20210401_社会の歯車

今日は入社式。ついに俺も社会の歯車になる時が来たわけだ。不労所得で暮らしたい願望がある身からすると労働自体が億劫なんだけど、やっぱ新しい土地で新しい仕事仲間と新しい事に取り組めるのはワクワクする。

入社式の後は研修講義を受けて、ありがたーいお言葉を頂戴した。ありがた過ぎて耳から入って、するりと反対まで抜けていったね。明日はコーヒー買ってこ。

労働の意義とか、人生における幸福をどう考えるのかみたいな話があった。どうやら弊社では労働の質とか達成感が、人生の幸福に直結すると信じているらしい。ありがたいなぁ。
人生の幸福の形は、そんなに一辺倒に決められるものなのか?少なくとも幸福の形を押し付けてこないで欲しい。ディストピアかよ。でも、結局あなたの幸福って何?って言われると分かんないかも。幸福と聞くと、漠然と金とか趣味とか仕事とか恋人のことが思い浮かぶ。でも、死ぬ時にそれらが充足していたとして果たして幸福なんだろうか。

幸福を定義することは、幸福を感じる第一歩なのかもしれない。「知足(吾唯足知)」という考え方がある。これは龍安寺のつくばいにも彫られてる言葉で、字のごとく「足るを知る」、満足していることを自覚する/自覚しろという意味。無制限に飢えて成功を求めて、仮に成功して短期的に飢えが満たされたとしても、また新たに飢えていく。これは貪欲に成功へ固執しているから、恐らく成功への近道だろう。でもこれは幸福か?いつまでも飢えは満たされない状態よりも、足るを知ってどこかで満足した方が幸せだよってこと。
俺にとってこの「知足」が幸福の指針だと思う。つまり、俺が満足してるならそれでいい。俺自身の満足感こそが幸福なんだ。自分自身の器を決めて、満足を感じるのが重要なんだ。多分。

労働は満足感を得られるんだろうか?少なくとも弊社の幹部たちは労働を生き甲斐にしているし、満足しているんだろう。俺はどうせなら俺にしかできないことがしたい。多分それが俺の満足に直結すると思う。今後は多くの上司の下について、様々なテーマが振られてくるだろう。きっとその中に俺を幸福たらしめるものがあると信じたい。

そういえばMHR買いました。楽しい。

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