たまには「なにもしない」をしませんか?
私はたまに「何かしなきゃ」っていう魔法にかかります。
最近のあなたはどうですか?
人はいつもなにかしている
学生のときは、勉強して、部活して、恋愛してる人も多いし、そういえばサークルやゼミやバイトもあって、就職活動と卒論に追い込みかけて…。
社会人になったら、当たり前に毎日仕事、残業もするし、家事もするし、恋愛の続きとその先を考えることもあるし、先輩の影響で趣味が増えたり、スキルアップせねばと焦ったり。
「やったほうがいいこと」とか「次はこれがくる!」みたいなスキルとか、そういうものは枚挙にいとまがなくて。SNSからは、いわゆる「すごい人」の情報がたくさん手に入るし、自分に足し算もしたくなりますよね。
私自身「あれもこれも自分でやってみたい!強くなるぜ・・・!」って思いがちで、就職活動していたときは「絶対働く母になったる!!!」って息巻いていたタイプだったなーと、最近当時のメモを見つけて遠い目をしてました。
なにかしてみても
そううまく行くことばかりではなくて、
自分のキャパシティを超えて疲れてしまったりとか、
食らいついているけど気持ちは辛かったりとか、
食らいつきたいけどできなくて自己嫌悪したりとか、
もはや体が朝起きるのを拒否したりとか、
そういうことも起きたりします。
そして多分、こう思うんです。
そしてなんと、何かしていなくてもこう思うんです。
今私は何もしていない、これはよくない気がする、みんなはやっているのに。
これぞ「何かしなきゃ」の魔法…(と私は呼んでいます)
「なんでできないんだろう」
これはすごく苦しい言葉で、頭の中をよぎるのに、よぎるだけで何も動けなかったりして、さらに自分が嫌になり、また「なんでできないんだろう」って戻ってきて、無限ループが形成されちゃったりして。
色々考えながら、噛み締めながらちゃんと生きるには、多分やることが多すぎるんです。
そういうときにすべてを解決してスーパーな自分になる魔法はないのだけど、「いま私は「なにもしない」をしたいっぽい」と思うと少し気持ちが落ち着きます。
「なにもしない」をするっていうのは
「なにもしない」をするっていうのは、大学生のとき一緒にいたちょっと悪い友達(笑)と思いついた概念でした。当時は学校行くのが面倒だとか、なんだかわからないけど疲れたときの言い訳で使ってた言葉。友達はとっくに忘れてると思うんだけど、私的には大発明だったんですよね。
今でも、疲れた、色々効率悪い、なんだか自分の機嫌が取れない、とにかくやる気がでない(元気な時にはガンバレ自分って思うんだけど)、そういうときに「なにもしない」をします。
「なにもしない」のやり方
自由です。自由ですが、トライしてみると思ったより難しいことにみなさん気づかれると思います。多くの人が何かしだすんじゃないかな(笑)
私の「なにもしない」はいくつかあって
すぐできることから大掛かりなものまでこんな感じです。
とにかく、意味や目的を求めずにただ何となく気が向いたことをやる、時間がどれだけ経っていても自分を咎めない、っていうルールで「なにもしない」をしてます。
よくよく考えてみると、小学校低学年くらいまでは基本的に「なにもしない」で暮らしていたのかもしれません。
「なにもしない」をすると何が起きるのか?
多くの場合は何も起きません。期待しないでください。(ごめんなさい)
それでも、何かしたい魔法にかかって疲れている自分を少し休ませることはできると思います。
たまに、無性にやりたいことが湧き上がってきて「私これがやりたかったの!?」と気づけたり、
何もしない間もふと頭をよぎったタスクに対して「こんなに気になっちゃうなら仕方ない、やるか」と行動できることもあるかもしれません。
私たちはきっと、何かをする代わりに何かを失っていて、何かをしない代わりに何かを得ています。
サボってるわけじゃない、ただ今は「なにもしない」が必要だっただけ。
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