見出し画像

11

 ゴールデンウィーク二日目。

 千歳は昨晩の先生との会話を思い出した。

 りんごと言い表しても、先生が思い浮かべているりんごと千歳が思い浮かべているりんごは違う。

 果たしてそれがどのくらい重要なのかはわからないが、軽めのアルコールを飲んだ千歳は泣いた。

 どうやら、自分は悲しんでいるらしい。

 こういう時にどうしたらいいのか、千歳にはわからない。

 千歳は悲しい気持ちをどうやってやり過ごしたらいいのか分からないのだ。

 そうして自室のベッドで天井を眺めるだけの作業をしていると、途方もない虚しさに襲われるのだった。

 なるほどな、こういう感傷を味わうから社会人はある程度酒を飲まないとやっていけないわけだ。

 あるいは、欲望のままに金を使ったりしないと精神が持たないのだ。

 お金を使わないでひたすら貯金出来たらそれがいいかもしれないが、千歳も感受性のある人間なので、多少は遊ばないといけない。

 ぼんやりスマホを眺める。

 すると篝から連絡が来ていた。

 一緒に横須賀へ行かないかと誘われていた。

 横須賀に何があるのか尋ねてみると、案の定海軍の基地があるらしい。

 少し悩んだが、そうだな、たまにはいいんじゃないだろうか?

 旅費はすべて篝が支払ってくれるそうで、千歳はノーリスク、これは行ってみるしかない。

 遊びに出かけないと疲れて倒れるだけなので。


 そんなわけで、千歳はスマホと財布と少しの荷物を持って篝との待ち合わせ場所に向かうのだった。

 待ち合わせ場所に向かうまでワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら。

 聴いていた音楽は相変わらず虚しさに満ち溢れた曲が多い。

 どういうわけか、スマホのAIは千歳が悲しんでいることを察しているのか、悲しい曲を自動的に流してきた。

 AIには感受性があるのではないかと疑ってしまうほどにAIの流してくる曲は的確だった。

 横須賀まで電車一本で行ける東京駅に到着した千歳は、篝の姿を探した。

 いた。

 
「千歳さん、待ってました。いい天気ですね。今日はお元気ですか?」

 千歳
「そうだね、元気」

 
「そうでしょうか? 顔色は優れないようですけど?」

 千歳
「ああ、分かる? ごめんね、隠しても仕方ないから言うけど、なんだか篝さんみたいに人生を楽しんでいる人を見ると、げんなりするんだ」

 
「あ、幸せに傷つけられるってやつですか?」

 千歳
「いや、そうじゃなくて、まあいいや、早く電車乗らない?」

 
「まあ、そう慌てずに、折角の旅なんだから、ゆっくり行きましょう」

 そう言って篝は東京駅に隣接している喫茶店に千歳を誘うのだった。

 駅の中にある喫茶店なのだが、千歳には縁遠い小ぎれいで若者受けしそうな喫茶店だった。

 二人のほかには同じくゴールデンウィークを楽しんでいる観光客やカップルが多い。

 千歳の態度や仕草から、千歳はこういうお店が初めてだな、と勘づき、篝は一つアドバイスをする。

 
「そんなに緊張しなくても大丈夫、適当にお茶を飲んで雑談してればいいだけだから。あ、ここは私の奢りね」

 なんだか、ひたすら奢られてばかりだ。

 そうして、千歳はアイスのストレートティーを、篝は抹茶パフェを注文して席に着いた。

 紅茶を奢られた千歳は、自分が貧乏人として認識されているのだな、と確信した。

 交通費もその他のお金もすべて篝持ち、まあ、金持ちなら割り勘という選択肢を除外できるな、とも思った。

 友達と遊ぶお金は全部自分が出す、なるほど、お金持ちは貧しい人と遊ぶときこういうことをするのか。

 篝はカバンから取り出したタブレットで写真を表示する。

 
「これが戦艦ぺらぺらぺらぺらで、凄いですよね?」

 千歳
「そうだね、凄いね」

 
「千歳さん、楽しそうじゃないですね」

 千歳
「だって、これから篝さんが楽しくしてくれるんでしょう?」

 
「そ、それもそうですね」

 篝は抹茶パフェを食べるのだった。

 ゆっくり、ゆっくり、でも抹茶アイスが溶けてしまわない絶妙なスピードで。

 普段から食べ慣れているんだろうな、と千歳は思った。

 駄菓子なら千歳も食べるのだが、喫茶店のパフェなんて食べたことない。

 だから、篝がおいしそうに食べるパフェを見て、金持ちの道楽だな、と思ってしまうのだった。

 貧乏人の心が清く美しいとは言わないが、贅沢三昧の金持ちを見てしまうと、ルサンチマンを禁じえない。

 が、一見するとハイプライスそうなパフェもその実2040年の価格で5000円程度であり千歳も買おうと思えば買えるという、貧乏人特有の偏見のおかげで千歳はこんな感情を味わってしまった。

