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 その日、千歳は教室に設置されたカメラ越しに授業を受けていた。

 仮に体調が悪くとも、リモートで学校の授業を受けられるのが2040年のいいところであり、千歳はVRゴーグル越しに仮想空間へ映し出された教室で授業を受けていた。

 とは言っても、やっていることは榛に勉強をかみ砕いて教えることだが。

 言い方は悪いかもしれないが、知能が劣っている相手に勉強を教えるのは至難の業だ。

 が、榛は毎日何かしらの進歩をしていて、千歳もそれを見て安心している。

 こうやって勉強を丁寧に教えていけば、いくつか壁には当たるだろうが、それなりにたくさんの知識を身に付けることができるはずだ。

 とはいえ、千歳はそれを慣れないリモート授業で教えている。

 結構疲れる作業だ。

 千歳は今謎の組織のベッドの上だが、怪我をしていようが知能がまともに働く状況下では頭脳労働から逃げられないのが2040年の辛いところだ。

 そんな感じで12月中旬は過ぎていった。

 当然、表の仕事もVRゴーグル越しに行われるわけで、千歳は本来登下校に充てられる時間を無為に過ごし、仕事に備え休憩し、16時になると仕事を始めるのだった。

 千歳
「どこかわからないところある? 新しい章に入ったけど?」

 
「えーっと、何が分からないのかわからないですね」

 千歳
「そっかー。じゃあ最初から解説していこう」

 そういうやり取りが長々続き、午前中の授業が終了した。

 お昼休み。

 四季がお昼ご飯を食べようとするが、千歳が席を外しているので食べてはいけないものが入っているカレーを食べることができないでいた。

 が、唯が千歳の代わりに四季に歩み寄り、お昼ご飯を食べさせてあげるのだった。

 千歳は謎の組織で昼食を食べているのでその様子は見られなかったが、千歳が今までクラスメイト達に優しくしていたおかげで、クラスはそれなりにまとまっていた。

 それなりにまとまってはいるが、15時から16時までの間、下校時刻の千歳を除いたクラスメイトのグループチャットの音声通話でこんな話が行われた。

 
「こんにちは、聞こえていますか?」

 
「うん、聞こえてる。平気だよ」

 四季
「問題なし。音声はとってもクリア」

 
「聞こえてます。私の声も聞こえてますか?」

 
「大丈夫大丈夫。全員問題ないみたいだね」

 
「それじゃあ、今日の話を始めましょうか。お題は、千歳君をどうやったら救えるのか、ですね」

 四季
「いつも私たちが助けられてるからね。いつか、助けてあげたいよね」

 
「うん、私も毎日お世話になってるし、助けてあげたい」

 
「梓さん、最近の千歳君の様子どう?」

 
「そうだね、相当追い詰められてるかな。それでいて、弱音も吐けないし逃げだすこともできない。今も戦ってる最中なんじゃないかな?」

 しばらく一同が静まり返った。

 普段の態度からは見えてこないが、千歳の言葉の一つ一つが重なっていって、クラスメイトからは浮いた存在になっている。

 それから、千歳の姿から自分たちが如何に恵まれた存在なのかもひしひしと感じた。

 クラスメイトのメンバーにはそれぞれ生きにくさのようなものが多少はあるのだが、千歳に比べたら本当に大したことはないだろう。

 だから、自分より苦しい状態の人間を眺めることで、その生きにくさが大きく緩和されてしまっているのだ。

 他者の犠牲の上に成立する幸福、それをクラスメイトたちは味わっていた。

 
「私たちは、千歳君に何ができるのでしょうか?」

 
「それ、いつも言ってるよね。でも千歳君のほうから助けを求めないと、意味ないんじゃない? 千歳君の人生は千歳君が生きるしかないんだから」

 四季
「それでも助けが必要な場合は助けてあげたほうがいいよ。篝さんも案外ほかの人に助けてもらおうとしないタイプなんじゃない?」

 
「言えてる。でもまあ、千歳君ほどじゃないと思うよ」

 
「私は誰かに助けてもらうことはよくあるんですが。どうして千歳君はそれができないんでしょうか?」

 
「それは、今まで助けを求めても助けてもらえなかったことが多かったからだろうね。千歳君は生まれつき親がいないから、誰かに甘えたり助けてもらったりする経験が少なかったんだと思う。誰かに相談して配慮してもらう経験とかもないだろうし」

