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大帝の娘とロシアの鉄仮面②


帝冠は、時に、酷く遠回りをして、其れを手にすべき人物の元に転がり込むことが往々にしてある。
或いは、帝冠はその人物が、帝冠を手にするまで待っているようにも見える。
イングランドのエリザベス一世こと「善き女王ベス」にしてもそう。
そして、彼女も、だ
ピョートル一世の娘にして、「大帝の正統な後継者」、エリザヴェータ。
大帝の娘として生を受けながら、長らく帝冠とは遠い場所に居た彼女。その、彼女が漸く、帝冠を手にしようとしている……。
彼女もまた、帝冠を手にするまでの道は決して平坦ではなかった……。

・不遇の皇女

エリザヴェータ・ペトロヴナ・ロマノヴァ
1709年12月18日、ピョートル大帝と、エカチェリーナ一世の末娘として生まれる。
1709年時点では、ピョートル一世とエカチェリーナ一世は秘密結婚こそしていたものの、まだ「正式な夫婦」ではなく、エリザヴェータも一つ年上の姉のアンナも「庶子」と謂う扱いだった。両親が正式な夫婦となるのは、1712年の事だ。
因みに、ピョートル一世とエカチェリーナ一世の間には5人の男の子と7人の女の子が生まれたが、成人したのがアンナとエリザヴェータの二人だけって謂うのがこの頃の乳幼児の致死率を物語っている…気がする。


エリザヴェータと姉アンナ

ピョートル一世は利発で愛らしいエリザヴェータを殊の外可愛がっていたと謂われている。ただ、皇帝となるとどうか…。後継ぎにはアレクセイがいたし、アレクセイにも息子ピョートルが生まれ、エリザヴェータは皇帝にするよりも、他国の王子に嫁がせる心算で居た。
その為に、帝王学ではなく、花嫁修業…外国語、礼儀作法、ダンス等々、何処の王家に出しても恥ずかしくないような貴婦人に育て上げようとする。
結果、流暢にフランス語を話し、優雅に踊る美貌の皇女が出来上がる。よしよし、これで何処に出しても恥ずかしくないな。
と、謂うわけでピョートル一世は娘達の嫁入り先を模索し始める。
先ず、姉のアンナはスウェーデン王家の一員であるホルシュタイン=ゴットルプ公カール・フリードリヒと結婚。此処の結婚でのポイントは「アンナ・ペトロヴナとカール・フリードリヒの子孫たちにロシア帝位継承権が与えられる」こと。此処テストに出るよー。

アンナ・ペトロヴナ。彼女と、カール・フリードリヒの息子が、ピョートル三世として即位し、ロマノフ家も、「ホルシュタイン・ゴットルプ=ロマノフ家」となる。彼女自身は、産後すぐに寒い中窓開けっ広げて花火を見ていたら、風邪引いて死去…。無茶すんなよ…。

次は、エリザヴェータだ。
ピョートル一世は、この愛娘をフランスのオルレアン公ルイ、後のルイ十五世に嫁がせようとしていた。
「エリザヴェータ皇女は、快活で利発、百合のように白い膚をお持ちで薔薇のように艶やかに微笑まれます」と、そんなお手紙もつけて推すものの結果は見事に玉砕💔

若い頃のエリザヴェータ。…でも、フランス宮廷の魑魅魍魎っぷりを考えたら…、フランスに行かなくてよかったんじゃ…、と思う。エリザヴェータちゃんみたいなパワフルで美人な王妃が来たら阿鼻叫喚の予感…!

