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長編小説『エンドウォーカー・ワン』第14話

「……メリークリスマス」

 疲れた様子の中年男性が長机で一人黄昏たそがれている。

 時は西暦2338年12月24日。
 そこは地元の人間ならば一度は行く少し高級なレストランで、旧習に従い24日の夜は混雑が予想されるため全席完全予約制だった。
 家族や恋人、大切な人間たちで過ごす特別な時間。
 その隅で彼は僅かにしわを寄せ、机の上に無造作に置いてあった写真に視線を落とす。
 それは現代の主流である電子フォトフレームなどではなく、カメラから現像された昔ながらの銀塩写真だ。
 世辞にも超高解像度カメラで撮影されたものとは画質面で勝負にならないが、クラシック趣味があった男性は粒状感の感じられるアナログフィルムが好きだった。
 44小隊隊員が全員集合し、グレイハウンドの膝元で表情豊かに思い思いのポーズを取っている。
 彼、彼女たちは皆若く、中には少年少女たちのあどけない姿もあった。

「……」

 中年男性は喪失感に打ちひしがれ、グラスに注がれていた強い洋酒を一気にあおった。

「任務後にお決まりの席で弔い酒とは相変わらずだな。ハンドラー」

 傷心の彼ににじみ寄る影が一つ。
 年末の活気溢れる彩り豊かなレストランでそれは一際強く異彩を放っていた。

「……誰だ」

 ハンドラーはアルコール漬けになった頭を回転させ、記憶の中から相手の名前を引き抜こうとした。
 酒が自分の思っていた以上に進んでいたのだろう。
 思考がままならなく、向かい側に座った隻眼の男性の存在が思い出せない。

耄碌もうろくしたか、リカルド」
「その名で呼ぶな、ドミニク」

 8人掛けのテーブルに男性が二人、互いに微妙な距離をとって向かい合っている。
 ドミニクと呼ばれた隻眼の男性はコートを着込んだまま「息子はどうした。死んだか」とテーブルに残されていた炭酸水を胃の中に流し込む。

「……」
「飼い犬は一匹残らず戦死。唯一の身内も喪ったか。気の毒になぁ……ハンドラーぁ」
「まだ死亡は確認されていない」

 湿り気を帯びた笑いにリカルドは顔をしかめ、空になった厚底のガラスコップをごとりと机の上に置きながら返した。

「無謀な作戦だった。俺が『彼ら』を殺した」
「ノーストリア『グラビティ・ウォール』が守る核の射出施設への強襲。敗戦したことは変わらないが、サウストリア首都ヴィーゼの1000万人を救った英雄殿にしては弱気じゃないか」
「それは散っていった彼らに宛がわれるべき言葉だろう」

 リカルドは手元に写真を手繰り寄せるとそれを戦火で濁った瞳で愛おしそうに見つめる。

「……お前は優しすぎたのだ。飼い犬に情を覚えていては判断が鈍る。イジエルでそう学ばなかったか?」
「判っている。だからこそ『壁越え』はハンドラーとしての責務を果たしたつもりだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「その虚勢がいつまで続くかな」

 ドミニクは大義そうに立ち上がると顔なじみを一瞥して眼帯を徐にあげる。
 そこには一般人よりも一際強い光が差し込んでおり、異彩を放っていた。

「近々名指しの依頼がある。ノーナンバー討伐部隊の指揮を執る人材が不足していてな」
「それは俺に軍を辞めろと?」
「敗戦国にいつまでもしがみ付いていては何の得もないだろう」
「貴様は祖国に対する忠誠心がないのか」
「……ハンドラー。問うが、国とは何だ? それが何を俺たちに与えてくれた?」

 リカルドは鋭い光を受け、妻や息子の顔を思い浮かべてはきつく唇を結び「無慈悲に何もかも奪ってばかりさ。奪い奪われ、殺し殺され憎みあって……俺たちは感情を人質にされた奴隷だ」と静かに目を閉じる。
 そして立ち止まる素振りを一瞬だけ見せておきながら話半ばで再び歩き出したドミニクの背中を睨んだ。
 その背中はきっと鳴いていて。
 遠ざかる彼をリカルドはただきつく見つめていることしかできなかった。

***

 西暦2339年12月31日。
 旧サウストリア首都ヴィーゼ中央駅。

「未だに信じられんな。敗戦から一年以上も経とうとは」

 駅員の制服に身を包んだ初老男性が身を震わせながら夜の駅舎を見回っていた。
 その傍らには相棒の若い男性。年頃は義務教育を終えたばかりの18、19だろうか。深夜まで続く労働に飽き飽きとした様子で膨れ面を隠そうともせずに「オレは上の首がすげ変わろうと、どーでもいいことですよ」と夜空に浮かぶ厚い雲を見上げ、ため息混じりにそう言い捨てる。