 
「どうして誰も千歳君のことを助けようって思わないんだろう?」

 四季
「千歳が弱者だから。結局のところここじゃない? 社会的弱者を誰も助けようとしないでしょ? だったら自分で助かるしかない。千歳はそれを淡々とやってるだけだと思う」

 
「大変な生き方ですね、それは」

 
「親がいないって、こういうことなんだね。誰かに助けてもらうことが視野に入らなくなっちゃう。今の千歳君は私たちが助けてあげたいのにね」

 四季
「助けてあげたいんだけどね。千歳はどう助ければいいんだろう?」

 
「千歳君は、きっと不幸だと思います」

 
「そうだよね。お金はたくさんあるし、私たちみたいな友達もたくさんいる。でも、心の中は地獄だと思う。だから、きっと助けるのにとっても長い時間がかかると思うな」

 
「脳が変質していないといいのですが」

 
「あー、それ知ってる。幼少期に逆境を体験しすぎると、脳が変質して安心とか幸せとか感じなくなるってやつ。千歳君は思いっきりそれに該当すると思うんだよねー。実のところ、千歳君をハッピーにしてあげるのって、永遠に無理なんじゃない?」

 
「それでも千歳君には幸せになってほしいです。だって私たちをこんなに助けてくれるんだから」

 四季
「それは無理なんだよねー。千歳はもう幸せを感じる機能を失ってるから。だから、幸せとか楽しい以外の感情でぎりぎりつなぎとめるしかない」

 
「実のところ、千歳君は何も感じてないんじゃないかな、自分自身の人生とか、将来とか、夢とか、命とか」

 
「それは、言えてる」

 
「悲しいな、それ。本当にかわいそう」

 四季
「実のところ千歳には現実が地獄に見えてるんじゃないかな? それでいて泣かないし、もう絶望しきった人間の典型だよね。笑ったりもしないし」

 
「そうですね、千歳君が笑ったところ、見たことありません。ほんの少しも笑顔になりません。豊かな心が奪われてしまった人の典型だと思います」

 
「じゃあ、全員一致で千歳君はかわいそうな人ってことでいいかな? いいなら、どうやって千歳君のこと助けるか考えようか」

 四季
「実のところ、千歳を助ける方法なんてあるの?」

 
「すぐには、救えないと思います」

 
「そうだよね。長い時間、とっても長い時間をかけて助けてあげないとだめだよね」

 
「特別支援学校を卒業しても千歳君のことを支えてあげないといけないですよね」

 
「支えるかー。確かに、支えてあげないとねー。少し意地っ張りなところもあるし、自分が困っていたら助けてもらえて当然なんてことも考えてなさそう」

 
「誰かが困っていたら助けてあげるのが普通だと思うのですが。どうして今まで千歳さんを助けてあげられない人が千歳さんの前に現れたのでしょう?」

 四季
「それは、親がいないからだねー。私たちは何か困ったら両親がある程度は助けてくれるけど、生まれつき両親いないから、誰にも甘えてこなかったんだろうね。そういう中で生きてきたら、何事も自分で解決する癖がついちゃうと思う。社会ってそういう場所じゃないんだけどね。誰か困ってたら助けてあげなさいって私が信仰してる宗教の特徴なんだけど、千歳はもっと頼ってくれていいかな?」

 
「千歳君は、何を幸せとするのでしょうか?」

 
「幸せかー。人によって違うからねー」

 
「それもそうだね。私には私の幸せがあるし、千歳君には千歳君の幸せがある。でもさー、千歳君って何が自分の幸せなのかわからないと思うんだよね。そもそも自分自身を後回しにしちゃう感じがあるし。自己愛とかぶっ壊れてそうだよね」

 
「自分を愛さなければ誰かに優しくすることなんてできませんからね。でも千歳さんはそれをやっている。だから、千歳さんは相当苦しい思いをしているでしょう」

 
「千歳君は、強い人ですね」

 
「強いけど、最終的に闇落ちするパターンだよ。自己犠牲なんて美談にはなるけど実際にやってる人は地獄だって。そんなこと毎日やってたらメンタルはボロボロだよ。きっと千歳君は内面真っ黒なんじゃない?」