ピョートル一世の代で飛躍的にロシアの文化レベルが上がったとしても、まだまだロシアは片田舎の二流国。格調高いブルボン家と婚姻とは身の程を知れ…!って感じだったようです。
その割には、ルイ十五世の結婚相手って国すら失ったポーランド王の娘なんだよな…。其れが傷ついたエリザヴェータちゃんの心に火をつけて後にロシアの宮廷文化を華やかなものにする原動力…になったかどうかは兎も角として、結局エリザヴェータの結婚相手は、姉アンナの嫁ぎ先の縁者、ホルシュタイン・ゴッドルプ家の公子、カール・アウグストに決定するが結婚直前にカール・アウグストが天然痘で死去。
更に同じ時期に、母、エカチェリーナ一世も崩御。エリザヴェータは17歳にして、ロシアの宮廷内で後ろ盾もなく一人きりに……。
寧ろ、彼女に近付けば、「皇女を利用しようとする野心家」と思われること必定。彼女が腫れもの扱いになったことは想像に難くない。
ただ、非常に美しく、優雅で、市民とも気さくに話し、気取らない性格のエリザヴェータは、貴族、兵士、市民問わず人気があった。
そうすると、皇帝にとっては非常に目障りかつ危険な存在だと目されることは間違いない。
とっとと崩御したピョートル二世は兎も角、アンナ女帝は非常に彼女を敵視していた。
こんな話がある。エリザヴェータと恋仲になった兵士は、アンナに捕まり、舌を切り落とされた挙句、シベリア送り!
兵士を抱き込んで何をするかわかったもんじゃないっていう警戒心と、エリザヴェータにこんな風になりたくなければ変な事すんなよって謂う見せしめだったんだろう。因みに、この頃に出逢ったアレクセイ・ラズモフスキー@聖歌隊員と、エリザヴェータは後に秘密結婚している。
そして、前半に書いた通り、アンナ女帝はドイツ人ばかりで周りを固め、ロシア人を遠ざけていた。ロシア人は当然反発する。
そして、アンナ女帝崩御後、即位したのが、イヴァン六世。まだ頸も据わらぬこの子であるから、母のアンナ・レオポルドヴナが摂政となる。またドイツ人やないかい!
そして、アンナを中心とするドイツ人の重臣達は、目の上のたんこぶ、危険な存在であるエリザヴェータを、イヴァン六世に忠誠を誓わせるだけでは足りないと、修道院に幽閉しようとする。
然し、彼等は忘れていた…。エリザヴェータは、そんじょそこらの皇女ではない。あの、「大帝」ピョートル一世と、その才覚と強運で洗濯女からロシア初の女帝にまでなったエカチェリーナ一世の娘なのだ。
彼女は、平身低頭し、アンナに、そしてイヴァン六世に随う振りをしながら、着々と自分の支持者を増やしていたのだ。

自らを修道院に幽閉しようとする動きを察知した彼女の元に、彼女の支持者が続々と集まる。
「ピョートル一世を崇拝し、ピョートル一世の娘であるエリザヴェータこそ真の君主である」と信じて疑わない兵士達。
そして、1741年、11月25日の深夜が訪れる……。

・真の君主となるべきは誰か

その夜、エリザヴェータはドレスの上に騎兵隊の鎧を纏い、プラオブラジェンスキー連隊の兵士の前に立っていた。

騎兵隊の鎧

32歳。すらりとした長身。美しさの絶頂にある彼女は今、大帝の娘の威厳を纏い、兵士達の前に凛と佇んでいた。
彼女の言葉を待つ、兵士達の前で、いよいよ彼女は口を開く。彼女を「母」と呼び、彼等を「私の子供達」と呼ぶ兵士たちの前に。

ゆっくりと、大帝の娘は口を開いた。
「あなた方はわたくしが誰か知っていますか?わたくしが、誰の娘であるのか!」
「はい、マートゥシカ!(お母様!)」兵士たちは口々に叫ぶ。
誰が貴方を知らないわけがありましょうか!
「あなた方が仕えたいのは誰か!あなた方の正当な君主であるこのわたくしか、其れとも、あの簒奪者どもか!!!」
「わたしどもの君主は、貴方以外ありえません、マートゥシカ!!」
「あなた様の為であれば、火の中でも水の中でも参りましょう!!」
彼女はゆっくりと頷いて、大きな十字架を掲げてさらに檄を飛ばす。
「わたくしは、貴方方の為に命を賭けることを誓います!同じことをわたくしの為に誓って下さい!!!」
「あなた方がわたくしの父に仕えたように、今度はわたくしに仕えることを誓って下さい!!!」

