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何があっても、何はなくとも

おそらく、人は絶対的に「無い」ものを認識できない。いろんな「ある」を知ったうえで、それがないように感じられた時に「無い」と言っている。

りんごを見たことがあるから、今ここにりんごがあるか無いかわかる。お金という概念に触れたことがあるから、仕事上能力がすごく高い人を見たから、表情が豊かな人を見たから、それが自分にもあるのかないのか考える。

「無い」を考えられるのは「ある」を知ったからであり、本当に何もなかったら、「無いこと」どころかその概念自体に気づかないだろうな。あるかないかなんてその程度のことなんだと思う。

それなのに、どんなに小さくても「無い」が見つかると人はものすごく気になる。表情、能力、関係性、物理的な持ち物。とにかく、あることよりもないことに人は目敏いんだけど、どこかにあるのを知るごとに「ここにはない」ことを気にし続けていたらキリがない。だから「あれがない」と考えている時にはいくつか問いかけを思い出して心を落ち着けたい。

まずは「本当にないのか?」
本当になかったら、無いことすら見落とすはずなんだから。多少なりとももう持っているのかもしれない、という観点。

あとは「必要あるのか?」
それは必須なのか、ないとどんな問題が起きるのか、本当はあるけどない振りをしたらどうなのか、といった観点。

そして「どうありたいのか?」
何があっても、何はなくとも、自分がどう存在していたいかは、持ち物や能力の有無には左右されないはずだという観点。むしろ、あり方に持ち物がついてくるのかもしれない。

そもそも、あるかないかなんて相対的なものでしかない。誰かが無表情に見えたとしても、それは私たちが過去に見た笑顔や泣き顔やその他色々な表情と比べたら、そう見えただけ。

そんな曖昧な尺度で見ているものだから、あってもなくても、別にいいと思う。というよりは、きっとちゃんとあると思う。


この note はコーチたちのアドベントカレンダー2023 にて「笑顔」と「無表情」というキーワードをいただいて書きました。


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