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日向ぼっこの邪魔すんなや

 またnoteの更新が途絶えてしまったが、日本語や日本文化に関する英文記事を書く仕事をやることになって、そちらにしばらく集中していた。

 日本人はあまりにも英語ができなくて、たとえばExcuse meの意味の「すみません」をI'm sorryだと思っているために、英語で人に話しかけるたびに謝罪しているような印象を外国人には与えるが、実際のところ謝っているわけでない・・・というような話を書いて、金をもらっている。

 昔から人と話をするときに、話題になっていることよりも、なぜそれが話題になるのかとか、そういう状況に至った背景は何なのかというメタなことばかりを考えてしまって、会話に没頭できないということが多かった。しかし今は、そういうメタな状況に対する考察を文章にすることが立派な仕事として成立しているので、変に迎合し思考を捨てて社交のなかに融解していかなくてよかったと思っている。

 大前提として、多くの情報は誰かが意図をもって流しているものであるとか、公に推奨されているようなことはなんらかの利権に基づいて流布されているとか、無料で提供されており大衆が列をなして群がるようなものにろくなものはないとか、そういった枠組みがあるわけだが、そういう観念がまったくない人たちというのがけっこういる。

 そういう人たちとは会話も通じず、話をして自分の考えていることに対するフィードバックを得るということが難しいという状況で長いこと生きてきたが、最近ではネットが非常に発達して、漠然とした言い回しでも検索できたり、AIに問い合わせてフィードバックを得ながら考えを深めたりということが一人でできるようになってしまった。

 以前はこれもデジタルによる管理社会化の一環で、ディストピアに近づいているのだと思っていたが、では現実世界にそのディストピアから逃れられるようなリアルな交流や出会いがあるのかといえば、そういうわけでもないだろう。リアル世界だけでは、いまやっている記事の仕事も受けられない。

 ニューヨークかどこかのスーパーで、セルフレジなのだが、そのスキャンした内容が正確かどうかをチェックする役目の従業員は、リモートでフィリピンだかとつながっていて、現地の人が行っているらしい。もはや、その機材をそろえて、電気代と通信費を払うほうが、NYで最低賃金で人を雇うよりも圧倒的に安いということだ。こういう流れが世界的な傾向だ。

 いまの仕事の場合、記事は明道(ming dao)という、中国版Googleワークスペースみたいなものにアップロードして、向こうの編集チームのチェックを受けて公開される。

 いまのところは日本に住んでいるが、私が世界のどこにいても別にいいわけで、記事の内容が日本語ネイティブにしか書けないようなことをコンパクトにまとめて書いているということが価値を生んでいる。ありきたりな、利口ぶった内容はAIで書けてしまうため、前述の「日本人はなぜ英語で謝ってばかりなのか」みたいな、肌感覚や直観、実体験に根差した事実から発想した記事でなければ書く意味がなく、それによって逆に、ローカルでネイティブであるという事実が価値を生む源泉となっている。

 いまの教育が目指す方向は真逆で、AIやロボットに簡単に代替されるような能力や発想ばかり育成するものになっているだろう。

 記事の報酬は英語圏のスタンダードからすれば安いのだろうが、日本国内の報酬水準から比べると圧倒的に高いし、円安が進めばもっと円建ての報酬は増えることになる。

 しかしまあ、報酬云々よりもずっと家にいてゴロゴロしたり散歩したりジムに行ったりしながら、気が向いたら記事を書いてアップロードすればいいということが私にはなによりもありがたいし、7年前に会社を作ったときに理想としていたような仕事のあり方の実現に一気に近づいた。

 毎日同じ時間に同じ仕事をしに行くというような近代資本主義の工場労働モデルは大きく崩れていき、中世のように自分の才覚と能力で渡り歩く時代になっていく。政府もナニもアテにならないどころか、仕事の邪魔しかしてこない。他人の仕事を邪魔することが仕事だと思うこと、これが哀れな社会主義と共産主義の末路というもんだろう。

 

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