心臓が止まるまでは

 『心臓が止まるまでは』

 心臓が止まるまでは、彼のすべてを全身全霊で受け止める。
 私がたくさん傷つけた人、救ってくれた人、そんな人々の顔が浮かぶ。
「私たち、救ったり救われたりする番になったんだよ、神様に愛されて然るべき存在に、やっとなれたんだよ」
 愛の言葉を初めて吐いたと思った。守りたい、守るためなら死にゆくことがあってもそれは生への飛躍に他ならない。
 モジリアニという画家と、そんな彼にインスピレーションを与えたジャンヌ・エピュテルヌという名の少女の夫婦がいたと本で読んだ。モジリアニはジャンヌの絵を描くだけではなく、街の人々の肖像画を描いて生計を立てていたと書いてあったはずだ。とある祝祭の日、ジャンヌと子をもうけたモジリアニはいくらかの絵を売りに行って、その金で家族でささやかなお祝いをしようとしていた。しかしモジリアニが画商に持っていった絵は売れず、その後、モジリアニの最期は家族で住んでいたアパートから身を投げて死んでしまったという。モジリアニの葬式の葬列は街中の人々が集まって、列が絶えることはなかったという。そしてジャンヌが何をしたか。文字通り、モジリアニを追って彼女も身を投げて死んでしまった。
 これは悲劇かと言われれば、私は否と答える。モジリアニもジャンヌ・エピュテルヌも、その生の選択に向かっていったのだから。
 私の生は私のもの、私がたとえ愛する人を追って死んだとしても、それは私の生の選択だ。生へ、私の生への飛躍なのだ。
 愛を、家族を必死に手に入れたいのに手が届かなくて滅びそうな魂に出会った。彼のそれは人を傷つけ、自分を傷つけ、何もかも、何をされてもわからないほどに麻痺していた。そして、その姿はなぜか私に共鳴した。何かがずっと壊れていた、そのことに二人出逢った時に気付いた。選択肢は違えども、境遇が違えども、価値観に相違があれども、響き合うものだけは違うことはなかった。
 「死んでもいい」
 そうひとり思っていた二人が、何かを捨てて生きていた二人が、死が二人を分つ時、お互いに生へと飛ぼうと約束したのだ。自死は赦さない、お互いの手を離すことは赦さない、心臓が止まるまでは、きっと一緒にいよう、片方が死んでしまったら、あなたのために生へと飛躍する。

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