旅路に、幸あれ
あいいろのうさぎ
あなたは沢山の負の感情に触れて帰ってきたのですね。
分かりますよ。……いえ、こうして目の前に立つまで分からなかったことを考えると、やはり私は母親失格でしょうか。
あなたは人間界で沢山の感情に触れた。その中には楽しい、嬉しいといったものもあったでしょうが、辛い、苦しい、妬ましい、憎らしいといったものの方が多かったようです。
人間の世界には負の感情が撒菱のように転がっている。そんな棘に刺さったり、その棘に刺さった人間の愚痴を聞いて余計に傷を増やしてしまったのですね。
そうやって、傷を増やして、でも自分は他の誰かに傷を作るまいと必死だった。
ずっとずっと、一人で抱え込んでいたのですね。
理不尽なことに巻き込まれながら、人から愚痴を聞かされながら、それでも自分はその棘を誰にも刺さないように、辛さを、苦しさを押し込めて笑っていた。
そのうち自分の中身が棘によって傷だらけになっていた。
きっとあなたは今までどんな人の話も親身になって聞いていたのでしょう。その話を、愚痴を聞いているうちに、優しいあなたは傷ついてしまった。けれど誰にもそれを言わなかった。
母親としてはあなたを叱るべきなのでしょうね。あなたの優しさを、あなたを犠牲にしたうえで成り立たせてはいけないと。
けれど、気持ちはよくわかります。誰かを傷つけることをしなかったことを褒めるべきでもあるのでしょう。だけど、私は何よりあなた自身を大事にして欲しかった。それは改めて言わせてもらいます。
私たちは人間を幸せにするために魔法の修行をしています。だからこそ人間界に行って『本当の幸せ』とは何かを探していますが、よく聞いてください。幸せでない魔女は人間を幸せになどできませんよ。
誰かを幸せにできる力は余裕によって生まれるものだと、私は考えています。それは魔女であれ、人間であれ。自分がいっぱいいっぱいの時に他人のことを考える余裕がありますか? あなたは自分の幸せを考える練習をしないといけないようですね。
じゃあ、自分の苦しみを誰に打ち明ければいいのかって? そんな時こそ私の出番じゃありませんか。少しは頼ってくれないと私も寂しくなってしまいますよ。
さて、最後に魔法をかけましょうか。この魔法は一回しか使えませんから、今後も当てがあるとは思わないように。
大きく息を吸ってください。私が背中を撫でるのと同時に、ふーっと吐き出してください。そう。良い子ね。
その黒いモヤモヤがあなたの溜め込んだ傷です。こんなに大きくしてしまって……今までよく頑張りましたね。
さあ、今日はもう休みましょう。きっと良い夢が見られますよ。
願わくば、あなたの進む道が幸福で溢れていますように。
あとがき
目を通してくださってありがとうございます。あいいろのうさぎと申します。以後お見知りおきを。
この「旅路に、幸あれ」という作品は「辛い」というお題をいただいて書いた作品なのですが、かなり難産でした。魔女の母が娘に語り掛けている、という場面を導き出すまでに随分時間がかかったように思います。お楽しみいただけたでしょうか。
またお目にかかれることを願っています。
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