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長編小説『エンドウォーカー・ワン』第9話

「もはやこれまでか……」

 イルデ市に唯一残った支部のおさが苦虫を嚙み潰したような顔で言葉を漏らした。

「どうします支部長。ここが割れるのも時間の問題かと」
「分かっている。だがな……」

 初老の男性は悩んだ。
 自分たちの組織はそれぞれが独立した指揮系統を持っており、情報は共有しながらもこうした事態に備えて柔軟に運用できるようになっていた。
 だが、禄に訓練を受けていない各所の連絡員の口が固いとはいえず、次の瞬間にでも兵士たちが飛び込んでくるかもしれないという緊張の糸で場が張りつめる。

「……現時点をもって当組織は解散だ。よって、本日予定していた脱出作戦は一旦白紙とする」

 構成員たちの視線を一身に受け、白髪の男性は絞り出すように言うた。

「そんなっ、この日の為にどれだけの時間と同胞を犠牲にしてきたと思っているんですか!?」
「それは私が一番知っておる。だが、彼らの骸が引いた道の上にこれ以上の血は流せない」
「支部長!」

 白髪の男性の襟首を青年が両手で掴む。
 その場に負傷した脚を庇う松葉杖を落として。

「レイ。傷に障るだろう、落ち着くんだ」

 支部長の男性は詰め寄る青年の腕を静かに払い、幾度の戦乱で濁ったまなこで若々しい光を見つめる。

「詳細は明かせないが、近日中にサウストリア特殊部隊がイルデ市の奪還を計画していると聞いた。従軍経験者はその際に協力すること。その他は待機だ」
「それって」

 レイの強張った身体から力が抜けていく。

「繰り返す。『組織は解体』する」

 支部長は再度そう宣言すると、狭い室内に詰め込まれていたざわつく構成員たちを掻き分けながら開き扉に手をかけた。
 彼はそこで改めて室内を振り返る。
 そこには愛国心だけではない、自分の家族や友人、土地を守ろうとするサウストリアの民たちが居た。
 世界的に見ても「サウストリアは長い冷戦状態が続いて平和ボケが出始めている」と揶揄やゆされてはいたが、始まってみればそうではなかったなと白髪の男性は安堵の息を残してその場を後にした。

「支部長っ」

 部屋を出たところで瑞々しい声が彼に投げかけられる。
 見張りとして立っていた――いや、カモフラージュにボール遊びをしていた少年が赤髪を揺らしながら初老の男性の元へ駆け寄っていく。
 中での会話は聞こえていなかったようで、未だに命令を待つ子犬のように尻尾をぶんぶんと振ってるように男性の目には映った。

「……ベルハルト。WAWは操縦できるな? お前に任せたい仕事があるのだが」
「出来ます。シミュレーションだけなら世界ランカーにも負けやしないって!」

 ベルハルトが自慢げに自分の薄い胸を拳でトンと叩く。
 この星――アルター7の開発の際にWAWは建築作業などで活躍し、今や民間・軍事ともに中核を支える機械の一つとなっている。
 選択制ではあるが、小学生の頃より仮想空間での操縦訓練の場も設けられていた。
 彼はゲーム感覚で始めたのだが齢僅かでその頭角を現し、通常は習得に半年かかると言われている操縦技術を始めの一か月で習得し、それでは飽き足らぬと公開されている軍事プログラムを用いたインターネット対戦にはまり込んだ。

 力無き少年はネットコードで構成された電子世界で光を見た。
 現実世界では虐げられている弱い自分が、その世界では大人たちと対等以上に渡り合えるのだ。
 彼にとってWAWとは単なる機械ではなく、拡張された自らを動かす力、存在理由。
 それはリカルドが残した言葉――まるで「心臓」のようであった。

 戦時下において「足手まとい」とまで言われたベルハルト。
 気勢だけは一人前で、燻っていた幼い彼にあてられた「仕事」はまるで強制力を持つ呪縛のようなものだった。
 幾多の涙を越え確実に少年は成長していたが、それでもまだ未成年であるという事実は変えようがない。

 支部長は彼の純粋な眼差しから目を逸らして「街外れに廃材集積所があるだろう」と言葉を濁す。

「明朝6時、そこに向かい連絡員と接触し工業用を改造したWAWを受領。市民の退避完了まで時間稼ぎを頼む。詳細はこの紙に」

 しわがれた手が一切れのメモをベルハルトに託した。
 少年はそれが何を意味するかも知らず「任せてくれよ」と精一杯の虚勢を張る。
 明らかな焦燥感が心の奥底から彼を突き動かしている。
 決意に満ちたその顔は口をきつく結ぶことなく、きっと満足そうに笑っていたのだろう。

「分かりました。では、明日」

 ベルハルトは疲弊していたがいよいよ皆の役に立てるという高揚感で満たされ、不安や恐怖といった感情は置き去りにされていた。
 それは視野の狭さ故にだろうか。
 有り余る活力でモノクロームの街中を駆け巡った。

「イリアっ、いよいよ俺にも出番が回ってきたぞ!」

 少年は家に戻るが早いか、二階へ上がると幼馴染の少女の部屋を勢いよくけた。

「ふぇっ……?」

 ベッドから眠気にまみれた声があがり、乱雑に散らばっていた銀線がむくりと上半身を起こす。
 とろんとした大きな紅色の瞳をゆっくりと部屋の入口に持っていき、眠りこけていた頭を始動し始める。
 そこには息を切らせたベルハルトが無遠慮ぶえんりょな視線を彼女のパーソナルスペースに向けている。
 途端に頭にかあっと血が昇ってくるのを感じたイリアは「ベルの馬鹿ぁ! 部屋に入る時はノックしてってあれほど言ったでしょ!」と手元の枕をデリカシーの欠ける少年に投げつけた。

「見られて困る物なんてないだろ。お前の部屋、綺麗じゃないか」

 ベルハルトは渾身の力で投擲された軽々と受け止め、緩く投げ返す。
 イリアの部屋を覗くのは初めてではなかったのだが改めて見ると年頃の少女らしいもので溢れていた。
 くすんだキラキラの玩具の魔法ステッキ。
 何かのアニメキャラクターたちのアクリルスタンドがデスクの上に並び、それらには埃一つ付いてなかった。

「あっ、あまりジロジロ見ないでっ」

 イリアは興味津々な少年の視線を全身で遮り、恥ずかしそうにあちらこちらへ跳ねていた銀線を手櫛で整えながら言った。
 彼女としては同居しているとはいえ、あまり情けないところを少年には見られたくないのだ。

「いいだろ。別に減るものでもないし」
「いーから! 少し出てて!」

 少女は抵抗するベルハルトを部屋の外へと押し出す。
 ドアに鍵は掛けられなかったが、そう厚くはない木の合板越しに「一体何だっていうんだよ……」という彼のぼやきが聞こえた。

 何故だろう。
 ここまで意識することなんて今までなかったというのに。
 イリアの中でベルハルトに対する想いは少しずつだが、着実に変化していくのだった。


  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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