10月初めのホームルーム。
特別支援クラスにて。
6つしかない椅子と机が広い教室で無造作に教卓へと向けられていた。
千歳がちょうど教室の中央に。
榛が教室の奥の窓の一番隅に。
篝が教卓の目の前に。
千歳の少し右隣に梓が。
篝の少し左となり、窓に比較的近いところに唯が。
教室の後ろの扉の近くに四季の机があった。
夏休みに入る前までは整頓されて配置されていた机は、9月に入ってから徐々に形を崩し始め、今の状態に落ち着く。
だだっ広いだけの教室に机6つは少なすぎるのだ。
先生
「えー、去年までは文化祭があり、皆さんにはそれぞれ出し物をしてもらうという謎の行事がありましたが、今年から文化祭は廃止されました。おめでとうございます、また面倒な行事がひとつ消えてくれましたね。ちなみに先生は面倒が嫌いです」
篝
「先生、文化祭ってそんな面倒くさいことだと思いますか?」
先生
「文部科学省の偉い人も最先端を行く若者が文化を作り上げるべきと考えを示しているので、わざわざ学校で文化祭をやる必要はないだろうという決定がされて、児童労働基本法施行と同時に学校行事はすべて廃止されています」
梓
「でも私たち、夏休みに自分たちで修学旅行しましたよ?」
先生
「そうです、自力でやる分には何の問題もないのです。先生も最近余暇の時間にネット上で集めた友達と一緒に映像作品を作っていますからね。君たちも先生を見習うように!! それでは今日の授業を始めましょう」
唯
「素敵なことですね。どんな作品を作っているのですか?」
先生
「主人公が犯人役のミステリーです」
そう言えば、先生は将来の夢は映画監督でした、とか言っていた時もあったな。
仕事がどうであれ、暇な時間に何をするのかは自由。
だから先生は暇な時間に映画を撮っているのだろう。
なんと、現実的な大人であることか。
梓
「千歳君、最近の日本の教育方針って生徒に丸投げだよね」
千歳
「言えてる。大体主人公が犯人役のミステリーなんて人事じゃないので笑えないよ」
そして今日の授業が始まった。
時間は流れ、昼休みが過ぎ、午後の時間の音楽の授業になった。
四季はなぜか別室送り、そして、そこに千歳も送られた。
何もない部屋の中、千歳は四季と向き合う。
四季の服装は真っ黒で、見ていると実に意味ありげだったりする。
本人は自覚していないだろうが、黒一色の服を纏うことによって四季の美しさは際立っているようにも見える。
なんというか、引き締まっているというか、スリムと言うか。
四季
「なに?」
千歳
「四季さんってクールだよね」
四季
「そうかもね」
千歳
「でも、あんまり人に優しくされてもお礼を言わないよね?」
千歳は四季の普段の言動からそんなことを言ってみた。
四季
「そういう宗教を信じてるから。まあ、世間体を考えてお礼を言うことはあるけど、何か贈り物をもらったらお礼ではなくてお礼の品を返すように教育されてるわね」
千歳
「そういえば、学校が始まったとき、お昼ご飯奢ってくれたね」
四季
「なんだ、そんなこと覚えてたんだ。別にいいんだよ、お返しなんて。貧しい人には喜んで寄付をするのが私たちの文化なの」
千歳
「そっかー」
まあ、確かに千歳は貧民だが、違法行為で稼いだお金は隠し口座に数千万単位で積みあがっている。
単に千歳はお金の使い方を知らないだけで、別に貧乏というわけではない。
ある意味ではこういう人間も貧乏と言うべきなのだろうが。
四季
「だから、あれは私の好意じゃなくて義務だからやっただけ、お分かり?」
千歳
「そういうことにしておくよ」
あのお金は宗教上の理由だったのか。
それはそうと、四季はどうして音楽の授業と美術の授業をこうして別室に移動してやり過ごしているのだろう?
千歳
「四季さんはさ、どうして美術の授業と音楽の授業をここで過ごしてるの?」
四季
「ムスリムは美術も音楽も戒律で禁止されてるから」
千歳
「へー」
四季
「戒律で定められたものならオッケーだけどね」
千歳
「へー」
意外な返答が返ってきた。
ムスリム、イスラム教、特に保守的な宗派は喜捨をするし宗教的な音楽以外を禁じている。
一部の尖った人たちは戒律に背いてロックバンドを組むだけの精神力はあるのかもしれないが、四季にそれはないようだ。
四季は何か音楽のフレーズを口ずさんだ。
千歳はそれを聴いたことがあった。
何故か?
