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 千歳は物部と通信をする小部屋に入った。

 相変わらずパソコンとカメラがあるだけの殺風景な部屋だ。

 一体持ち主と管理者は誰なのだろうな、と考えたりもするが、千歳にその情報は下りてこない。

 パソコンはすでに起動しており物部のアバターも表示されていた。

 物部
「やあやあ、すまないね、緊急で呼び出したりして」

 千歳
「いいえ、それが自分の仕事なので。いつでも平気ですよ。日常生活に影響しなければ」

 物部
「単刀直入に言っていいかな?」

 千歳
「どうぞ」

 物部
「現在、第三国を経由して人が船で日本に向かっている。その人を日本に入国させるのが今回の目的だよ」

 千歳
「外国人が日本で暮らすには書類が必要ですよね。それはあるんですか?」

 物部
「ないんだよなー、それが。ないから俺たちにお金を払って密入国するんでしょ? まあ、今回のお仕事は密入国さ」

 千歳
「自分の役割は?」

 物部
「ターゲットと一緒に観光客の振りをしてほしい。船には偽装した書類一式を持って秘密裏に乗り込む。ターゲットとご面会したら書類を一緒に持って密入国してくれ」

 千歳
「船にはどうやって乗り込みますか?」

 物部
「停泊するときのスタッフになりすまして、船内に潜入してほしい。船の中で観光客用の服になって、ターゲットと面会。こんなプランでどう?」

 千歳
「正直、船員の制服をどうやって入手したのかが気になりますね」

 物部
「入手なんてしてないよ。一から職人が手作りしたオリジナル作品さ。本物そっくりに似せてね」

 千歳
「業界にそういうのを専門にしてる部署でもあるんですか?」

 物部
「もちろん。制服さえあればどこへでも自由に動き回れちゃうのが現代社会だからね。その人は有名な服飾系の大学を出たけど仕事がなくてうちに来た感じだよ」

 千歳
「面白いですね」

 物部
「じゃあそういうことで。詳細と制服は後日自宅に届けるよ。それじゃあ当日よろしく」

 通信は終了した。

 千歳は自宅へ戻った。

 相変わらず百々が出迎えてくれるが、明日は大仕事になるので気が気ではない。

 百々
「お帰りお兄ちゃん」

 千歳
「ただいま」

 百々と今日の夕食を食べることになった。

 百々
「最近お兄ちゃん忙しそうだよね」

 千歳
「そうだね、忙しいね。学校の勉強とか、仕事とか、副業とか、毎日大変」

 百々
「私も最近はお仕事で忙しいかな? お兄ちゃんほどじゃないけど」

 千歳
「あんまり無理しないようにね。体力的に厳しいって感じたら上司に言うんだよ」

 百々
「うん、大丈夫」

 そんな会話を挟んで、今夜は終わった。

 深夜、何か荷物が千歳の家の前に置かれたのを確認すると、千歳はそれを回収して中身を確認した。

 確かに船員が着ていそうな服だった。

 明日も早いので、今夜の睡眠時間は多少削られそうだ。


 そうして目が覚めて、千歳はさっそく港へと向かった。

 途中、電車を降りている間は非通知で連絡が入り、作戦の詳細と現在の千歳の心境等がモニターされた。

 千歳はこれから入港させる相手が人に危害を加えないかどうか尋ねてみたが、出会ってからのお楽しみらしい。

 少なくとも、協力者である千歳に危害は加えないだろう、とのことだった。

 港に到着すると、通話越しに物部は言う。

 物部
「港に船が到着したみたいだ。今、荷物を下ろす作業を行っているよ。制服には着替えたかな?」

 千歳
「ばっちりです。港のトイレで着替えました」

 物部
「じゃあ、今船着き場に停泊してる船に向かってくれ。そこの301号客室へ向かってくれ。そこでターゲットが待ってる」

 千歳
「了解しました」

 千歳は船員になりすまして船の中に潜入した。

 従業員用の通路を使い、船内へ。

 船の中に入るためには制服さえあれば誰も怪しまない。

 しかし客室に出ると、戻るためにはカードキーが必要だった。

 カードキーがなければ船員用のスペースに入ることはできないようで、ここから先は観光客になりすます番だ。

