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階級の知識:英傑大戦と三国志大戦の君主ランキングから

 英傑大戦をやり始めたら思いのほかハマってしまい、全国大会の動画や荀銀STO氏の配信なんかもずっと見てしまっている。古くは16年くらい前に三国志大戦2をやっていて、私は中学生ながらゲーセンに入り浸っていた。

 現在は最新の三国志大戦6が稼働しているが、セガは「年内は稼働するけどその後は知らん」という感じで年が明けたら稼働がなくなってしまいそうな雰囲気だ。おぼろげな記憶だが、7〜8年くらい前に一度三国志大戦が稼働しておらず、日本史・戦国の武将でやる三国志大戦みたいな「戦国大戦」というゲームがあった。当時大学生だった私はどういう経緯か忘れたがいちど戦国大戦をやり始めようとして、三国志大戦とのあまりの操作感の違いに戸惑い、結局一回だけ遊んでそれきりになったことがあった。

 そういうことがあったので英傑大戦も三国志大戦とは大きく違って馴染めないんじゃないかと思い近寄っていなかったのだが、三国志大戦が稼働しているゲーセンが仙台の町中では一つしかなくなってしまった。プレイ人口も減っているので、三国志大戦をやってもなかなか人とマッチングせず、マッチしてもゲーム内の階級が違い過ぎて全然勝てないという状況になっていた。それなので仕方なく一度英傑に手を出してみたが、三国志大戦と変わらぬ操作感でプレイ人口も多くちゃんと人とマッチングするので面白く、どんどんのめり込んでしまった。
 
 セガに課金すると自分の対戦の動画がネットでダウンロードできるようになりこれもなかなか面白い。昔は頂上対決やリプレイ動画もゲーセンの筐体近くのモニターでなければ観れなかったのが、いまではYouTubeに投稿されているし自分の動画も観れる。私も自分のチャンネルに動画を投稿してみた。自分の対戦を見返してみると相手の部隊を撃破する順番や計略の発動のタイミングなどもっとこうした方がいいという改善点が見えてくるのもあり楽しい。中学生のときにもこういう形で戦略的思考を学んできたので東大にも現役で受かったし、塾に通わされている小中学生は塾なんかやめて英傑大戦を遊んだほうが良いと思う。

  今回記事を書いたのは階級制度について調べたことをメモしておくためだ。英傑大戦ではプレイして戦功を積んでいくと、従八位下→従八位上→正八位下→正八位上→従七位下→…というように階級が上がっていく。この「正/従+○位+上/下」という形で階級を表す制度は大宝元(701)年に制定された大宝令に基づくもので、それ以前の推古11(603)年に制定された官位十二階の制を改める形で作られたもののようだ。官位十二階は約100年かけて十三階や十九階、二十六階と次第に詳細に区分けするように改められていき、最終的に官位四十八階と当初の4倍の階層に分けられるようになった。それでは煩雑に過ぎたのか、前述のとおり701年の大宝令で位階の数を30に減らした位階制に移行し、こちらは明治維新まで約1,100年続いた。明治維新の後の太政官制でも官位を18階に減らした形になっただけなので、基本的には701年の制度がずっと続いていると考えても問題はないだろう。

 この制度のもとで最も身分が高いのが正一位で、関白や太政大臣、征夷大将軍として功労著しかった者に贈られるが、生前に贈位された例は三条実美など6名しかない。大日本帝国憲法発布後には生前・没後を問わず贈位されたことがなく、実質的な最高位は従一位になっているらしい。

 英傑のトップランカーを見ても最高位はまだ正三位くらいで、本当に武功を積んでいけば正一位になれるのかどうかはまだわからない。実際の階級は従一位で打ち止めで、大会で優勝すると正一位が贈られるみたいな感じになるのかもしれない。

 昔の三国志大戦ではこの位階制と同様にゲーム内の階級が九品→八品→…→一品というふうに昇格していったのだが、これは実際の中国の階級制度で言うと魏の陳羣が定めた九品官人法に由来する。隋代に入って科挙が開始されると廃止され、役人の階級は試験の成績で決まるようになった。

 ちなみに私の階級はいまのところ正七位上で、先日まで従六位下だったのだがいろいろ実験的なデッキで遊んでいる間に負けまくって降格となってしまった。従五位下より上には上がりたい。なぜなら従五位から一部は殿上人になる可能性ができ、それ以下は地下人(じげにん)だから・・・なのだが、この件はまた改めて書きたい。

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