3年越しの
ちょっと、3年越しで行きたい場所があって週末出かけることにしている。こんな状況となったころに、よくしてくれていた伯父がなくなったのだ。そしてその葬儀にも参列していない。そのことがずっと心に引っかかっていて、いつか仏前に参ろうと思いながら3年近くが過ぎていった。
あの頃は未知過ぎて、志村けんさんのこともあったし、我が県はまだそこまでではなく、他県への移動には人の目もあったしで、いけなかったのが悔やまれてならない。
2019年の冬の入り口頃に近くまで行ったのだけど、その時にもう少し足を伸ばして会っておけばよかったとこれもまた後悔している。
(後で調べて見たら同じ年の11月に足を運んでいた。もうどの時がどの時か分からなくなってる)
そんなわけでなんとか今度は足を運んでみたいと思って伯母に連絡するも、連絡が取れなくなってしまった。
何かがあったのであれば向こうの親戚から連絡があるはずだろうから、きっと色々思うところがあるのだろうと思う。我が親とのやりとりで何かあったのかも知れないが、甥っ子としてはこれ以上入り込むのはちょっと難しい。伯母にとっては僕らと血が繋がっているわけではないし、そのあたりの機微は、きっと今の自分では真に理解はできないことだろうと思う。
そんなことをちょっと寂しく思いながら、妻に連絡取れないことを話したが、その辺、妻もまた僕とは違って軽い感じだ。連絡取れないにら、じゃあ息子たちの好きなところへ連れて行こうってことで。
けっきょく、他人なんだよね、そのあたりは。だから色々想像を働かせなくてはならないのだけど、じゃあ自分がそれをできているかと言うとちょっと怪しい。お互い様ってことになるだろう。
そんなわけで向かうは山口県下関市。宿は関門海峡の見える場所に取った。妻はこの海峡の風景が好きなんだそうだ。川だと言われれば信じてしまうほどに狭い海をいくつもの船が行き交う。その景色が良いんだそうだ。本当にいろんな船が行き交う。あれはどこに向かっているのか想像する。比較文化学出身なだけある。僕はもう少し鄙びたというか、暮らしがそこにこびりついた景色の方がすきで、同じ船なら尾道あたりを見てみたいとずっと思っている。が、確かに関門海峡の景色も非日常があって、そしてなんだか少し切ない気持ちにさせてくれるから、日がな一日その海の景色を眺めていたいと言うのはよく分かる。
壇ノ浦の戦いがあった場所である。波の下にも都がございますよと言って孫を抱いて入水せねばならなかったその思い、いかばかりのことだったろうか。
平家が如何にして滅ぶ運命に至ったのか、そこを辿れば、物語のその悲しい音色は色褪せてしまうのかも知れないが、どちらにしてもだ、戦は人を幸福にはしない。
今、あの海峡は穏やかであろうが、そこに今につながる想像を働かせてみるのはちょっとばかり意義のあることのように思う。
と、ここまではしんみりと書いたのだけれど、ちょっと今、困っているのです。
旅に出るにあたっての機材、ライカがないのです。いや、カメラは他にもあるんだけど。
某新宿の防湿庫のサービスでどこまでも安心保証という、故障した際の保証をつけたのだけれど、保証を受けるためには点検が必要ならしく、送ってもらってからそれが2週間経とうとしている中で、未だ音沙汰なしなのだ。向こうへやって土日を入れなければ一週間過ぎたくらいの日数だが、一週間程度かかると言うのは、そう言うことなのだろうか。下関旅にまでは間に合うなと計算してだしたつもりがこんなことになってしまった。まあ仕方がない。当日は別のカメラで行こうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?