桐生

雑食の歴史好き。

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最近の記事

狼 さそり 大地の牙 ー連続企業爆破事件ー

2024年1月─── 一人の男が発見された。 その彼は、こう名乗る。「桐島聡」と──── 本当は、このネタもう少し早く文章にしたかったんだが…!繁忙期と重なり大分遅れての執筆になってしまいました…!( ;∀;) ヘンリーの嫁さんシリーズ完結してないだろうがー、とか、テューダー王朝はどうしたーとか、そういうことは仰らずにお付き合いいただければ幸いです( ;∀;) 突然現れた「彼等」 1970年代と謂えば、学生運動の花が咲く百花繚乱!狂気の70年代。 「いくさ」が帝都東京中

    • 王妃の処刑

      ・結論ありきの裁判 アン・ブーリン王妃の裁判は、彼女の死で幕引きになることは最初から決まっていた。国王が三度目の結婚をするにあたって、新しい妻(ジェーン・シーモア)の慎ましく奥床しく、そして純潔だという評判に見合うよう、自分も沁み一つない体にならなければならない。 そしてこの裁判は、アン王妃をはじめ、彼女の「愛人達」の有罪判決が期待されていること。そして、皆はは有罪になり、特に王妃は死を賜るだろう。皆がそれを期待し、そしてそれを疑う者は誰もいなかった。 何故、アン王妃が死

      • 凋落の予感

        ・二人の王女──メアリーとエリザベス── 「王子」の為に計画されていた壮麗な騎馬試合は取りやめになった。 産まれてきた子供は「王女」だったからだ。 それでも、昔の王妃は退けられ、彼女の一人娘メアリーは、推定女子相続人と謂う1516年以来ずっと占めてきた地位を失った。 国王の伝令は生まれたばかりのエリザベス王女を、王の最初の「正当な子」と宣言した。メアリーは、アンが健康な赤ん坊を産んだその時から、敗者、或いは二番手の烙印を捺されたのである。もっともこの時点では公の廃嫡はなさ

        • 王妃の結婚。王女の誕生

          ・離婚に向けて いよいよ、王は実際の離婚手続きに向けて舵を切った。1527年5月、うるじー枢機卿が教皇特使としての特権により、公式な審問会を設置し、王の結婚が正当か否かを審議することになった。当初、ウルジーはこの審問会についてキャサリン王妃には知らせなかった。実務的に王の離婚について進めていくにつれ、ウルジーは今回の一件は恋に目がくらんだ王様が考えるほど簡単にはいかないと悟ったようだ。 更に、ウルジー枢機卿の前に立ちはだかったのが、ロチェスターの司教ジョン・フィッシャー。

          黒い瞳

          ・運命の女 1526年、ヘンリー八世35歳は恋に落ちる────。 彼を射止めた黒い瞳の娘がヘンリーに与えた「娘」は、イングランド史上最も偉大な「女王」になる、運命の女。 父は、トマス・ブーリン。母は2代目ノーフォーク公トマス・ハワードの娘エリザベス・ハワード。 (※因みに3代目ノーフォーク公もトマス・ハワード。以後ちょこちょこ登場する(予定)のトマス・ハワードは3代目のトマス・ハワードであることに注意。ややこしい…) トマスとエリザベスの夫婦は3人の子供に恵まれるが、

          黒い瞳

          嫡出の王子がないままに

          ・新しい時代の到来 新しい時代が始まったという喜びは、馬上試合、仮面劇その他延々と続く祝賀行事として表現された。 馬上試合には、「サー・ロイヤル・ハート」ことヘンリー八世は毎回忠誠を捧げた貴婦人である王妃のリボンを身に着けて登場する。 人の集まる行事では、必ず二人のイニシャル(HとC、或いはK)の組み合わせが用いられたし、ページェント用のお城の模型や王の鎧を飾る愛のリボン結びに用いられた。 黄金の杯の一つには、ヘンリーとキャサリンの姿が縦に交互に並んでぐるりと彫られてい

          嫡出の王子がないままに

          キャサリンを巡る攻防

          ・若き王太子の死 王太子逝去の知らせがグリニッジの宮廷に齎されたのは翌日、王太子逝去の翌日、4月3日遅くの事だった。評議会は国王の気持ちに配慮して、ヘンリーの聴罪師であるフランシスコ会原子会則派の僧を近辺の修道院から呼んできて王に話してもらうことにした。 そして、一番辛い任務、即ち、母であるエリザベス王妃に告げる任務は国王自ら告げることにした。 突然の知らせに王妃は蒼白になるも、泣き崩れるのではなく、毅然としてテューダー王朝の行く末を心配する王に向き直ってこう進言した。

          キャサリンを巡る攻防

          乙女のまま───

          ・ヘンリー七世の子供達ヘンリー七世は、王妃エリザベス・オブ・ヨークとの間に四男四女をもうけ、そのうち四人(二男二女)が成長した。 ①長男 アーサー・テューダー(プリンス・オブ・ウェールズ) ヘンリー七世とエリザベス・オブ・ヨークの第一王子にして王太子。スペイン王女、キャサリン・オブ・アラゴンを妻に迎えるがたった5か月の新婚生活を過ごしたのみで、早逝。妻のキャサリンと正式な結婚が「成立」したか(男女関係を結んだか)は、後々大問題になり、また、彼の死は、王妃キャサリンの結婚、