 千歳の役柄は観光から帰国した日本人という設定らしい。

 千歳は迷わず船の3階へ、エレベーターは監視されているし身動きがとりづらいので階段を使う。

 そして、3階の1号室へ。

 そこには小さな女の子が一人いた。

 千歳
「こんにちは。謎の組織のものです」

 女の子
「こんにちは……よろしくお願いします」

 千歳
「時間がありません。急ぎましょう」

 千歳は客室の隅で着替えると、入国するための手続きを偽装した書類をもって関所を通過した。

 あっさりと職員は騙されて、千歳は国内に入ることができた。

 仕事が完了したことを通話越しに物部へ伝える。

 千歳
「入国に成功しました。案外楽な作業でしたね」

 物部
「入念にした準備してたからね。こういうところで手こずってたら謎の組織なんてできませんよーっと」

 千歳
「この後はどうします?」

 物部
「その女の子の親が迎えに来るから、近くの喫茶店で待機してて。あくまでも一般市民のふりをわすれずにねー」

 千歳
「わかりました」

 というわけで、千歳はリラックスして喫茶店で待機することにした。

 観光帰りのひと時を過ごす一般人と大差ないように。

 まあ、目の前の女の子はどうやらアジア系の人種だ。

 身元調査をされない限り外国からやってきた人だとはだれも思わない。

 おしゃれもそれなりにしているし、まあ、流行に敏感で少し金遣いが荒いかな、ぐらいの印象だ。

 千歳
「あなたはどこから来たのか、聞いてもいいですか? 紅茶だけ飲んで終わりというのも変な話なので」

 女の子
「私は中華から来ました。韓国を経由して日本に入りましたが、なかなか大変でした」

 千歳
「どうして、日本へ?」

 女の子
「家族が日本で仕事をしているので。一緒に日本で暮らそうと誘われまして。だから日本へ」

 千歳
「家族、ですか」

 千歳にとっては最も嫌な単語が飛び出してきたな。

 感動的な親子の再会がこれから起きる。

 千歳の家族は今どこにいるのか全く分からない。

 まったく、物部は嫌な仕事を押し付けてきたな。

 女の子
「でも、助かりました。違法な手段で入国するのは犯罪ですが、それを引き受けてくれて、私は家族と再会できます。ありがとうございます」

 千歳
「お気になさらず、お金は支払われているのでしょう? これはサービスの一つでしかありませんから」

 女の子
「でも、ありがとうございます」

 しばらくして、女の子の両親が喫茶店に入ってきて、女の子を迎えた。

 家族は感動の再会を果たしたのだ。

 それも、千歳の違法行為によって。

 千歳はその一家に感謝の言葉を述べられて、帰路に就いた。

 千歳は終始笑顔でいたが、帰り道、コンビニで軽い酒を購入したのだった。

 未成年が労働するようになってから、アルコール度数3パーセントまでのお酒なら飲んでいいことになっている。

 千歳は家で酒を飲んだ。

 ほろ酔いだったが、なぜだろうな、悲しみが心の底から湧いてくるのが分かった。

 千歳は、酒を飲むたびに悲しんでいるな。

 今日の中国人親子の再会は感動的なもののように映ったが、千歳からしてみたら、もう二度と会えないであろう両親のことがあり、最悪の光景だった。

 お酒を飲む千歳を百々が心配そうに眺めていた。

 百々
「お兄ちゃん、平気?」

 千歳
「どうかな、今度ドバイにでも行って遊んでこないと心の穢れが落ちないんじゃないかと思うくらいの感じだね」

 百々
「お兄ちゃんは、今日いいことをしてきたんだよね」

 千歳
「さあて、それはどうかな。百々はお兄ちゃんがやっていることをどこまで知っているんだい?」

 百々
「困った人を助けてるんだよね」

 千歳
「そうだね、困った人を助けてる。助けるのはいいんだけど、助け方が合法じゃない。やっぱりいやなところはあるよね」

 百々
「そうなんだ」

 百々はしばらく沈黙した。

 次に言葉を紡いだ時にはこんな問いかけを千歳にしたのだった。

 百々
「お兄ちゃんは何をもってしていいことと悪いことの区別をつけているの?  今日のお兄ちゃんは人を幸せにした正義の味方でしょう? それを悪いことみたいに言うなんて、変だと思うな」

