パノラマ島白昼夢 江戸川乱歩
過ぎ去りし頁を求めて
~文学と私~
【パノラマ島白昼夢 ~現世は夢、夜の夢こそまこと~】
タイトルの通り今回は江戸川乱歩の話である。
彼の短編集を読んでいると、私は妙にケバケバとした色彩の織物が継ぎ接ぎに繋がった一枚の着物が頭をチラつくのだが(本当にそんなモノがあるのかはさておき)。
それ程までに各作品の世界観は独立していて、情景描写は文字だけで人を震え上がらせる魔力がある。
私が読んだ事があるのは『人間椅子』、『屋根裏の散歩者』など初期から中期の作品に限られるため、もうひとつの彼の代表作であり後期の(比較的)健全な青少年向けの『少年探偵団』シリーズはまだ履修していないのだ。
明智小五郎の出てくる作品は代表的なのは一通り読んだように思う。
もっとも、『屋根裏の散歩者』など初期の作品を読んだときはもじゃもじゃ頭の書生という明智の姿に少々驚いたが……(アニメ等の影響で端正な青年探偵というイメージが強かった)。
このエッセイを書いている今は8月。
怪談や怖い話の季節だが、そういうのは妙に教訓染みていて余り面白いと感じない。
“結局一番怖いのは人間”というなら夢幻の世界にとり憑かれた人間の、読みようによっては苦笑してしまうような怖い話が入った乱歩の短編集をこの時期はカバンに忍ばせている。
恐らく、今日もこの作家は新しい読者を増やし続けているだろう。
文豪を扱ったアニメや乱歩の作品を原作にしたドラマなど…理由は様々だろうが個人的には、
『主人公のダメ人間っぷりに共感してしまう』
所に作品を読み続けているフシがある。
彼らは大学を出ても定職に就く気がさらさらなく、”これだけ想像力があるなら職業作家にでもなればいいのに”と読者の我々が思うほどねちっこく夢想に耽る。
挙句『屋根裏の散歩者』の主人公に至っては、
『食うに困らない生活をしていて、ありとあらゆる遊び(賭博なども入っているのだ)を試してみても、いっこうに世の中が楽しいと思えない』
という始末である。
現代にもこういうヤツらは割とよく居るが(私にも心当たりはある。賭博どころかお酒を飲んだ事もないが…)流石に世間に憚られる事はしないし、出来ないだろう。
だが彼らは、つまらない世を少しでも面白く感じるためならどんな事でもやってのける。
孤独な椅子職人は自らが作った作品に身を潜めてその中で恋に落ちるし、鏡オタクの旧家の息子は親の遺産全てをもって作り出した鏡の世界に引き篭もる。
そして、彼らは“自分は人とは違う、特別なのだ”という大体の人は20歳を過ぎた頃には忘れる思春期をいつまでも引きずり続けている。
その殻を破らないまま、ありとあらゆる非現実な事件を起こす。
私もDACに来る前は、(表向きこそ)病気療養のため働けない、という理由で仕事をせず5年間ボンヤリ過ごしていた。
明治大正の頃だったら生活ぶりを見て“高等遊民”と言われても仕方のない生活を送っていたのである。
また、当時から文章は書いていたので、
(物書きの仕事にでもつければなぁ…)
と考えていた。
故に乱歩の主人公の感じる焦燥感や”この世ならぬ美への憧れ”は共感しながら読んでいた時期もあるのだ。
もっとも、今は仮に彼らの夢想の世界に誘われても帰る現実があるので、
「私そろそろ帰らなくちゃ、仕事もあるし…」
と朝6時のスマホのアラームで目を覚ますに違いない。
執筆 むぎすけ様
挿絵 kyura様
投稿 柊顯
©DIGITAL butter/EUREKA project
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