パンドラ

 私の父は鍛冶屋だった。神経症の私を養いながら、仕事に家事にと、働き者で娘の私のために尽くしてくれていた。床に臥せってばかりいる私に、鍛冶場の竃の中には七色に色を変えて燃える特別な炎があると言って、父は火の守をしながら剣の鋳型に真っ赤な鉄を流し込むのだと、時折子どもにおとぎ話をするように聞かせてくれた。一度、私がその七色の竃の火を見てみたいと言うと、父は考え込むようにして押し黙った。
 ある日、深夜になっても父が仕事から帰ってこないので、重い身体を引きずって私は父を迎えに職場まで歩いて行った。すると黒いフードを目深に被った人影たちが鍛冶屋の表に集まっているのが見えた。こそこそと話す人々が鍛冶屋の表から去って行くのを見計らって、私は鍛冶場に入って行く。夜になっても絶やすことなく火の燃える鍛冶場は灼熱の太陽のそばまで近寄ったように熱く、明るく、人気はなかった。
 熱い鍛冶場を見渡しても父の姿はなく、目に留まったのは話に聞いていた竃だけだった。七色に色を変えると聞いていた竃には、小さなキャンドルに火が灯されているだけだった。ふと人の気配を感じて振り返ると、足元に七色に光る瓶が落ちていて、私はそれに躓いて転んでしまった。瓶を手に取ると、それは熱く中で何かが蠢いているような感覚がした。
 私は父のいない鍛冶場から家に戻り、父の所在を心配しつつも鍛冶場で拾った瓶を持ち帰ってしまっていた。
 それからの記憶は曖昧で、鍛冶場の竃の闇の中で静かに灯るキャンドルの光のことばかりが頭に残っている。私はどことも知れぬ暗い草原におり、蠢く七色の瓶を持って星空を見上げるのだ。そこには黒い巨星が今にも地上に堕ちてこようとしていて、私はそれを見て瓶の蓋を開けた。黒い巨星に促されて、私は瓶の中の七色の液体を飲み干した。草原を風が駆け抜け、ほんの僅かな間、星空は白夜に変わり巨星は黒点のように小さくなった。夜が戻ってくると、飲み干した瓶の口に光り輝く金色の液体が残っているのに気づく。指ですくって舐めようとしてみる前に、光る液体は空へと飛散して行った。
 家へ帰ると私と父の住む小さなアパートは燃え上がり、また、街全体が燃えていた。盗人が家々へと飛び入り、馬に乗った兵士が街の人々を殺戮し、女は男に捕らえられ、地面に転がった子どもは瞳から光を無くして焼け焦げていた。黒いフードの人々が、丘の上からそれを見ている。瓶を手にした私を指差して、小さな王冠の描かれた絵を、私に見ろとばかりに掲げている。丘へ、丘へと向かって、私は走り出した。

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