 しかしながらまあ、錯覚といえども嫉妬の感情は辛い。

 でも、これから篝と一緒に遠くへ行くのだから、どんな態度を見せられても、素直に楽しい思いをすればいい。

 違う人間なのだから気に入らない部分は、多少はある。

 寛容にならないとな。

 それが普通の人間というものだ。

 千歳はグラスに注がれたアイスストレートティーを飲み干すと、篝がパフェを食べ終えるのを待った。

 おいしそうに食べるなあ。

 こうして見ると、戦艦が好きという一風変わった特徴を除けば、いろいろなものが普通の女の子に見える。

 お金持ちの家に生まれたから特別な存在なんだな、ということはなく、目の前には普通の女の子がいる。

 対して千歳はどうか。

 普通の16歳といえるだろうか?

 それを自問自答し、やはりな、篝の見ている風景を千歳は見ていないんだな、と悟らざるを得ない。

 16歳の学生という言葉で千歳と篝をひとくくりにすることはできない。

 先日先生が言っていた林檎という言葉への引っ掛かりの意味をなんとなく理解した。

 
「どうしたんですか、そんなにじっと見て?」

 千歳
「ああ、ごめん、スマホでも見ておけばよかったね」

 
「いえ、別にいいんですけど」

 気まずい空気になっただろうか?

 いや、微妙なところだ。

 ふと篝はこんなことを聞いてきた。

 
「千歳さんは去年のゴールデンウィークは何して過ごしたんですか?」

 千歳
「いや、別に。子供のころから貧乏だし、休みの日にできることは何もないよ。自宅でボーっとしてるだけ」

 
「ああ、それはそれは。私は親に連れられて旅行に行くこともよくあるんですけどね」

 千歳
「うらやましい。俺にはそういうことは全然ないな」

 これは嘘である。

 千歳は千歳で休みの日はそれなりに忙しかった。

 16歳になって仕事に駆り出される以前から、夏休みも冬休みもゴールデンウィークも忙しかった。

 中華へ積み荷を受け通りに船に乗り込んだことが何度かある。

 今年は先日一仕事したから暇なのであって、本来なら千歳はこうして喫茶店に入ることもない身だ。

 
「私、家がお金持ちなので、あんまりそのこと人に言えないんですよね。周りは普通の家庭だらけだし、お金があることを知られたら、みんな距離を置いてしまう。でも、千歳さんは違いましたね」

 千歳
「そうだね、すべての人を平等に見てるから」

 
「平等というより、千歳さんの場合、全部見下しているだけでは?」

 千歳
「痛いことを言ってくるな」

 
「ああ、ごめんなさい、私空気を読めないところがあるので」

 千歳
「空気とかじゃなくて、相手に失礼とか思わないわけ?」

 
「ごめんなさい、それは言われないとわからないです」

 千歳
「ふーん」

 あれか、篝は相手に正論を言って丸めてしまうタイプの人なのだな、と千歳は思った。

 意見が対立したときに相手の気持ちを考えず一方的に何かを言ってしまう人だな、とも思った。

 まあ、そういう相手でも仲良くやっていくためにはどうしたらいいのか考えるのが千歳という生き物だ。

 聖なる人だよ、全く。


 そうして二人は喫茶店を出て電車に乗るのだった。

 話題は合わなかったが、千歳は篝の語る話をひたすら聞いて、電車の中では過ごしていた。

 そして電車から見える風景が都会の超高層ビル群から低層ビルになる。

 多摩川の河川敷は無政府主義者たちが住み着いていて独自の街を作っているが、川崎に入るころにはすぐに低層ビルと団地風景になった。

 多摩川の河川敷は昔、野球場などの広場があったらしいが、今となっては誰も手入れをせず、1万人以上の無政府主義者たちが集落を作って自給自足の暮らしを送っているらしい。

 その時、篝はこんなことを言うのだった。

 
「私のお父さんがやってることって、一般の人から結構非難されてるんだよね」

 千歳
「ふーん」

 
「私は船が好きなだけなのに、お父さんがやってること、軍拡行為だって非難してる人がたくさんいる」

 千歳
「そうだろうね、なんだかんだ日本は平和主義だから」

 
「平和かー。今でも地球のどこかで戦争が起きてて、私たちの国もいつ戦争になるかわからないのにね」

 千歳
「仮に戦争が起きたらお父さんのやってることが報われるってこと?」

 
「ううん、私は報われて欲しくない。お父さんがやってること、全部無駄になってほしい。ただ、戦艦は好きな人たちが見て楽しんで、お祭りのときに国旗を掲げるくらいでいいと思ってる」

