「大変さ」が伝わっていないのがすべてのすれ違いの始まり

ある担当者が、その職場のボスに、最近起こったシステムトラブルとその解決策を説明していた場面でのこと。

担当者は、トラブル自体の解決方法はあるものの、相当イレギュラーな解決方法をとらない限り、その仕事のスケジュールが1ヶ月程度遅れることになるので、少し問題になる可能性があるという説明をした。

で、それを聞いたボス、「なんでそんなに遅れるの?ほかのところでいろいろ工夫して巻いていけばなんとかなるのではないかな」という反応。

それを聞いたその場の担当者の人たち、渋い顔。

あ、こういうのよく見るやつだ。と思った。

日々の仕事の物理的な大変さを共有できていないとこういうことが起こる。

担当者にしてみれば日々精一杯仕事をしてのスケジュールなので、トラブルで作業が1ヶ月止まればお尻もかなりずれることになる。でもその大変さを共有できていない人からすれば、「工夫してなんとかしろ」となる。

ここで日々の大変さが共有できていれば、ここで1ヶ月止まるとどのくらい厳しいかがちゃんとわかるようになる。工夫してもまあ1~2週間頑張って短くできるくらいか、みたいな。

じゃあその「大変さ」を共有するために努力すべきなのはだれか?

それはやっぱり上司の側なのだと思う。大変な目に遭ってる人は往々にして大変さを発信する余力がない。そこは日々の職員の動き、仕事のやり方を横目でちゃんと見ておく必要があるのだと思う。あの人はいつも電話をしている、あの人はいつもDVDのメディアと格闘している、あの人はいつも打ち合わせばかりしている・・・など。本人に直接あれこれ聞かなくても雰囲気で大体のことはわかる。

こういう「大変さ」の共有は、家庭でも重要だ。家事の分担とか、そういう話。いつもパートナーが何をやって何が大変なのか、きちんと観察し、理解ないと、すれ違いはこういうところから起きる。

仕事もそうだし家事もそうだが、できあがった結果だけに文句を言っているようでは何もうまくいかない。その過程を観察し、大変さを共有しよう。

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