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『逃げ若』を観る(5話まで)

 外国人に日本語を教えているが、やはり日本語を勉強するきっかけやモチベーションとしてはアニメが多いので、最近は空いた時間にはアマプラでアニメを見るようにしている。

 鎌倉幕府滅亡後に北条の残党が起こした中先代なかせんだいの乱という出来事があるが、『逃げ上手の若君』はこの北条の残党(最後の執権・北条高時の息子時行ときゆき、「ときつら」説もあり)を主人公にした作品である。

 乱というくらいだから結局は失敗して、時行を保護していた諏訪頼重も自刃するのだが、時行は一時足利直義を追い出して二十日あまり鎌倉を占領したため、先代(北条高時)と次代(足利尊氏)の中間という意味で中先代と呼ばれるようになったらしい。

 4話で小笠原貞宗が信濃守護に任じられて諏訪にやってくる場面があるが、その前の場面で貞宗は足利尊氏に対して「信濃守護に任ずるよう推薦してくれて」感謝している。鎌倉幕府の成立が1192年ではなく1185年とみなされるようになってきているが、1192年は頼朝が征夷大将軍になった年、1185年は守護・地頭の任命権を朝廷から与えられた年で、武家政権の確立としては守護・地頭の任命権のほうが本質的だという理由で最近は鎌倉幕府の成立年は1185年と考えられている。後醍醐天皇の建武の新政は武士抜きで朝廷と公家が国政を担うというもので、武士に取られていた守護の任命権を行使するということはとりもなおさず天皇親政を象徴するものだから、このセリフに幕府滅亡の現実がよく表現されているのである。

 5話では諏訪頼重の所領を没収して貞宗に与える綸旨が発給されたが、貞宗に戦を仕掛けては諏訪方が朝敵となってしまうため綸旨を盗んでしまって時間を稼ごうとする。

 後醍醐天皇の始めた建武の親政は、長年武士がやっていた仕事をまた公家がやり始めるということで、ノウハウがなく手際も悪く事務処理は大混乱するばかりであった。

 こうした状況を揶揄したのが有名な「二条河原の落書」である。

此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 にせ綸旨
召人 早馬 虚騒動そらさわぎ
生頸 還俗 自由まま出家
俄大名 迷者
安堵 恩賞 虚軍そらいくさ
本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛ほそつづら
追従ついしょう 讒人ざんにん 禅律僧 下克上スル成出者なりづもの

Wikipediaより

 実際はもっと長いのだが、こんな調子でリズムよく当世批判を行っており、落書の最高傑作とも言われている。

 建武の新政は天皇親政の理想が強すぎ、武家社会で確立されていた慣習などすべて無視して、土地の所有権はすべて天皇自身が綸旨を以て新たに裁断しなおすとした(旧領回復令など)。当然人々は大挙して都に押し寄せ、あわよくば無関係な土地でも自分のものにしてしまおうと画策した。それで「夜討 強盗 偽綸旨」が流行るわけである。

 そういうわけで綸旨の発給には時間がかかるし偽綸旨も横行していたので、そのどさくさに紛れて時間を稼ごうというのが5話の背景にある。

 史実としては結局足利尊氏が建武の理想とは裏腹にまた武家政権を立てていくわけだが、後醍醐も三種の神器を持って吉野に逃げていってしまうため、いつの間にか後醍醐天皇が主人公になってしまうのかもしれない。


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