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トーンダウン・メテオノール #風景画杯

文字数:23,907字


 沙口(さぐち)が大学生の頃から乗っている自転車を漕いでいると、田圃道を並走する電車が横を通過していく。電車のフロントにはキオ3244という識別番号が記してある。

 時間は朝の9時半を少し過ぎていた。家を出た時は曇りの天気だったが、だんだん小雨がパラついてきた。今日は曇り雨の天気になると新聞に書いてあったので、レインコートを羽織って自転車に乗っているが、やはり着て正解だった。

 6月の田圃道は田圃に水が張っているので、さながら湖の横を通っているような心地がする。そして蒸し暑い。風が遠くに見える遠野山(とおのやま)から吹き下ろし、平野を撫でていき、ついで沙口が走る県道を包み込む。ビニールのレインコートを風が撫でていく感触は、あまり気持ち良くない。ビニールの内部、服と肌の境目では湿気が汗を生み出し、バイト先である雑貨屋までの4.3キロを走り切るまでの、運動によって燃焼されるカロリーが行き場のない熱となってレインコートの内部でわだかまる。フードを被っていると風の涼しさをほとんど感じられない。それに風も弱いから、身体を冷たくさせる作用は持たず、季節特有の生ぬるさを感じる。

 家を出て15分ぐらい経った。ペダルを漕ぐ足は、自転車を動かす運動に習熟しているが、しかし沙口はそろそろ29歳になる。往復8.6キロの行き帰り、そして雑貨屋での立ち仕事は体力的にシビアになりつつある。しかし雑貨屋以外の仕事は沙口には思いつかず、そもそも給料を家庭に入れなくては生活が立ち行かない。沙口は実家暮らしだが、父はリタイヤして母はパート、そして二人とも貯金がない年金がないとこぼしている。

 半年前までは職場に週6で、それに時間も開店から閉店までとみっちりと入れていたが、いまは事情があってシフトをだいぶ減らしてもらった。朝の10時半から午後3時までの勤務だ。仕事の時間が減ったなら減ったできつい感覚はあるが、なかなか職場で相談できる事情ではない。しかし沙口はもともと知り合いが少ないため、打ち明けられる相手がほとんどおらず、滅多に高校時代の同窓会にも呼ばれない。数少ない知り合いが一人、菓子工場で働いていたのだが、彼は沙口が知らないうちに自殺していた。数年に一度呼ばれるクラスメイト主催の飲み会では、「そういえば死んだあいつさあ」と、議論がかわされたらしい知り合いの話が出て、沙口は確かに彼が不在であること、そして彼の死にまつわる事柄が終了していたことに静かに戦慄した。同時にクラスメイト同士で共有されていることが自分には全く伝えられていないことに苛立ちを覚えた。

 風は弱いが、フードを被っているせいでこもって聞こえる。横を向けば遠野山まで続く田圃で作られた平野が延々と続くせいで、ふと沙口は、自分が砂漠か荒野からはいでてきた虫のような錯覚に陥る。もちろん錯覚は錯覚で、沙口が走る県道は単に郊外なだけである。遠くには住宅地や公園の外郭がうっすらと見える。そして住宅地を入っていけば、やがてスーパーや専門店、大きな道路に沿って走ることができる。沙口を追い抜いたキオ3244はそこを目指して走っている。電車はまあまあ混んでいて、座っている人やボックス席に腰掛けている人、つり革につかまっている人が多い。半年前までは沙口もあそこの住人だった。

 電車は、路線としては石見ヶ原(いしみがはら)線に属する。この電車の始発は長山(ながやま)駅で、一時間ほどかけて沙口が住む中渡(なかわたり)駅を通り過ぎて、中溝(なかみぞ)駅、茂木(しげき)駅、そして終点であり沙口の目的地でもある新渡(にいわたり)駅へ向かう。半年前まで、沙口は中渡駅から電車に乗って20分で新渡駅へ到着し、そのままスムーズに駅前の雑貨屋へ入っていた。いまはかなり手間をかけて自転車通勤に切り替えている。

