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土曜日の夜。
千歳はスマホのトークに番号を入力して物部に発信した。
それは明日の活動を欠席する旨の連絡だった。
余暇が必要なのは犯罪者も同じなので千歳が所属している謎の組織には当然有給休暇もある。
専門で謎の組織に所属している大人たち(物部含む)はタイムカードまで押す徹底ぶりらしい。
そんなわけで、千歳は明日お休みになった。
しばらくして物部のトークに既読が付き、馴れ馴れしくどうしてお休みするのか尋ねてきた。
極秘回線でもないのに随分と大胆な話をしてくるな、と思ってもみたが、千歳は素直に、明日クラスメイトと楽器屋さんに行く旨を伝えた。
すると物部からの返信には「青春だねー、レモンの香りだねー」とあった。
千歳はそれ以上何も言わなかったが、きっと画面の向こうで物部は少々心躍っているのだろな。
明日は朝早いというわけではないが、千歳は素直に床に就くのだった。
次の日の朝、百々がスーパーで買ってきた食パンを梓と一緒に食べているのを目撃した。
千歳
「ずいぶん仲良くなったね」
梓
「そうだね、百々ちゃんはとってもいい子だから」
百々
「お兄ちゃんも朝ごはん食べる?」
千歳
「食べるよ。食べなきゃ腹が減って動けなくなるからね」
そう言って千歳は生のパンを食べようとするが、梓はこんなことを言った。
梓
「ジャムは?」
千歳
「いらない」
梓
「ジャムを塗った方がおいしいよ」
千歳は何かを言いたい気分だったが、ここは空気を読んでおくのが正解だなと思っていちごジャムを塗るのだった。
たかだか食パンを食べるためだけにジャムを塗る行為が千歳には煩わしくて仕方がない。
なんだか、梓が家に来てから千歳の食生活はこんな感じで煩わしいものになった。
女子力が上がったというか、ご飯がおいしくなったのだ。
梓は普段千歳が食べているご飯をまずいと言い、自炊をしたりおいしいご飯を勧めてくれるようになった。
こういうことができる人間がどうして両親から嫌われるのか千歳は理解に苦しんだが、それでは現状が説明できない。
それに、今はそれを考える時間ではない。
今日は四季と一緒に楽器を見に行く日だ。
梓
「千歳君、今日はどこかお出かけ?」
千歳
「そうだけど、どうしてわかったの?」
梓
「千歳君が人と会う服装してるから。やっぱり服は大切だったりする?」
千歳
「そうだね、大切だよ。相手から信頼を勝ち取るにはやっぱり服が大切だね」
梓
「信頼かー。へー」
意味深な言葉遣いをした後、梓はいちごジャムが乗った食パンを一枚食べるのだった。
千歳は行ってきますと一言言った後、家を出る。
それから駅前の高層ビルに入り、四季と待ち合わせをした場所までやってきた。
待ち合わせ場所にはへんてこな銅像が設置されていて、千歳の目にはあれが失敗作にしか見えなかったが、高名な芸術が堂々と展示されていたら千歳のような人がやってきて盗んでしまう。
だから、あの像はここにあることが重要で金銭以外の価値を人々に提供している。
今の世の中、ここまで良心的な価値あるものは珍しい。
四季は千歳が来るよりも先に像の前に立っていた。
相変わらず真っ黒な服装に真っ黒のマスク。
いったいどこの世界の住人だろうと思ってしまうから他の人は避けているが、こう見ると、芸能人が人目を避けてカモフラージュしているようにも見える。
千歳
「お待たせ」
千歳は右手を胸の位置まで上げてそう挨拶する。
四季
「おはよう。結構待ったかな?」
千歳
「どのくらい?」
四季
「2時間くらい」
千歳
「ごめん、ちょっと失礼」
千歳はそう言ってからスマホの時刻を見た。
確かに時刻は四季との待ち合わせ5分前なのだが、どうやら四季が早めに来たらしい。
千歳
「なんだか、あらかじめ下見とかしてたの?」
四季
「違うかなー。お昼になったら礼拝をしなくちゃいけないから、それをバックレるため」
千歳
「へー」
変な話だが、千歳は四季にこう尋ねてみた。
千歳
「四季さんって、意外と今の暮らしに不満とかあったりする?」