彼女が掲げた十字架に、兵士達が次々と口付ける。
「あなた様の為に死ぬことを誓います!!!マートゥシカ……!!!」
彼女への忠誠の証だ。雷鳴の様に兵士たちの聲が轟く。
漸く、漸く兵士達も仕えるべき正当な君主を得たのだ。
「さあ、始めましょう。但し、無益な血を流さない様に。わたくしたちはわたくしたちの祖国を幸せにすることを考えましょう……!!!」
エリザヴェータの華麗なる逆転劇が此処から始まる……

・帝冠奪還

と、思いきや、クーデターはあっさりと成功した。稚いツァーリを守るべき近衛兵たちは、エリザヴェータの側に着いたのだ。

アンナ・レオポルドヴナとイヴァン6世


エリザヴェータ・ペトロヴナは、帝冠に漸く、その手を伸ばした。其れも無血で。
エリザヴェータは、近衛兵たちに連れられて、幼いイヴァン六世と、母親の摂政アンナ・レオポルドヴナが眠る寝室に脚を踏み入れる。そして、アンナに向けて大きな声で、こう呼びかけた。「さあ、起きる時間よ!」
貴女の時代は終わりよ。夢の時間は終わったの。
近衛兵達は、摂政アンナ・レオポルドヴナ、その夫、アントン・ウルリヒ、そしてその側近たちを拘束する。
皇帝は────
決して、幼い皇帝を怖がらせてはならないと謂うエリザヴェータの命の元、この子供が目を覚まして見知らぬ兵士達を見詰め、泣き出すまで、揺り籠の前で待ち、新たな皇帝となるエリザヴェータの元に連れて行った。
「…小さな子。貴方には何の罪もないわ。悪いのは貴方の親なの」
この際に、兵士達は、この皇帝の小さな妹、未だ生後四か月のエカチェリーナを地面に落としてしまい、エカチェリーナは聴力を失っている。
先ず、摂政夫妻の側近達は死刑を宣告されたが、「女帝の寛容と慈悲により」シベリア送りに減刑された。
けれども、エリザヴェータは、この幼い皇帝の処遇に思い悩んでいた……。そう、この子供は「帝位継承権」を持っていたのだ。

・女帝エリザヴェータと、ロシア宮廷文化の開花

さて、晴れてツァーリとなったエリザヴェータちゃん。彼女の戴冠式は、前例のないほどに豪華絢爛なものだったという。まあ、今迄のツァーリの即位って抑々、クーデターに次ぐクーデターだったりしたからね。
豪華絢爛なドレスどーん!

エリザヴェータちゃん戴冠式の時のドレス。

戴冠式の列は、彼女の父、即ちピョートル一世の先勝祝いに建てられた「赤の門」(「赤」は美しいという意味と推測される)を通過していく。大規模な恩赦も執り行われた。

赤の門。1927年に取り壊されている。

美しく、慈悲深い女帝と謂うイメージを皆に植え付けることに成功したエリザヴェータは、自分の即位を記念した「エリザヴェータ・ペトロヴナの即位アルバム」を発行している。

エリザヴェータちゃんのモノグラム。優雅で美しい。

実際、エリザヴェータ女帝の時代には、この時代に付き物だった「処刑」が一切行われていないことは特筆に値する。
彼女に対する陰謀が発覚した際も首謀者のナタリア・ロプキナに対してさえも、死刑を宣告された彼女に対し、エリザヴェータは慈悲を示し、死刑判決を「鞭打ち、舌を引き裂き、全財産を没収の上、シベリア送り」に軽減している。…あれ、慈悲……????慈悲……??????
其れともう一つ、「死刑」は行われなかったが事実上の死刑に値する刑罰もあった。
「死刑を宣告された者、『政治的に死すべき者』は、終身懲役に送られる」。これらの者は、ロゲルヴィク(現エストニア共和国パルディスキ市)の不凍港に、港湾を建設する懲役だが、これは受刑者の死を意味していた。これらの懲役囚の平均寿命は3か月未満だったという。