 沙口が住んでいるのは、新渡県(にいわたりけん)の北東部に位置する新渡市の、少し北寄りにある中渡町だ。昔は中渡町は新渡市から独立していたが、土地合併が進んでいつのまにか新渡市の一部になってしまった。いまでは〈中渡町〉は〈旧中渡町〉という地名、もしくは駅の名前でしか使われない。

 中渡駅から電車ですぐの距離にある中溝駅は、よくいって寂れた場所で、近くにはモールもないしコンビニも少ない。50年前から残っているような住宅や、金魚屋、釣具店、昔ながらの蕎麦屋が残っている。しかし新渡駅まで近づけば、田圃道は車道となって住宅街に入り、家並みがビル街へと変わってくる。新渡駅は県庁所在地なので大きなビルも多い。県内で就職するなら新渡駅近くがまだベター、と学生時代はよく噂されていた。

 キオ3244が沙口を追い抜いて数分。一人きりになった。周囲は田圃道なので、車が通らない時はしんじつ沙口は孤独である。人工音が消え去った空間では虫、風、雨の音がずいぶんハッキリと聞こえる。都会の人は自然音でリラックスするらしいが、ここまで音が大きいとあまりくつろげないだろう、と思う。虫は我が物顔で鳴くし、風の音が耳に痛い。交通渋滞や工場とはベクトルが違う音が迫ってくるのだ。自然音は人工音と違い、全体的にのっぺりとしている。しかしいつまで経っても止まない。自転車に乗っていると、沙口を取り巻く蛙の鳴き声、風雨の音は車やバスと同じぐらい大きく、エンジンのうなるような響きは風の吠え声とかなり似ている。

 ペダルを漕ぎ続けているうちに思考が空っぽになり、同じことばかり考えているうちに中溝駅へ。ようやく半分だ。沙口はいつものように駅の駐輪場に自転車を止めて、小雨が延々と降り注ぐ中、かついでいるリュックサックから麦茶を取り出し、百ミリリットルほど飲み干す。職場でトイレには行きづらいので、水分補給には気を遣う必要があったが、かといって何も飲まなければ熱中症になってしまう。レインコートのフードをかぶりなおし、フードの内側を通してグレーの空が見える。雨がぱたっ、ぱたっと降り注ぎ、視界が汗でにじむ。思ったより暑い。

 腰や肩を軽くストレッチしてから中溝駅を出発。時間には余裕があるが、早く着けるに越したことはない。それにどうしても雨が気になる。

 中溝駅から見える県道の向こうは住宅街だ。県道は新興住宅街を通り抜けていく。土地の都合、この先で県道はいったん途絶えるので、そこで別な道に入る必要がある。交通が便利になり、新渡まで往復しやすくなったのはいいものの、やはり中間地点としての印象は否めない。他の地域と同じく、中溝の辺りも若者より老人のほうが多い。

 沙口の父親や母親も七十近い。沙口もとっくに青年時代を通り過ぎてしまった。こどもの頃は大人について、タバコと酒と車以外まるで考えが浮かばなかった。いまの沙口は三十近い男なのに、そのどれとも縁がない。自分がアルバイターとして働いている実感も薄い。

 そんな曖昧な問題よりも、本格的な夏が来たら自転車通勤はどうすればいいのか、それに雪が降ってきたら、どうやって行き来すればいいのかという問題ばかりが浮かぶし、対策を思いつかない。沙口が車に乗れば問題は解決するが、実は免許を持っていない。高校卒業後に沙口は自動車学校に通ったが、とにかく運転が覚えられず、教官に怒られすぎて途中から通うのが嫌になってしまった。けっきょく、半年かけてとうとう沙口は試験をパスできなかった。金と時間ばかり浪費して合格できなかったので、両親からきつく叱られた。