          乙女のまま───

          テューダー王朝の始まりと偽物の「王」

          プランタジネット朝が終わり、テューダー王朝が幕を開ける。 新王ヘンリー七世は、プランタジネット家とヨーク家を和解させようとした……。 ただ、それは必ずしもうまくいかずヨーク家は尚復讐を求め、偽物の「王」も現れた……。 ・テューダー朝の始まり テューダー朝を開いて、ヘンリー七世は「ふう、やれやれ」と思う間もなく、新しい王家の地盤を固めることが急務だった。 まず、ヨーク家のエドワード四世の世継ぎ、エリザベス・オブ・ヨークとウェストミンスター寺院にて結婚し、長く対立してきたラ

          テューダー王朝の始まりと偽物の「王」

          薔薇戦争の終焉

          さて、エドワード四世の男児二人を塔に押し込んで葬って、リチャード三世としては漸く我が王位が安泰…と、思いきや割とそうではない。 力を持たぬ少年王より、力ある王位継承権者の方が脅威だ…!ということは往々にしてある。 ・王母 マーガレット 力ある王位継承権者の名前、其れは、リッチモンド伯ヘンリー・テューダー。 母、マーガレット・ボーフォートが、ランカスター家の傍系であり、母を通じてランカスター家の血を継いでいる。 ただーし、このボーフォート家と謂うお家なんだが…、エドワード

          薔薇戦争の終焉

          Princes in the Tower

          幽閉された少年王 チューダー王家の歴史が始まるほんの少し前……。 二人の少年が、忽然と『塔』から姿を消した────……。 この絵に描かれているのはまだ十三歳にも満たぬ幼き少年王エドワード五世と、その弟、十歳のヨーク公リチャードである。 そして、彼ら兄弟を倫敦塔に押し込めたのは、エドワード五世の王位を狙う、同じ王家の中の先王の弟リチャードであった……。 グロスター公リチャード(リチャード三世)の策略 チューダー王朝の前のイングランド王家……、プランタジネット朝末期は

          Princes in the Tower

          Alexei Nikolaievich of Russia

          「私たちにとって忘れがたい偉大な日だ。神のお恵みが私たちの所にはっきり現れた。 午後1時15分、アリックスは息子を授かり、アレクセイと名付けた」 1904年8月12日のニコライ二世の日記だ。喜びと興奮に包まれている様子がはっきりと見て取れる。 待ちに待った男子誕生だ。 1894年に結婚してから10年目のこと。パーヴェル一世以降ロシアの皇室典範では帝位を継承できるのは男性だけだと定められていた。その為、ニコライ二世即位後は皇弟ゲオルギーが、彼が肺結核で若くして亡くなった後は末

          Alexei Nikolaievich of Russia

          ニコライ二世と家族たち

          ・皇后アレクサンドラ 1872年、6月6日、ヘッセン大公ルートヴィヒ四世と、イングランドのヴィクトリア女王の次女アリス・モード・メアリーの四女として生まれる。出生名はヴィクトリエ・アリックス。早くに母アリスを亡くしたため、6歳から12歳まではヴィクトリア女王の元で養育され、彼女自身はドイツ人と謂うよりはイギリス人に気質は近い。 二人の出会いはニコライの叔父セルゲイ大公とアレクサンドラの姉エリザヴェータ(エラ)が結婚した時だ。セルゲイは1905年2月に左翼テロリストによって

          ニコライ二世と家族たち

          ニコライ二世とはどういう人物だったか

          1881年3月13日。 この日、ロシア国内を激震が走り抜ける。 そう、時の皇帝、アレクサンドル二世が反体制運動家「人民の意志」メンバーによって爆殺されたのだ。 この時、ニコライ・アレクサンドロヴィチは13歳。子供から大人への階段を上ろうとし始めている人生で最も多感な時期だ。 祖父の悲劇的な最期は、少年ニコライ・アレクサンドロヴィチの心に一つのある信念を植え付ける。 即ち 「改革派に一歩でも譲歩すれば、歯止めが利かなくなりロシアは破滅する」 ……早くも、ロシア革命への種が一つ、

          ニコライ二世とはどういう人物だったか

          大帝の娘とロシアの鉄仮面③

          ・稚い皇帝の処遇 「小さな子。貴方には何の罪もないわ」 「悪いのは貴方の親なの」 まだ1歳にしかならぬ幼帝から、王冠を取り上げたエリザヴェータはそう謂った───。 実際の所、エリザヴェータはこの小さな子供とその一族、即ち「ブランズウィック家」を如何しようか、悩んでいた。 この子供自身は無力で、無邪気だけれど、彼もまた「皇帝になる資格」を有しているのだ。 処刑か、追放か、投獄か……。 当初、エリザヴェータは尤も穏便な「国外追放」で済ませようとしていたらしい…が、 あいや暫く

          大帝の娘とロシアの鉄仮面③

          大帝の娘とロシアの鉄仮面②

          帝冠は、時に、酷く遠回りをして、其れを手にすべき人物の元に転がり込むことが往々にしてある。 或いは、帝冠はその人物が、帝冠を手にするまで待っているようにも見える。 イングランドのエリザベス一世こと「善き女王ベス」にしてもそう。 そして、彼女も、だ ピョートル一世の娘にして、「大帝の正統な後継者」、エリザヴェータ。 大帝の娘として生を受けながら、長らく帝冠とは遠い場所に居た彼女。その、彼女が漸く、帝冠を手にしようとしている……。 彼女もまた、帝冠を手にするまでの道は決して平坦で

          大帝の娘とロシアの鉄仮面②