エリザヴェータ女帝の統治の基本路線は父・ピョートル一世路線の継承だ。そして、今迄ドイツ人に独占されていた国の要職を、ロシア人に開放。どうしてもロシア人に出来ないポストのみ、外国籍の人間に担わせるという人事を行った。
彼女は、帝王教育や、政治学を受けていなかったので、これらの政策はアレクセイ・ベストゥージェフ=リューミン、シュヴァロフ兄弟、ヴォロンツォフ伯爵らが彼女の代わりに担った。自分が得意でないのならば、優秀な廷臣に任せれば良い!
と、謂うわけで、優秀な廷臣たちに政治を任せた結果、税制の改革、貴族たちの領地開拓のための資金を貸し付ける銀行の設立、その資金を用いて貴族達は工場の経営繊維業や冶金業を展開した。こうして危機的状況にあった国家財政は立て直され、貴族達を主な受益者とする経済発展も実現した。
そして、帝国アカデミーや、モスクワ大学の設立し、学術や、芸術発展にも尽力している。

また、スウェーデン軍がフィンランドに侵攻した際は、ロシアはスウェーデン軍を破ってフィンランド南部をロシア領にした。スウェーデンの王位争いにも介入して親ロシア派の国王を即位させることに成功する。
更に、フランスのポンパドゥール夫人、オーストリアの女帝マリア・テレジアと反プロイセン側に立ち、プロイセンを追い込むことに成功する(三枚のペチコート作戦)
エリザヴェータちゃんが個人的にフリードリヒ二世を嫌いだった…って謂う説もあるけどね。まあ、フリードリヒ二世が、この時代の女性君主や女性統治者を悪く言いすぎ―…ってところもあった気がするけどね…。
周りの女性統治者の悪口謂いまくってたしね…。
「フリードリヒ2世は隣国にとって無害化されなければならず、その唯一の方法は彼を選帝侯の地位まで落とすことである」 と、謂う立場に立って、崩御するまでその考えを堅持していた。

さて、エリザヴェータ女帝で特筆すべきは、彼女が開花させた「ロシア宮廷文化」だ。
色々あったけど、エリザヴェータちゃんは、お洒落大好き、舞踏会大好き女子なのだ。そして、そんなお洒落女子達の憧れの場所と謂えばヴェルサイユ!!!!
と、謂うわけで、エリザヴェータちゃんはロシア宮廷にヴェルサイユのような宮廷文化を根付かせることに熱心になる。
そして、その舞台としての宮殿を、バルトロメオ・ラストレッリに命じて立てさせたりもした。ロシアのエカテリーナ宮殿は、最初はピョートル大帝が妻、エカテリーナの為に建てさせた宮殿だが、これを抜本的に建て替え、今も残るロココ建築に入れ替えさせたのは、エリザヴェータ女帝だ。

壮麗なエカテリーナ宮殿



そんな、優雅な建物で舞踏会や催し物をしたために、貴族達は、宮廷に釘付けになるのは自然の成り行きだ。

豪華絢爛な「琥珀の間」
宮殿内部

また、彼女は父ピョートル一世の悲願だった「インペリアル・ポーセリン」即ち、皇室の為の、皇帝の為に作られる陶磁器工房も創設させ、其処で作られた美しい食器が宮殿を飾り、食卓を彩る────。
インペリアルポーセリンについては此方を参考にされたし。
インペリアルポーセリン / IMPERIAL PORCELAIN | Table LABO - テーブルラボ (le-noble.com)

こうして、彼女が此処迄意図していたかどうかは兎も角、優雅な舞踏会や催し物でルイ十四世がフランス絶対王政を確立したと同じように、彼女もまた、貴族達を宮廷に釘付けにし、中央集権を確立することに成功する。其れも、ごくごく自然な形で、反発もなく。
更に宮廷の言語も、ドイツ語ではなく優雅なフランス語に変った。

