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【のり蔵】(横浜中華街)

横浜喫茶あなたこなた 番外編

【のり蔵】(横浜中華街)

「生きているうちに、誰かに御馳走したいと思っていた」

 太宰治の『斜陽』でヒロインの弟・直治が抱いていたひそかな目標である。

 彼は訳あってその夢を遂げられなかったが、大雨の土曜日に私はあるパン屋の入り口に並んでいる際、不意にその一文を思い出した。


 15日の作業所の帰り、懐には工賃があった。

 だが作業所の外に出ると大粒の雨が石畳に打ち付けて、新緑の香が街に沁みるようだった。

 喫茶店にいく気分には余りなれなかったが。

 せっかくなので中華街で何か買い食いして帰ろうか、と看板を見ずに歩を進めた。

 馬車道に、雨がよく似合うのはどうしてだろうか。

(きっと、100年も前から色々な出会いと別れの地だったからだろうな)

 見知らぬ誰かの話でも、今日この場所で別れ話をする男女がいたら一生忘れない。

 確実にサマになるだろうから。

 この港町は万華鏡のように曲がり角ひとつで表情を変える。

 あっという間に赤い門がそびえ立ち、連なる中華提灯が揃って私を見下ろす小さな異国へ足を踏み入れた。


 さて。

 この中華街の片隅、昔ながらの木造住宅の連なる裏路地に色鮮やかな和紙のランプが提げられただけの瀟洒なパン屋がある。

 平日に行くと毎回閉まっているのでダメ元で路地に入ってつかつかとその場所へ。

 もう既に数人いる。店の中で人がパンを選んでいる…開店しているようだ!

 一も二もなく列に並ぶ。入店を待つ中(5分もたたずに案内されたが)母に電話を掛けた。

(母さん、かなりのパン好きだしなぁ…)

 と何となくスマホを開いたのだが、電話して正解だった。

「明日の食パン買ってきてー」

 と、ついでにお遣いを頼まれてしまったが。

 そうこうしている内に店内の扉を開ける。

 内装は、さながらおばあちゃんの家だった。

 手作りの繭玉や折り紙で出来たアヤメがディスプレイされ、トングの持ち手は着物に使われる縮緬に覆われていた。

 菓子鉢のような赤いトレーを持つ。

 母にはコーヒーロール、父にはカレーパンと選んでいてまず思ったのはただひとつ

(トレーに乗っけるのも一苦労なくらいに、ちゃんと大きい!)

 …である。杏子あんずの乗ったものと、モンブランペーストが盛られたものとの2種類のデニッシュを選んだがどちらも落としそうな程ずっしりと重かった。

 頼まれた食パンも会計口で頼み、家紋を思わせる店のロゴが入った袋を提げて帰路を急いだ。


 今回は家に帰った後の話も付け加えなくてはならない。

 帰宅するや否や、私はダイニングテーブルに座り杏子のデニッシュを袋から取り出してぱくついた。

 デニッシュ生地から小麦の芳醇な香りが広がり、杏子の下にはふっくらした大粒の小豆が潜んでいた。だがちっともやりすぎではない。

 余りに私が美味そうに食べていたのか

「お店の名前ネットで調べようっと」

 と母はスマホで色々調べていた。翌日の朝は

「中華街行く事あったら覗く!」

 と言ってコーヒーロールを頬張っていたが。

 妹は『かぶりついて』いたそうだ。彼女はこの頃就活が大変そうなのであのパンが僅かでもエネルギーになればいいが。

 父は黙々とカレーパンを食し一言

 「上品な味だった」

 と頷いていた。私も一口貰ったがホテルのパン屋さんに置いてあってもおかしくないパンだった。

 独りでカフェに出向くのとは違う収穫があった。

今度はカフェか洋食屋さんにでも誰かを連れて行ってあげられれば、良いが……。




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