 千歳
「そうだね」

 千歳は内面同意はしていない。

 今日の千歳は内面真っ黒になりながら一日を終えるのだった。


 次の日、学校へ行こうとしたが、どうにも目覚めは悪く最悪な気分は朝まで持ち越された。

 学校に行ってもみたが、変わらず気分は最悪で、今日は保健室で寝ていることにした。

 お昼休みになっても食欲がわかず、お昼を食べに行こうともしなかった。

 そこへ、唯がお見舞いに来たのだった。

 
「こんにちは」

 千歳
「こんにちは」

 
「顔色、優れませんね」

 千歳
「そうかもしれませんね。連日連夜仕事と勉強の連続なので。まいっちゃいますね」

 そりゃそうだ、休日返上で榛の手伝いをして、中華から密入国を手伝ったら倒れて当然だ。

 明らかに千歳はオーバーワークだと思うんだよね。

 
「お風邪ですか?」

 千歳
「いいや、単なる疲れ。休んでいれば治ります」

 
「そうですね、それなら休んでいれば治ると思います」

 だがな、どうしてか、それだけではないのを唯は解っている。

 
「何か、隠していますよね、千歳さん」

 千歳
「何も、隠してなんていませんよ」

 
「本当にそうでしょうか? 篝さんから聞きました。千歳さん、事件が起きたとき、とても冷静に対処されていたそうじゃないですか」

 千歳
「肝がすわっているもので」

 
「その肝はどこで手に入れられたのですか?」

 千歳
「そうですね、生まれつき両親がいなかったので、自然と身についたんだと思います」

 
「そうですか、それは大変ですね」

 千歳
「大変も何も、親は自分で選べないですからね。受け入れるしかないというか」

 
「千歳さんの母親代わりは誰なのでしょう?」

 千歳
「生活支援課の人かなー。そんなに大したことはできないんですけど、一応身近にいた大人ではあるかな」

 
「千歳さんの身の回りを見ていると、本当に大変だなあ、としか思えないんですよね。私だったら、とっくに倒れているような暮らしをしています。羽を休められる日はありますか?」

 千歳
「ないね。毎日毎日フル稼働だよ。やるせないね、本当に」

 
「……どうしてでしょう、あなたが、とても心配です」

 そういう唯の声は本当に心配そうだった。

 確かにな、土曜日・日曜日両方とも仕事に駆り出されて休まるのは睡眠をとっている間だけというのは非常に不健康だ。

 唯は千歳の事情をすべて把握しているわけではない。

 だが、千歳からにじみ出ている何かを感じ取ってしまうのだろう。

 唯は、そういう能力を持っている。

 千歳
「俺、実は裏で悪いことをしているんだよね。闇バイトっていうやつ。それをやらないと生活費を稼ぎきれないから、やらざるを得ないんだ。お金さえあればそれなりの暮らしを送れるのが現代社会のいいところなんだけど、お金がない家族がないっていう状態になるとやられてしまう。だから闇バイトをやらざるをえない」

 
「そうでしたか」

 千歳
「でも、それで誰かを不幸にしたことは一度もありません。ただ、それだけが救いですね、秘密の組織に属してますけど、それなりに正義の味方なんじゃないかな、と思う時もあります」

 唯は微笑んだ。

 
「じゃあ、正義の味方でいいじゃないですか。世界は高校生の私たちの見ているものよりずっと複雑で、いくら法律で取り締まっても抜け道を見つけてしまうことがいくらでもできる。だから、本当に大切なのは人を思いやる心だと思います。私は千歳さんには人を思いやる心があると思います。だから大丈夫です」

 千歳には人を思いやる心がある。

 唯はそれを見抜いていた。

 確かに、人を故意に傷つけたりすることはないからな。

 勉強ができるからといっておごり高ぶるわけでもなく、誰にでも平等で優しい人が悪い人のはずがない。

 確かにやっていることは悪いことかもしれないが、千歳の心は善のものなのだろう。

 窓の外を見ると、雨が降ってきていた。

 そうか、5月が終わろうとしているんだ。

 梅雨の時期になっているだんな。

 千歳は傘を持っていなかった。

 
「雨、降ってますね」

 千歳
「傘持ってくるの忘れちゃった。どうしよう」

 
「学校に予備の傘がありますよ。それを借りればいいのです。これも無償の愛です」

 千歳
「それは、ありがたいですね。遠慮しないで借ります」

 
「はい、そうしてください」



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