さて、こんな美しい場所、そして優雅な晩餐会、舞踏会…と、なれば、美しい装いでなければならん!
この意気込みは、彼女と同時代の二人の方に証言して貰おう。
先ずこの人フリードリヒ二世

「エリザヴェータ?ああ、一生掛かっても着ることのできないほど沢山ドレスを持ってるんだろ?」

次に、エカチェリーナ二世さん

「お義母様ですか?一日に何度も御色直しして着飾ってばかりいますわ」

はい、こんな感じですね。
悪口言いまくりのフリードリヒ二世さんも、エリザヴェータちゃんのドレスについては大体合ってる。
と、謂うわけで、お洒落大好きエリザヴェータ女帝。日に何度も着替え、同じドレスは二度と着用しない徹底ぶり。
靴は数千足、ドレスは一万五千着ほどお持ちで、宝石もたーくさん持ってた。
そして、エリザヴェータは長身の美人だったから、お洒落も大層映えた。

エリザヴェータちゃん儀式用ドレス

そして、美しい装いは、貴族達のステータスシンボルでもあるので、貴婦人たちも女帝に追従しようとする…が、此処で困った問題が……。

エリザヴェータちゃん、自分より美しい人大嫌い問題!!
そう、彼女は、
「野暮ったいのはダメだけど、わたくしより美しく装うのはダメ」
と、謂う非常にメンドクサイ主張を貴婦人たちに押し付けた。
そして実際、こんな法律を施行したりもしている。
「(流行最先端の)フランスの服飾職人はまず最初にわたくしの所にいらっしゃい」
「貴婦人たちは、わたくしと同じ髪型にしてはダメ、同じ服装もダメよ」
実際、自分より美しく装った女性がいると引っ叩いたりもしたらしい。怖😨

エリザヴェータちゃんが好きな色は淡いピンク!
同じ色を他の女が着るのは赦さんとばかりに
「わたくし以外は、ピンクの装いはダメね」
とか、ちょっとしたトラブル(黒髪にしようとしたら、髪粉付けすぎて絡まりまくってしまったのだ…。「わたくしの青い瞳には、黒髪が似合うの!(元々はブロンドです)」)で髪を短くしなければいけなくなってしまった際は、他の貴婦人たちにも短髪を強制し、女帝自ら鋏を持って歩いていたとか……怖😨
現代だったらパワハラ案件!!!でも、相手が女帝だから誰も逆らえない!!!

更にこんな証言もある。
「エリザヴェータの人生後期の怒りは、ロシアの安全保障を脅かすと見られた者と、自身の美しさに張り合おうとする女性に向けられた」
「エリザヴェータ・ペトロヴナは嫉妬深くて、彼女より美しく装ったりしたら大変なんですよ。だから若い美人は慎ましい服装で目立たなくするのに苦労するそうですわ。」

「周りが野暮ったいのもダメだけど、わたくしが一番美しくなきゃイヤ!!」

と、いうワガママ御姫っぷりを全開にしていた。
個人的には非常に可愛らしい高飛車で大好きなんだが、同時代の貴婦人にとっては非常に厄介だっただろうなあ…と、謂うのは想像に難くない。

・女帝の後を継ぐ者

エリザヴェータ女帝は、表向きはあくまで独身だったので、当然跡取りはいなかった。(ロマノフ家の男系当主は彼女が最後であり、ロシアの血が半分以上入っているロシア皇帝は彼女が最後になる。)前述のラズモフスキーと小さな教会で結婚式まで上げているが、これは秘密結婚だ。然し、きちんと跡取りを定めないと、ロマノフ王朝はまた混乱の時代に突入してしまう!
なので、エリザヴェータは女帝になって早々に姉アンナの息子、カール・ペーター・ウルリヒ・フォン・シュレーズヴィヒ=ホルシュタイン・ゴットルプ(長…)を、跡取りとして養子に迎えている。後のピョートル三世だ。
そして、ピョートル三世の御世から、ロマノフ家は「ホルシュタイン・ゴットルプ・ロマノフ家」になる。