千歳も中学生の時にベーシストだったからだ。
まあ、四季が音楽を口ずさむこと自体が四季にとっては禁忌なのだが、あいにく今目の前にいるのは犯罪者の千歳だ。
そういえば、特別支援クラスの生徒には何かしらの障碍があり通っているそうだが、四季にはどんな障碍があるのだろうか?
千歳
「なんだか、宗教上の理由とかで通常の学校に通えなかったりする?」
四季
「冴えてるね。そう、音楽とか美術の授業に出るの禁止だから、ほかの学校に通うと単位をとれなくて卒業できない。だからこういう学校に通わざるを得ないんだよね」
千歳
「へー、でも、数学とかほかの教科も結構できるし、頭はいいんじゃない?」
四季
「そうなんだよね、ただ単に文化に合わないからこういうところに押し込められてるだけで、本当はもっとやりたいことがあったよ」
千歳
「例えば?」
四季
「普通の高校に通って軽音楽部とか」
四季は目を逸らしてそう言った。
これは嘘ではないだろうな。
千歳
「軽音楽、やりたい?」
四季
「戒律で禁止されてるから」
千歳
「ルールを守ってもルールは守ってくれないよ」
四季
「結構えげつない話だね、それ」
千歳
「俺、こう見えてもそこまで優等生じゃないよ」
四季
「そっか。案外悪い人なんだね」
千歳
「うーん、そこまで悪人でもないんだけど、でもまあ、四季さんが思ってるよりも優等生じゃないよ」
四季
「どっちなの?」
千歳
「両方って意味さ」
四季
「よくわからない」
千歳
「なんだろう、クラスメイトならうわさ話で聞いてるんじゃない?」
四季
「何を?」
千歳
「いや、何でもないや」
千歳は知らないなら知らないでいいだろうと思いこの話はここで終わりにした。
千歳
「そんなことより、俺、ベース引けるけど、何か演奏したい楽器とかない?」
四季
「ベースって楽器の中でどんな役割してるの?」
千歳
「え、縁の下の力持ち的な」
四季
「目立たない人ってことか」
千歳
「まあ、そうなるね」
四季
「私は、ギターやろうかな」
千歳
「いいじゃん、それなら一緒に練習しやすいよ」
千歳は自分のスマホからメトロノームのアプリを起動させて四季に聴かせて見せた。
千歳
「最近はこういう補助のアプリが沢山出てるから、楽器を演奏したければいくらでもできる。四季さんはギターでどんな曲が弾きたい?」
四季
「まずは、初心者にうってつけの曲からがいいかな」
千歳
「分かった。ヴォーカルもやる?」
四季
「うん、そのほうが楽しいね」
千歳
「じゃあ、今度楽器屋さんに行こうか。いいお店知ってるから」
四季
「チェーン店じゃダメ?」
千歳
「そのチェーン店だよ。楽器を選ぼうと思ったとき、お店の選択肢はそんなにたくさんはないっていうのがこの趣味の辛いところかな?」
四季
「詳しいね」
千歳
「中学生の時ベースやってたから」
ここでチャイムが鳴った。
四季
「じゃあ今度、楽器屋さん行こうか」
千歳
「その前に、いろいろな音楽を聴くといいよ。イヤホン持ってる?」
四季
「持ってる。家族には内緒だけど」
千歳
「じゃあ、それで音楽をたくさん聞き漁るといい。通学中とか、寝る前とか、いろんなシーンで。音楽は音楽を聴いただけ上手くなるから」
四季
「そうだね」
こうして、二人の文化祭が始まったのだった。
千歳はその日、仕事が終わると家でほこりをかぶっていたベースを取り出して適当に鳴らしてみた。
アンプにつないで音をヘッドホンで聞きながら心地のいい低音を体にしみこませた。
これだ、3弦を弾いて4弦で指を受け止めて、その時に鳴る低音が心地いい。
とても安心する。
千歳は適当な曲をスマホで鳴らしながらその曲のベースパートを演奏した。
そうしていくうちに時間がたつのを忘れ、千歳は久々に素敵な時間を過ごすことができた。
次の日、千歳は遅刻をした。
千歳
「梓さん、なんで起こしてくれなかった?」
梓
「え、起こしてほしかった?」
2限目の授業の合間、千歳は梓にそう耳打ちした。
梓
「朝起きられないなら、起こさないほうがいいって、それ障碍者の常識だと思うなー。千歳君がおかしいよ」
千歳
「そう」
というか、千歳の部屋には目覚まし時計もなければスマホに朝の目覚まし機能を起動させた痕跡すらない。
どうやら、本当に夢中で夜更かしをしたらしい。
学生なら徹夜をしろと一部の人はいうかもしれないが、ここまで楽しい夜を過ごしたのが久しぶりだったためか、ぐっすり眠ってしまったのだ。
日々の疲れから、ふとしたきっかけで解放されたのだ。