 また一同が静まり返った。

 結局のところ千歳の内面は暗黒であり、みんなに見せている優しい笑顔は作り物。

 そんな状態で毎日顔を合わせていたら、クラスメイト全員が病んでしまうだろう。

 とはいえ、千歳を学校から追い出すわけにはいかないし、いじめてクラスから追い出すということもできない。

 いいや、本来の学生同士の会話なら、千歳はとっくの昔にクラスから村八分にされて追い出されているのが関の山だろう。

 しかし、いったいどんな理由でみんなは千歳を救おうとしているのか。

 それは、千歳が普段見せている人情や優しさが、ひょっとしたら本物なのかもしれないと、誰もが思いたいからなのだろう。

 千歳の善意や優しさが偽りであるか誠であるかは今のところ分からない。

 単に処世術としてやり過ごしているだけの可能性もあるが、本当のところはどうなのだろう?

 クラスメイト達は千歳の本当の気持ちを探ろうとし始めた。

 
「私、千歳君と一緒に仕事をするようになったけど、千歳君ってあんまり自分のこと話したがらないんだよね。まじめに仕事をしているっていうより、仕事に逃げてる感じ。自分と向き合おうとか、あんまり考えてないと思う」

 
「同感。私たちに親切なのも、きっと自分と向き合いたくないからなんだろうね。でも、どっちかと言うと、自分と向き合ったところで中身に何もないから見つめたところで何も発見できない。そんなところじゃないかな?」

 四季
「なんだか、ロボットみたいだね、千歳って」

 
「そうですね。最近のロボットは人の感情を理解するようにすら設計されていますが、千歳さんはロボットよりも自身を大切にできない人ですよね」

 
「どうやったら千歳君に自分を大切にしてもらえるかな?」

 四季
「まずは、安心して暮らせる環境を用意することじゃない? 今の時代、学生は学校に通うのと同時に仕事までさせられるし、千歳の場合はそこに秘密結社の活動もあるし、休めるときが本当にないと思うよ」

 
「なんだか、自分を顧みずに戦って、死んでいく兵隊を見ている気分だなー」

 
「それはそうだけど、私たちが助けてあげればいいじゃない」

 
「助けてあげたいけど、千歳君はどうやっても止まらないと思うよ」

 四季
「そうだね、多少は強く言わないとわからないんじゃないかな? あんまり私たちができることじゃないけど」

 
「そうですね。私たちのために頑張ってくれているのはありがたいのですが、千歳さんには止まってもらいましょう。どうにかして千歳さんを説き伏せないといけないですね」

 
「どうやって千歳君を説き伏せるの? 私たちよりもはるかにできる人だから説き伏せるのは難しいんじゃないかな?」

 
「できると思います。私たち一人一人では千歳君の足元にも及ばないですけど、私たち5人で説得すれば、千歳君を説得できるかもしれません」

 四季
「そうだね。千歳は強いけど、どう頑張っても一人だけ。私たちがきちんと協力できれば千歳君を説得できる」

 
「それがいいでしょうね。いろいろと困難な道のりかもしれませんが、私たち5人で挑めば千歳君を越えられるでしょう」

 
「それじゃあ、あとはいつこれを言うかだね」

 
「なるべく早いうちだね。今日何日だっけ? えーっと、12月24日。あー、イベントの日かー。結構スケジュール厳しいけど、チャンスがあったらすぐにって感じだね」

 
「そういえば、千歳君に何かお礼をしようってずっと前から考えてましたよね。そのプレゼントだと思って、今日にするのはどうでしょうか?」

 四季
「いいと思う。プレゼントを贈るには絶好の日だし、今日の仕事が終わったら、早速千歳に話そうか」

 
「それじゃあ、そういうことで決まりでいいでしょうか?」

 一同は無言の同意をした。

 そんなわけで、千歳の知らないところで千歳をどうやって止めるのかの会議が行われたのだった。

 が、千歳はそんなことは知らずに、一人謎の組織のベッドから表の仕事へ早めのログインをするのだった。


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