ペーター・ウルリヒ改ピョートル・フョードロヴィチ。義母エリザヴェータも強いが、エリザヴェータが連れてきた嫁も強かった……。

そして、跡取り皇帝だけではロマノフを継いで行くことは出来ないから、皇太子妃を選ばなければならん!
そこで、エリザヴェータが連れて来たのは、嘗ての自分の婚約者、カール・アウグストの妹の娘、ゾフィー・アウグステ・フリーデリケ、ロシア正教会に改宗後の名前はエカチェリーナ・アレクセイエヴナ
そう、後に大帝と称えられる、エカチェリーナ二世だ。

少女時代のエカチェリーナ二世

それほど美しくはなかったが(←重要!)、優れた頭脳を持ち、知性や教養を磨いて、美しい女性になろうと努力を怠らなかった。因みに得意なのは乗馬、苦手なのは音楽。
「…聡明だし、ロシア語の勉強もちゃんとしているし、何よりわたくしほど美しくないし…」
と、謂うわけでゾフィー改めエカチェリーナちゃん、エリザヴェータの花嫁選考に合格!!
彼女を息子の嫁にしたエリザヴェータ女帝の人を視る目は確かだったとしか言いようがない……。
ロシアに嫁いで来てからは、懸命にロシア語を学び、病気になるまで学び、エリザヴェータを感動させ、馴染みのないロシア文化に馴染もうとする努力は惜しまなかった。
一方、ドイツ文化に拘り続けるフリードリヒ二世大好きな旦那とは不仲で、早々に夫婦関係は破綻。お互いに愛人を持つようになる。
ついでに、エリザヴェータ女帝も、ロマノフ家の血を引く愛人を「世継ぎ確保」の為にエカチェリーナに宛がったという実しやかな噂もあるが、これはあくまで噂レベル。
ただ、エカチェリーナが愛人を持つのは黙認していたと謂う。お世継ぎ大事!
その甲斐あってか、エカチェリーナは結婚八年目にして男子パーヴェルを出産。エリザヴェータは早々にこの子供をエカチェリーナから取り上げ、未来の皇帝として溺愛したという。
ピョートル三世皇帝の器じゃなし!と、謂うわけでこの子供に期待をしていたわけだが…結果は、まあ…、エリザヴェータちゃん甘やかしすぎたやろ……。と、謂うか後継者育てるのはド下手糞だった…。否、後継者候補たちの資質の問題だろうか。

さて、エリザヴェータも1750年代末から病気がちになった。心臓に病を抱えていたと謂われている。
そして、1762年1月5日に崩御。享年52歳。

ロシアの経済の立て直し、文化の発展、ロシアの国としての地位の向上、積極外交の推進、プロイセンを追い詰めた!と、派手で華やかな生活の傍ら、君主としてきちんとやるべきことはやっていた。
優秀な廷臣たちの手腕で国を富ませ、超優秀な嫁(その理由が、それほど美人じゃないし…と謂うことだったとしても!)を連れて来たその人を視る目、先見の明は確かだったのではなかろうか。
其れに、エリザヴェータ女帝は、(実務派廷臣に任せていたと雖も)、女帝として、ピョートル大帝の娘としてロシアと謂う国を統治するという明確な意思を持っていた。そして、彼女は愛人ラズモフスキーには決して統治に口出しはさせなかった。
そう、派手に過ぎ、お洒落で享楽的な側面ばかりクローズアップされるが彼女はまさしくピョートル大帝の娘であり、ソフィア・アレクセイエヴナ姉ちゃんと共に優れた統治を行った女性統治者であったとも謂える。

最高の美貌、最高の権力、そして愛、綺麗なドレスに豪華な宝石、そして宮殿、欲しいもの全てを手に入れたエリザヴェータ女帝は、歴史上に現れた女性君主の中でも最高に楽しく華やかな生涯を手に入れた、強運の持ち主だった─────。

さて、次項では、そのエリザヴェータが追い落としたイヴァン六世の生涯を追って行こうと思う。



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