四季
「よくわかったね。毎日の仕事が大変だし、家に帰っても家事をやらされるし、勉強は大変だし、それなのに嗜好品は厳禁。本当にやってられないと思わない?」
千歳
「へー、四季さんって意外とヤンキーなんだね」
四季
「反抗期ぐらい誰でもあるって。私はそれが少し長いだけよ」
千歳
「さて、果たしてどうやら」
四季
「何か言った?」
その時の四季の声には少しどすが入ってた。
いつものクールな印象は隠れて、どこか怒りというか、そういう感情が混ざっていた。
今日は千歳と楽器を見に行こうとしているのだが、なんだか、この調子だと四季と演奏するのはパンクロックになりそうだな、と千歳は思った。
でもまあ、四季がその芸風で行くなら千歳に止める権利はない。
千歳は四季がどんなルールで暮らしているのか十分に理解していないが、子供がやったことだからとある程度は見逃してもらえると考えている。
千歳
「じゃあ、楽器屋さんはこっち」
四季
「分かった」
千歳は四季の前を歩いて先導して、楽器屋さんまでたどり着く。
四季
「このギター、いいね」
四季は弦が5本ある楽器を見てそう言った。
が、それは。
千歳
「それ、ベース。弦が5本ある少し高価なやつだけど、ギターではないね」
四季
「へー」
千歳
「ギターコーナーはこっち」
千歳は四季を案内してギターの売り場にやってきた。
ギターと言ってもピンキリでショーケースに飾られている300万円のギターもあれば、初心者にうってつけな2万円のギターもあった。
当然、アコースティックギターではなくエレキギターだ。
四季
「どれを選べばいいかな?」
千歳
「どんな曲を弾きたい?」
四季
「まずは初心者向けだよね」
千歳
「そうだね」
楽器屋さんに並んでいるギターの種類は多種多様で何も知らない人間からしてみれば面食らうだろう。
お店の隅から隅まで楽器が並んでいる。
一部にはバンドスコアやDTMなどの商品が並び、Vocaloidとかも売られているが、ギターの領域だけでそれはもうぎゅうぎゅうにひしめき合っている。
四季
「まずはどれを触るべきかなー?」
千歳
「どれを演奏したい?」
四季
「そうだなー、そこのショーケースに入ってるやつ」
千歳
「やめとけ」
四季
「そういうと思った。一番安いのでいいや。入門にはちょうどいいだろうし」
千歳
「そうだね、その発想でいいと思う。ギターは初心者のうちは一番安いのがいいよ。お店も入門編では安いの用意してくれてるし。ST250とかいいと思う」
四季
「どれ、それ」
千歳
「これだよ」
千歳は数あるギターの中から一本選んで四季に見せた。
色は黒と白で四季にはマッチするんじゃないかと思った。
四季
「ふーん、色は?」
千歳
「色とか気にする?」
四季
「気にするかな。ほかの色ない?」
千歳
「うーん、黒が一番売れるってどこかの店員が言ってたんだけどなー」
四季
「私は一番とかそういうのいいや」
千歳
「じゃあ、このサンバーストはどう?」
そう言って千歳はブラウンと黒が混ざった不思議な色合いのギターを四季に見せた。
四季
「不思議な色合いだね」
千歳
「昔はこれが流行してたんだって。なんでだろうね?」
四季
「千歳君は普段どんなベース使ってるの?」
千歳
「迷ったらこれって商品説明に書いてあった、フォトジェニックのエレキベース」
四季
「うわっ、つまんな」
千歳
「そんなもんだって。初心者だからこそ定石を踏まないと、後々面倒だからね。フェンダーっていう会社で販売してるそれはそれは立派なベースもあるけど、それは初心者のうちはお勧めできませんねって店員さんに言われたのを今でも覚えてるな」
四季
「それっていくらくらいするの?」
千歳
「40万円くらいかな?」
四季
「あー、頭が痛くなる数字。千歳君はそれ買えたの?」
千歳
「買えるには買えたけど、初心者向きじゃなくてプロ仕様だって気づいてやめたよ。今ではすっかりフェンダーのエレキベースベースだね」
知らない人は知らないだろうが、ここで千歳が持っているベースは初心者中の初心者が使うものだが、最低限の機能はそろっている。