「そうは言うがの。お前さんには夢があったのだろう?」
「……別に」

 若者は老人を相手することも面倒臭そうに視線をあからさまに余所へと逸らす。
 その包み隠さぬ態度を前々から憂いていた老人は目を細め、その人生で積み上げてきた幾千の言葉に手を伸ばし思案する。
 もの言いたげな年老いた教育役に若者は舌打ちをし「ああ、そうだよ。戦争に負けなければオレは今頃――」

「……どうなっていたと思う?」

 彼の言葉をしわがれた声が遮る。
 まだ世の穢れを知らぬ瞳と酸いも甘いも知る瞳が重なり合い、若者は言葉に詰まりながら「その、有名人に……なっていた筈なんだ」とばつが悪そうに零す。
 彼を包む衣の隙間から縫うように身体中の熱が逃げていく。
 同時に人間としての感情も失っていくようで若者はぶるっと身震いをした。
 投薬により忘れかけていた社会的不安が重たくのしかかる。

「レックス、どうした? 調子が悪いのか? 今夜は早退しても――」
「ああぁッ、うるせえよ! いつもそうやって心配するフリして見下しやがって!」
「見下してなどおらん、いいから落ち着け」
「どいつもこいつもオレのことを分かろうともせずに、クソ! クソっ、クソぉ!」
「レックス!」

 老人の制止を振りほどき、職務を放棄して持ち場を離れるレックス。
 頭に血が上り切った彼は無人の駅舎をやりどころのない思いでただ駆けた。

――お前は才能があるよ。私たちが保証する。

 レックスのことを誰よりも理解してくれた今は亡き両親。

――あなたのピアノが好きなの。戦争が終わっても聞かせていてね。

 終戦間際に散った恋人。
 自分のことを好いてくれていた人間は死んだ。
 全て、何の跡形もなく。
 レックスは振り返っても戻れるはずのない過去ばかりを想い、未来から目を背けて生きてきた。
 たぎる思いを拳に込め、鉄柱を殴りつけようとしたが記憶の残滓ざんしがそれを優しく受け止め、タイル張りの床へと静かに腰をつかせる。

――そうやってすぐに物に当たっちゃダメ。あなたの手は音楽を奏でるためにあるんだから。

 かつての想い人の言葉。
 両親を亡くした彼を支えてくれたのが彼女だった。
 その存在が、その笑顔が生きる意味だった。存在意義だった。
 心の中で生まれたその火花は未来を照らし、希望へ繋がるはずだったのに。

「君は、今どこにもいない」

 失ってしまった。
 「サウストリア解放戦線」と名乗るテロリスト集団による反抗作戦に巻き込まれて。

「レックス・モートン?」

 彼を悲しみが満たす前に別の何かが飛び込んでくる。

「お前を勧誘しに来た。半年前の事件の首謀者についてだが――」

 その中年男性は燃えるような赤髪で。

「名前はベルハルト・トロイヤード。サウストリア解放戦線のリーダーであり、君の恋人を含めた市民を大勢殺めた犯罪者でもある」

 それはまるで行く末を示す篝火かがりびのようで。

「元第44ハウンズ小隊少尉、コールサインは『エンドウォーカー』」

 語り口には微塵の揺らぎも感じられず、静かにここではない一点を見つめていて。

「彼は裏切者の魔女イリア・トリトニアと共に国家転覆を狙っている。お前には彼らを暗殺する手助けをしてほしい」

 そう、告げた。

「……どうしてオレを」
「復讐といった負の感情は人の生きるための大きな糧となる。俺はそういった人間を集め、訓練し、国家非公認の独立組織に勧誘している」
「ハッ、言っちゃなんだが素人だぞ。務まるとでも――」
「お前は忘れたのか? あの時の感情を。大切な人間を奪われたあの屈辱を」

 腐るレックスに中年男性が襟首をきつく正す。

「……あんたの、あんたの名前は」
「ただ『ハンドラー』と呼べばいい」
「調教師……? 本名じゃないんだろ」
「名前など大義の前には些末さまつなことだ。覚えておけ」
「それで『ハンドラー』、オレは何をすればいい」
「先ずはキャンプで訓練を受けてもらう。999スリーナイン

 ハンドラーの合図で一人のスーツに身を包んだ男性が闇より浮き上がった。
 歳はレックスよりも少し上だろうか。
 長身だが衣服の上からでもはっきりと分かる筋肉質の身体。
 ハンドラーと同じ赤髪に青い瞳。端正な輪郭線には醜い傷跡が残っている。

「……親子か?」

 風体の似通ったハンドラーと999スリーナインを交互に眺め、レックスが訝し気に尋ねた。

「遺伝子情報は一致するが『俺』はエーテル体を元に造られた――」
「……999スリーナイン

 流暢に語る999スリーナインにハンドラーはゴホン、咳払いを一つ。

「レックス・モートン。我々と共に戦ってくれはしないだろうか。ベルハルト――いや『アルター7の災厄』からこの星を守るため」

 ハンドラーが見つめるは先にも後にもただ一つ。
 局地的なエーテル嵐に巻き込まれた時に見たあの光景。
 それは、星の全てを覆い尽くす終焉の炎を歩むベルハルト・トロイヤードの姿だった。


  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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