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プールの水が抜けて初めて、誰が裸で泳いでいたかわかる

 表題の格言はウォーレン・バフェットが言ったとされる。危機が訪れて初めて、どの銘柄が本当に実力のある(=株価の下がらない)ものなのかが分かるというような意味合いだと私は理解している。そして今ものすごい勢いでプールの水が抜かれていて、泳いでいる連中だけじゃなくて監視員も全裸だったことがわかってきつつある。というかプールそのものがマトリックスの中だった、とか。

 グローバルマクロリサーチの記事を読んでいたら、「長期投資が儲かるという幻想の出所は金融庁」という記事があった。

 この幻想は、私が積極的に株式投資をしていた7〜10年くらい前からずっと言われていることで、メインストリームの教科書や解説書には必ず出てくる話だから、まあデタラメなんだろうと思っていた。統計の詐術や『ブラックスワン』を知っていれば、過去のデータなんて任意の期間と軸のスケーリングでいくらでも急成長・長期成長をお化粧できるというカラクリが理解できる。だからこういう話は時候の挨拶みたいなもので、特に意味のないコミュニケーションの作法だと思っていたのだが、思いのほかこのデタラメを信じている人が多いということらしい。

 実際のトレードでは、損切りラインまで下がったら機械的に損切りして次に備えなければならない。しかし「長期的には上がる」という幻想を信じていると塩漬けするハメになる。金融商品に投じている資金はほかの投資や消費に回すことができないから、その分の機会費用も高くなって、生活も味気ないものになる。それも「長期的に上がる」という信仰によって耐え忍ぶことができてしまい、最後には暴落して木っ端微塵に吹き飛ぶのだから、まことに「宗教は人民のアヘン」といったマルクスの慧眼が光る。しかし令和の進歩主義はプロレタリアに株価上昇を信じ込ませるのだからマルクスが知ったら卒倒するに違いない。

 どういう期間を取って調査・分析するのかという問題は非常に深刻であるにも関わらず、ほとんどの素人はデータの期間なんか気にもかけない。かけたとしても、せいぜいアベノミクス以降の話で、1944年から続くブレトンウッズ体制だとか1971年のニクソンショック以降のドルの減価だとかそういう長期の話になると歴史学者の専門分野で、自分の資産形成とは全く無関係だと思うのがほとんどだろう。学校の妙な教育による先入観なしに、純粋に株式市場で取引をしていればどう振る舞わなければならないかは体感的に分かってくるはずで、それによって過去の知見の活かし方もわかってくるだろうに、いまや高校から資産形成と称して投資信託と上述のような神話を教え込むカリキュラムになっているらしい。あんなものよりナニワ金融道とか仁義なき戦いとか、花見酒の落語とかを見たほうが金融経済の実態がよく理解できると思う。

 そもそも銀行の本来のビジネスモデル(金利のアービトラージ)も知らない人々が、金融だ資産だと言ったところで、金融緩和のせいで成り立たなくなった本来の銀行業を支えるための手数料ビジネスのカモにされているだけだ。つみたてNISAもiDecoも、高齢になるまで引き出すことができない一種の預金封鎖だ。預金封鎖と言って陰謀論的だというのであれば、一定の年齢になるまで現金化できない(あるいは税金が高くなる)という流動性プレミアムを考慮すると、相当のキャピタルゲインを稼がなければああいうのはペイしないはずだが、投資信託なんかではそこまで上がらない。米国債のクレジット・デフォルト・スワップに投資するとかならあり得るかもしれないが、そんな世紀の空売りを米国傘下の日本国が推奨できるはずもない。電子マネーに馴れすぎて、手に持っている現金100万円とつみたてNISAの口座の残高100万円のどちらのほうが価値が高いかもわからないようにさせられている。流動性プレミアムの問題だけでなく、最近ではアカウント停止や引き出し不可などのカウンターパーティリスクも現実味を帯びてきている。

 西側の金融システム全部がダメだということはなくて、金融で本当に売買しているのは諸々のリスクだということを知らなければただのカモで終わる。機会費用と取引コスト、流動性プレミアム、カウンターパーティリスクといった概念をもとに資金繰りの調整をつけるのが本来の金融である。そしてほとんどの人にとって、余計な取引をするくらいならひっくり返って寝ているほうが結果的に得になるという場合が多いのである。


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