梓
「寝顔は写真撮ったけど、見る?」
千歳
「はったりか?」
梓
「違うってば」
千歳
「まあ、いいや」
今日も千歳は椅子に座って授業を受けた。
変わらず榛の勉強をサポートして一日を終えた。
が、数学の時間に四季がワイヤレスイヤホンで何か音楽を聴いていたのを目撃した。
イヤホンの色は黒で色気はないが、何故だろうな、楽器屋の店員は黒のイヤホンが一番売れると常に言い続けている。
音楽を聴けと言っているのにイヤホンの色について言及するのは論点ずらしだろう。
と、千歳は自分自身に言い聞かせる。
中学時代の先輩からは楽器の色は厳選しろと言われ続けていたが、四季の全身真っ黒がどこでも貫かれているのを見ると、その意味もどこかで理解できる気がする。
昼休みの時間になり、千歳は四季の隣に座ってカレーを食べ始めた。
四季
「それ、美味しい?」
千歳
「味覚が麻痺してるから美味しく感じるんじゃないかな? まあ、最近はまともなものを食べれてるんだけど」
四季はお昼ご飯を食べない。
それなので千歳は教室にカレーを無許可で持ってきて四季の前で食べているのだ。
千歳
「これ、美味しいよ」
四季
「嘘つき」
千歳
「美味しいぞと誘惑してるつもりなんだけどなあ」
四季
「食べてほしいの?」
四季は真顔でそういった。
千歳は実のところ四季にお昼ご飯を食べてほしいと思っているが、半分くらいは冗談で言っている。
目の前に飢えている人間がいたら組織に誘うのが千歳の常だ。
が、四季は事情が特殊なので出方がわからない。
四季
「食べてほしいの?」
千歳
「いや、別に」
四季はその時、財布から何かを取り出した。
普通にお札だった。
四季
「はい、これ、罰金」
千歳
「なにこれ?」
四季
「学校で出てる食事は食べてはいけないって家族が言ってるけど、罰金を収めれば背徳も問題ないから」
千歳
「受け取っておくよ」
そう言われて千歳は1万円札を受け取った。
千歳
「待った。さすがに1万円はやりすぎだと思うよ。何か付加価値つけなきゃ」
四季
「付加価値? 変なの」
千歳
「じゃあ、カレーをどうぞ」
四季
「食べさせてよ」
千歳
「おおふ。面白い注文がきたなあ」
千歳は四季の口までカレーを運んだのだった。
その行為は四季にとっては背徳そのもの。
禁断の行為らしかった。
四季の口元がいやらしく動いていたのが千歳の脳裏に焼き付いた。
思うに、誰かが食事をしているところをよく観察したことがない。
しかしながら、四季は品のいい食べ方をするな、と千歳は感じた。
なんというか、謎の色気がある。
理由?
四季が案外正体不明の相手だからだろうか。
先日イスラム教徒と言ってみせたが、千歳にはイスラムの常識も法律も分からない。
だから、四季が異世界のお姫様に見えて仕方がないのだ。
四季
「何? そんなにまじまじと見ちゃって」
千歳
「いいや、珍しいものを見ているかなーって感じ」
四季
「そんなに珍しい?」
千歳
「珍しいよ。人に言えない趣味があるんだけど、珍しいものは一通り気になるかな?」
四季
「なにそれ、面白そうね」
千歳
「面白いものじゃないよ。ものではない、情報かな?」
四季
「情報? 個人情報とか?」
千歳
「これ以上は言えないや」
四季
「私が楽器を演奏してお昼に食べてはいけないものを食べたとして、それを知った千歳君はどうするの?」
千歳
「どうしようもないかな。情報は高く売れる人相手じゃないと意味がないから」
四季
「私が所属してる宗派は上の方に石油王とかいるけど?」
千歳
「そんなこと教えちゃって平気?」
四季
「平気だと思う」
千歳
「じゃあ、その石油王さん、家族構成は?」
四季
「娘さんが一人、成人してる。今はどこかで仕事してるんだったかな」
千歳
「名前は?」
四季
「覚えてないや」
千歳
「じゃあダメだね」
四季
「聞いてどうするつもりだったの?」
千歳
「古典的なやり方だけど、個人情報があればいろいろとできるからね」
四季
「ふーん、なんだか千歳君って悪い人みたいだね」
千歳は内心で笑いながらこういった。
千歳
「そりゃ、禁止されている音楽を教えるんだから、それなりに悪いことをやっているつもりだよ」
四季
「あくまっ!」
千歳
「どうだか」
四季
「限りなく黒に近い天使ともいえるかな?」
千歳
「そうかもね」
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