長編小説『エンドウォーカー・ワン』第3話
リカルドがこの街から発ち一週間後。
他に身寄りのないベルハルトはトリトニア家に身を寄せていた。
「ベルぅ、一緒に遊ぼうよー」
居候の彼に宛がわれた部屋のドアが断りもなくがちゃりと開き、銀の少女が顔を覗かせる。
イリアの甘ったるい声が聞こえたが、ベルハルトは書類の散らかった机に向かったまま「少し待ってくれ」と片手で制した。
ベルハルトはスマートフォンを使いこなすが、新聞記事などは普段読まない。
だが、世が父親を戦場へと送った理由を知るために手を広げ、一つのメディアだけに絞らず広域から情報を取り込んでいた。
「10分前にも同じこと言ったぁ。あまり勉強ばかりしてるとガリガリになっちゃうよ?」
「分かったわかった。あともう少ししたら行くから下で待っていてくれ」
「もぉ! どうなっても知らないからね!」
頑なに動こうとはしない幼馴染にイリアは腰に手をあて、薄い胸板を反らして怒りを顕わにする。
――私が……ベルが好きと言ってくれたこの私が誘っているのになんて反応なの。
イリアは下り階段の踏み板を抜かんとばかりに荒い足音を響かせながら一階へと降りる。
「こら、階段は静かに降りなさいと言っているでしょう」
「でもお母さぁん、ベルがー」
イリアがベルハルトを言い訳にするが「年上のあなたが感情的になってどうするの」と、膨れっ面の少女を窘める。
「それに『お母さん』ではなく『母様』と呼ぶように言ったでしょ? いつまでもあなた子どもじゃないんだし」
「んぅー……どうしてもその呼び方じゃないとダメ?」
「そんな顔をされてもねぇ」
家としての在り方と一人の母親としての感情がぶつかり合い、思わず苦い表情を浮かべる。
母娘だけの静寂は数秒と持たず「今帰ったぞ!」と季節にそぐわない真夏のような声が玄関から響いた。
「おとーさん!」
熊が服を着て直立しているような男性にイリアが飛び付く。
「はははっ、我が娘よ。18時間ぶりだな、元気にしていたか?」
「元気だよー」
立派な髭をたたえた父親がイリアを両手で持ち上げ、剛毛を彼女の柔肌を傷付けないような絶妙な力加減で頬擦る。
「あなた、お帰りなさい。状況はどう?」
「快進撃と言いたいところ……なのだがな。イリア、少し二階に行ってベルハルトの相手をしていなさい」
「……はーい」
イリアは父親に言われ、母親と目配せをした後に今度は足音をなるべく立てずに階段を駆け上がっていく。
その途中で神妙な顔つきで一階に向かって聞き耳を立てているベルハルトの姿が見れた。
「ベル?」
「しーっ」
「こんなところで何してるの?」
「いいから少し黙っててくれ」
少年は物言いたげなイリアの口を塞ぎ、好奇心を強く示す幼い光を階下へ向け続ける。
「――表向きは小規模の衝突となってはいるが、現場は規模なんて関係ないさ。こうしている間にも銃弾が飛び交い、尊き国民たちの血が流れている。本音を言えば元は同じ国民だ。できるだけ政治家連中には事態の早期収束に努めて欲しいと思っている」
「だけど前線の部隊がいつまで持ちこたえられるか……」
「『南の亡霊』として恐れられたヤツが率いる部隊だ。簡単にはくたばりはしないさ」
「父さんのことだっ」
一階での会話を盗み聞いていたベルハルトが目を輝かせながら呟く。
彼は表面上は冷静を装っているが、それは薄氷の如く一歩足を踏み入れれば内情が顕わになるほど脆いものだった。
正義の味方を夢見ている割には俗っぽく、感情的になりがちで涙脆い。
困っている人間を見れば厭うことなく助けに入り、いくら裏切られても人を信用し続ける。
それがベルハルト・トロイヤードという少年だった。
まだ年端もいかぬ彼らの月日の流れはとてつもなく早い。
その間、3か月だけとはいえ早くに生を受けた少女にはベルハルトは弟のようなもので、彼に対して年上ぶることで自己肯定欲を些か満たしていた。
恋に憧れを抱く年頃ではあるが、それを加味してもお互いに惹かれ合うものがあった。
今、身を寄せ合っていて頭に血が滾っているのは自分だけなのだろうか――
イリアは嬉しそうに話に集中している思い人の横顔を見つめ、不機嫌そうに頬を膨らませる。
彼女の両親の話ではサウストリア国防軍は善戦を続けてはいるが、戦闘行為に過剰反応する自国民から非難の声があがり議会も専守防衛を貫こうとしているため、大部隊を送り込めずにいるのだと。
「いずれここも戦場になるだろう。女、子どもたちだけでも早めに避難させねばだな」
「私はここに残ります。南の『魔女』ともあろう者が逃げ出しては示しがつきません」
「おいおい、ミルヴァよ。俺は帰る場所を残しておいてくれ、と言ってるんだぞ?」
「では尚更。共に活路を見出しましょう」
「全くお前ってヤツは。しかし、子どもたちを守ってもらわんとな」
がははは、とイリアの父親が豪快に笑ってみせる。
「避難、か」
逃げてにげて逃げ回って。行き着いた先がここであるベルハルトはとある思いを胸にイリアから離れると自室へ戻っていく。
その瞳が宿す光が意味することをイリアが理解できる由もなく、ただただ先を行く彼に自分が置いていかれるような焦燥感で身を焦がす思いだった。
「ベルも、どこにも行かないよね……?」
それは黄金色の世界で結んだ約束。
問いに答える者はなく、少女はただ虚空を見つめるのだった。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project
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