 千歳
「ふーん、でもそれだと、お父さんがやってることが無駄になっちゃうね。軍隊にお金出しても平和を貫かれれば徒労に終わる」

 
「徒労に終わればいいよ。戦争は、テレビゲームの中でやるから楽しいんだから」

 千歳
「そうだね」

 
「千歳さんは、将来の夢って何?」

 千歳
「特にないよ。自分の手の届く範囲、それを守れればいいと思ってる。今は家族に百々がいて、百々の暮らしと自分の暮らし、それを守っていければ十分、国家の安全とか、そんなのほとんど気にしてない。だから、本当のことを言えば軍艦にはあんまり興味ないよ」

 
「手の届く範囲、じゃあ今私は千歳さんに守られているのかな?」

 千歳
「そうかもしれないね。クラスメイトだって仲間だもん」

 千歳がそう言った瞬間、それは起きた。

 ちょうど、列車が横浜駅を通過した時だった。

 千歳と篝が乗っていた車両より一つ後ろの車両で、巨大な爆発が起きた。

 二人は爆風で飛ばされて、列車の床に投げ捨てられた。

 電車は緊急事態だと理解したのか停車して、駅に停車する。

 
「あーあーあー、あーあーあー」

 何が起きたのかわからず篝はうわごとを言った。

 千歳は、肉体が痛めつけられたのか直ぐには動けなかった。

 それもそのはず、とっさに篝が床に直撃するのを身を挺してかばってしまったから。

 篝はそんなことにも気づかずうわごとを言い続ける。

 痛みがだんだん引いてきた千歳はそんな篝を見て、テロが起きたな、と直感したのだった。

 残念、篝の言う平和は終わってしまったのだ。

 篝の反応もいい得て妙だ。

 放火などの犯行は炎が燃え広がるが意外と静かで決定的恐怖にはなりえない。

 しかし、爆発となると話は別だ。

 普通の人間は何が起きたのかわからず立ち尽くしてしまう。

 千歳
「篝さん、聞こえますか? 平気ですか?」

 
「あっ、あーう」

 千歳
「大丈夫ですか、頭をうっていませんか? 動けますか?」

 
「あ、、、へ、平気、痛いところ、ない」

 千歳
「逃げますよ、安全なところまで」

 
「あ、うん」

 千歳
「立てる?」

 
「え、えっと、ごめん、足がすくんじゃって」

 千歳
「じゃあ、抱えるから、あんまり動かないでね」

 篝を両腕で抱きかかえると、千歳は開いた電車のドアを通り抜けて駅のホームに出る。

 駅のホームは混乱しており、逃げられる人はすでに逃げていた。

 爆発のダメージをそれなりに負った二人は逃げ遅れているほうで、周囲に人はまばらだった。

 千歳は駅のホームから階段を下って安全地帯へ向かう。

 これから次の爆発が起こらないとも限らない。


 一息つける場所まで来ると、篝は一人で歩ける意思表示をして、千歳の隣に立った。

 
「凄いね、爆発が起きたのに、千歳さんは眉一つ動かさない」

 千歳
「どうしてだろうね、そんなやわな人生送ってないから」

 
「ええっ、国防軍で訓練とか?」

 千歳
「そんなんじゃないってば。16歳の少年が受けられるわけないじゃん」

 
「でも、それだと色々変だよ、だって後ろの車両で爆発だよ、怖いじゃん」

 篝の声は、少々おびえていた。

 何におびえているのか?

 恐らく爆発ではなく、千歳がとってみせた行動、態度。

 そこから推察される千歳の片鱗、正体のよくわからないクラスメイト同士だったが、思わぬ形で篝は千歳の片鱗を知ってしまった。

 反応と対応が、素人ではない。

 
「千歳さんは、何者なの?」

 千歳
「ただの、貧乏なクラスメイトだよ」

 千歳の目に嘘偽りはなかった。

 確かに少し曇っていて純粋無垢な目ではなかったが、嘘をついている目ではなかった。

 だから篝は千歳の言うことを信じざるを得なかったが、どうしてもぬぐえない違和感。

 千歳のことを異世界人と言い表したこともあったが、あれが現実味を帯びてしまう瞬間。

 
「千歳さんだよね?」

 千歳
「そうだけど」

 
「こ、これからどうしようか?」

 千歳
「電車動いてないって。しばらく戻れないね」

 
「そっか」

 二人はその場に立ち尽くした。

 勇敢だった千歳も今ではそのなりを潜め、いつもの千歳に戻っていた。

 
「守って、くれたね」

 千歳
「そうだね。手の届くところにいたから」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?