「そうか。千歳君も大人じゃないか。じゃあ、今回の事件で誰かが撃たれただろうと言われているけど、そのことについては誰も興味を示していない、とも付け加えようかな?」

 千歳
「何が言いたいのでしょうか?」

 物部
「千歳君の命が世間から軽く見られている、ということさ。本田さんは助かったのでめでたしめでたし。ところがその陰で誰かが撃たれてひどい目に合っている。でもそのことをメディアはあまり取り上げないし、誰も注目していない。これって世間からしてみたら千歳君の命は軽いと言うことじゃないかな?」

 千歳
「そんなものでしょう。人の命の重さは誰だって違います。重要な人間もいれば、雑に扱われる人間もいる。それが世の中の真実でしょう。別にそのことを気にしたりはしません」

 物部が何かを書き込んでいることがテキストから見て取れるが、途中で物部は何度か消して、それから書いて、また消してを繰り返した。

 いったい何を千歳に伝えたいのかはよくわからないが、きっと慎重なやり取りをしているのだろう。

 千歳自身も今言ったことが世界の真実だと胸を張って言えるわけではない。

 歪みに歪んだ社会が同調圧力で千歳にそう言わせているだけだと、千歳自身も気づいている。

 が、表向きは誰もがみな平等、議員が撃たれようが、一般市民が撃たれようが、はたまた犯罪者が撃たれようが同じ悲しみを誰もが味わう、それが表向き。

 しかし、現実はそうではない。

 物部はこれ以上何も言わなくなった。

 少なくとも、今の動きから物部が千歳を大切に思っていることはそれなりに伝わってくる。

 大衆の理解よりも隣人からの理解のほうが利便性が高いし小回りが利く。

 千歳はそう思って物部にメッセージを返す。

 千歳
「いろいろありますが、自分の命は無事ですし、今回の事件で誰も死んでいません。そのことを今は喜ぶべきだと思います」

 物部
「いろいろあるけど、おおむねそうだね」

 文字列だけだが、千歳は物部が何かを言いたそうなのは理解できた。

 千歳の言う命の不平等は悪徳だが、物部の言いたいことであろう命の平等は徳だ。

 物部は千歳に正義ではなく徳を理解させようとしているのだが、それをいったいどんな方向から教えたらいいのやら。

 千歳には普段から優しく接しているつもりなのだが、アンドロイドやレプリカントと大差ない千歳に徳を理解させることは難しいのか。

 だが、徳と悪徳の間を彷徨うのは人間の美しさの一つでもあるか。

 そういう意味では、千歳にはもっともっと迷ってほしいな、と物部はこの国のどこかにあるカメラ越しにそう思うのだった。

 物部はひとまず千歳にこう書いた。

 物部
「何はともあれ、今回の犯行グループは特定できた。後は任せたまえ。ご苦労様。回復したら日常に戻ってくれ。千歳君に一番足りないのは、普通の人生だよ」

 千歳
「普通の人生ですか。いったい何を普通というのか自分にはわかりませんが。まあ、いいでしょう。自分もクラスメイトと戯れているのが一番心落ち着くので」

 物部
「それがいいね。千歳君が安心して暮らせるのが一番だ」

 千歳
「安心ですか」

 物部
「そうとも。人間は誰もが安心を求めて生きているんだ。仕事でお金を稼ぐのも、恋人を作ったり友人を作ったりするのも安心のため。一昔前は安心だけじゃなくて幸せさえも求めるのが人間だと言われていたけど、今となっては安心すら危ういものになってきたからね。だから、僕は人間は安心を求めて生きていくのがベターだと思ってる」

 千歳
「それは誰から教わった概念ですか?」

 物部
「古い漫画の一説だよ。僕が生きてきた時代は千歳君ほどではないけど大変だったからね。安心できる環境はとても大切だよ」

 千歳
「そうですか」

 物部
「でも、実はこの考え方をしたのは悪役なんだ。その悪役は倒されて、もっと美しい生き方をしている主人公が勝った。僕も最初はもっと美しい生き方ができないかと努力していたけどね。生身の人間はそこまで美しく生きられないのさ。だから、僕は正義とか悪とかあんまり考えないで、徳か不道徳かで考えるようにしている。そっちのほうが人に優しくなれるからね」

 千歳
「よくわかりませんね」

 物部
「そりゃそうだ。正義は計算して導き出せるが、徳は人間として成熟してないと扱えない。千歳君にはまだ早いよ」

 千歳は年長者にばかにされているな、と感じたが、勉学に励む人間は自分より頭のいい人を瞬時に見分けることができる。

 学力としては物部を勝る可能性もあるが、千歳の知識は所詮付け焼き刃だ。

 しかし物部の言葉はインスタントではなく、そこに生きていた。

 本で読んで借りてきた言葉ではなく、物部自身が体得して身に付けた言葉だ。

 だから、千歳の死にかけた心にもそれなりに響いた。


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