長編小説『エンドウォーカー・ワン』第7話
ノーストリアによるイルデ市占拠から数日後。
宣戦布告と同時に行われた行動に世界中から批難が続出していたが、北は「南への伝達に手違いがあった」としてこれを否定。
また「かつてよりイルデ州はサウストリアより独立の機を窺っていた」とし、自らを支援者と名乗り、巧みなロビー活動と潤沢な資金力で世論を操ろうとした。
「くそっ、ネットは工作員だらけで話にならん」
白髪混じりの中年男性がタブレット端末を苛立ち紛れに突きながら失意に塗れた息を漏らした。
廃屋の薄暗い地下貯蔵庫には大人が数人、一つのテーブルに集まって淀んだ空気を味わっている。
「これだけのことが起こっているのに、何故サウストリアは声を上げないのでしょうか?」
その輪から少し外れ、古びた樽に腰掛けていたベルハルトは幼い顔を電子光で照らしながら大人たちに問うた。
「上げているさ。遺憾の意ってヤツをな」
その男性は二度大きくため息をついた。
「しかし、先の軍事衝突があったにも関わらず何故我が方はこうもあっさりと退いたのでしょう?」
別の若い男性が問いかける。
「市街地戦には持ち込みたくなかった――と思いたいがな、上と『愛国者たち』の圧力だろうさ」
「愛国者?」
ベルハルトが興味津々な様子で大人たちの壁に割って入った。
「こらっ、ベルハルト。いい加減家に帰らんか。子どもの遊び場所じゃないんだぞ」
「嫌だよ。俺もイルデの男だ、最後まで戦うんだっ」
「レイ」
「はいはい」
レイと呼ばれた青髭を浮かばせる長身の男性はベルハルトの両脇を抱え、じたばたと抵抗する少年を一階へ放り投げる。
「なにするんだよ!」
「いーから大人しく逃げとけってことだ。子どもの出る幕じゃないということさ」
「馬鹿にするなっ、俺だって……」
「リカルドさんの残した拳銃で戦う、か? 冗談じゃない、足手まといさ」
「……」
ベルハルトが砂利と無力感に塗れた空気を吸い、自己嫌悪からか眉をひそめる。
いつか見た世界では少年少女たちが巨悪に対して果敢に挑み、勝利する。
幼き彼はそんなフィクションをいつまでも夢見ていた。
活力に溢れ、湧きどころが分からない自信に満たされて。
だというのに母親を亡くし、父親は行方不明。
今のベルハルトは震える足で何とか立ち、上っ面だけでも虚勢を張ることしかできないただの無力な存在だった。
――俺は英雄にはなれない。
あれほど恋焦がれていたというのに、自分には果てしなく遠い存在のように思えて。
虚しさと不安だけが心臓を冷やしていく。
そんな彼を見下ろしていたレイは心中を察したのだろうか「あのね」と柔らかな声で赤髪についた埃を払う。
「こういうのはトシ食った俺らに任せておけばいいんだってば。子どもは『希望』なんだからさ、大人しく守られていてくれよ」
レイは身を翻し、地下室へと戻っていく。
背中越しにひらひらと振られる手をベルハルトは黙って見送ることしか出来なかった。
ベルハルトがアパートメントへ戻ると、玄関前でイリアが両手を後ろで組んでうろうろと彷徨っていた。
彼女は長い間外に出てたのか、ツンと尖った鼻を赤くしている。
「あーっ、ベル何処に行ってたのぉ。おねーさん心配したんだから」
少女は待ちわびていた姿を見、一瞬だけほっとした顔を浮かべたが、すぐ険しい顔付きになった。
「ちょっとな」
ベルハルトは顔をぐいぐいと近づけてくるイリアから目を逸らし、先ほどの情けない自分の姿を悟られまいと身を引いた。
「もうっ、ふようふきゅーの外出は控えろって言われているよね」
「急いでたんだよ。ほら、コレ」
ベルハルトは厚手のダウンジャケットを締め付けていたショルダーバッグから一冊の本を取り出し、シンプルだが美麗な表紙を彼女に見せつけた。
本のタイトルは『三月町物語』
地球で長年ベストセラーを駆け抜けている青春漫画の名作だ。
「あ、今週発売の最新刊? どうやって手に入れたの?」
「苦労したんだぞ。配送のトラックが道路を通れないからな、隣町まで行って来て――」
少年はそこまで言い、はっと口を噤んだ。
「ベールぅ?」
灰の少女がその中で一際強く煌めく紅玉の視線でベルハルトを貫く。
「もーっ! あれほど遠くには行かないでって言ったよね!? もし北の人に目を付けられたら大変なんだってあれほどおかーさんも言ってたのに」
「悪かった、悪かったよ。代わりにコレ先に読ませてやるから」
「ほんと?」
イリアの強張った表情が一瞬春風のような微笑みを孕むが、それも刹那のこと、我に戻った彼女は銀線をぶんぶんと横に振って「そうじゃなくて!」と叫んだ。
「人を物で釣ろうとしないっ!」
「いや、実際のところ釣られかけてただろ」
「もーっ、ベルの意地悪!」
彼らを取り巻く日常はすっかりと変わってしまっていたが、そのような中でも変わらないイリアにベルハルトは深く息を吐き出した。
彼が失ったものは果てしなく大きいが、決して孤独ではなかった。
本当の家族のように接してくれるトリトニア家。
少年が道を行けば大人たちが声掛けをし、見守っている。
それは父親であり、この街の英雄でもあるリカルド・トロイヤードの存在が大きかったのだろう。
そもそものイルデ市民はお人好しで困っている人間を放っておけない市民性だ。
豊穣なる土地で子どもたちは伸びやかに育ち、やがては家庭を持っては朽ちていく。
この星に人類が移り住んで何世代も受け継がれた営み。
しかし、それも忍び寄る闇色により陰りを見せ始めていた。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project
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