そして四季にお勧めしているギターも初心者向けではあるものの、最低限以上の機能が詰まっている。
千歳は伊達に音楽をやっていないわけで、こういうアドバイスはお手の物だろう
四季
「それじゃあ、千歳君に言われた通りの初心者向けで行こうかな」
千歳
「それがいいよ」
そんなわけで、四季はギターを購入した。
四季
「この後どうする? 抹茶ラテとか飲む?」
千歳
「そんなわけないじゃん。レンタルルーム予約してるから、そこで楽器を鳴らそう。色々練習に付き合ってあげるから」
四季
「そっか、何から何までありがとうね」
千歳
「いつぞやのお昼ご飯のお礼かな? 楽器が演奏できるなら俺もうれしいし、素敵な時間になると思うよ」
四季
「ウィンウィンってやつかな?」
千歳
「そうじゃない?」
四季
「そうだね」
二人は千歳が手配した防音室付きのレンタルルームにやってきた。
ここでこれから3時間みっちり音を出す。
千歳
「それじゃあ、何か演奏したい曲はある?」
四季
「定番のやつ」
千歳
「分かった」
そう言うだろうと思って千歳はあらかじめ印刷しておいたバンドスコアを四季に見せた。
千歳
「これ、弾ける? ゆっくりでいいから」
四季
「大丈夫、少しだけ学校で練習したから」
どうやら日陰で練習しているらしかった。
感心だな、と千歳は内心で思う。
アンプにつないだギターが音を奏でた。
出だしのループするコードを四季が奏でると、千歳はそれに続いてベースを弾いた。
次第に息が合っていく。
これだこれこれ、千歳はこういう瞬間が大好きなのだ。
しばらく学校と仕事と犯罪で忙しかった千歳はこういう時間を久しく忘れていた。
千歳
「そろそろ次のやつやろうか。次はもっと複雑なやつ」
四季
「いいよ」
千歳
「じゃあ、これ」
千歳は別の楽譜を見せた。
四季
「ちょっと待って、慣れるまで時間かかると思う」
千歳
「大丈夫、合わせるから」
そう言って千歳は四季の演奏に自分の演奏を合わせるのだった。
どこでどういう音が出るかは何となく予想ができるので、千歳は四季の音を拾って自分の音を流した。
四季
「凄いね」
千歳
「そうかな?」
四季
「私には音が合ってるかどうかわからないくらい」
千歳
「あははは、初めはそんなものじゃないかな」
四季
「まあ、耳が肥えてないからね。千歳君は違うのかもしれないけど」
千歳
「うーん、どうだろう、それだけ練習してきたってことだし、楽器を演奏するのが単純に好きだから体で覚えちゃうんだよね」
四季
「へー、面白いね」
千歳
「触っていればそのうち覚えるよ、誰だってね」
四季
「私は千歳君ほどの才能はないから、少し時間がかかるかもなー」
千歳
「あはは、才能か」
四季はここで少し俯くのだった。
四季
「私、こう見えても芸術関係の才能とかすごいあると思う。こうやって千歳君と演奏もできるし、他にもいろんなことができると思う。でも、親が許してくれないんだよね。親は私に普通の人間に育ってほしいと思ってる」
千歳
「普通かー。普通って何だろうね?」
四季
「健康に生きることじゃない?」
千歳
「健康か。健康って何だろうね?」
四季
「分からない。勉強とか仕事とか家の手伝いで睡眠時間がすごい削られるのに、健康を維持できるわけない」
千歳
「そうかもね」
四季
「千歳君は体力のある男だからいいけどさ、女の子に今の学生生活は厳しいかな?」
千歳
「それは、そうだね」
四季
「でも、大人になったらもっと厳しい生活が待ってるんだよね」
千歳
「そうだね」
いつになく四季が弱気だった。
どうしてだろうかと千歳は思った。
まあ、千歳みたいに暮らしていくため犯罪をしている身からすると、四季に心配ないと伝えることはできるが、四季はたぶんそれを言いたいのではないだろう。
千歳
「言いたいこと、全部言っていいよ」
四季
「くそっ、うるせーな、って感じ」
千歳
「おお、そうかそうか」
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