 沙口には妹もいるが彼女は二十四歳だ。大学を卒業してから東京に引っ越していき、仕事をやめたりまた就いたりしていて、よくわからない。彼氏がいるのかもわからない。

 県道を走りながら住宅街を抜けていく。先週まで水道工事が行われていて、ドリルや重機の音がやかましかったのだが、ようやく終わった。が、信号がひとつ増えている。赤なので沙口は止まった。一人なら突っ切ったかもしれないが、横にホンダとダイハツの軽が並んでいる。顔を覚えられたくなかった。

 細い道路沿いにはアパートや新築の一戸建てが並び、瓦屋根の家並みが点在する。景色を眺めながら走っていると、ゆるやかな傾斜が出てきて沙口は少しずつ身体を立て直しつつ進む。すぐ後ろを郵便局のバイクが追い抜いていく。もうラッシュ時を過ぎたせいか、道には車が停車して荷物の積み下ろしをしているので、沙口はいちいち避ける必要がある。トラックを見ていると、店長が運転する雑貨屋のロゴが貼り付けられたハイエースを思い出す。車を運転するのは店長か、正社員である順子さんに限られている。バイトの沙口は車を運転できず、そもそも運転ができない。しかし、それでも二人が店から離れて出張していくのを見ていると、自分がちっぽけな存在だと改めて思える。店長はわざわざ車で出なくても、テレビ会議で用を済ますことも可能なのだが、いちいち車に乗って出張に向かう。順子さんはそんな店長を見て「きっと一秒でもいいから店から離れたいのよ」と沙口にいう。

「まあ、多少はあるかもしれないですけど」

「多少じゃないわよ。全部に決まってる。だってあたしそうだもん」と順子さんはいった。

 歯に衣着せぬ物言いは順子さんの常だ。順子さんの本名は坂口順子という。家族構成はよく知らないが、店長と雑談している時に旦那のグチみたいなものが聞こえてきた。どうして彼女を下の名前で呼ぶのかというと、坂口と沙口では名字が似通って間違えやすいので、店長が下の名前で呼んでいたのが伝染したのだ。沙口は彼女が働いているところを見ていると、「どうして上京しないで新渡にとどまっているんですか?」と質問したくなる。単に地元が好きなだけかもしれないし、結婚したせいで離れられなくなったのかもしれないが、沙口は確かめたことがない。むしろ、そんなことを聞いたら「あんたこそなんで東京行かないのよ」と逆質問されるだろう。沙口にうまく答えられる自信はなかった。就活の時に自分の考えがまとまっておらず、単に行かなかった、としかいいようがなかった。だから例えば、年収が低いだの、この仕事にはやり甲斐がないだのと仕事場でボヤけば、「そういう生活をしたからよ。嫌なら環境変えたら?」と返されるのは火を見るより明らかで、突っ込んだ話ができない。

 沙口は新渡の高校を出てそのまま地元の大学に入り、地元の会社に入った。他の選択肢が思い浮かばなかった。もし首都圏に行きたがり、明確に何々をする、と学生時代から決めていたならば、シンプルにそうしただろうし、おそらく首都圏に行けずとも、新渡にいながらも自分の人生を変えるチャンスがあったはずだ。実際に大手の会社やスタートアップ企業で働いている人の中には、地元に残ったが、何かの拍子にスカウトされたような人もいる。しかしそんな生活は沙口とは無縁だったし、生活を続けるうちに発作が出てしまったので、上京どころか旅行すらできなくなってしまった。

 沙口は発作のせいでずいぶん店長と順子さんに迷惑をかけてしまったとは思うものの、じゃあ店をやめようとか、代わりのアルバイト生を連れてくるとかの決断には至らない。

 元来沙口は、他人に強く物をいえない性質だった。強く主張する行為が苦手なのだが、それは他人に優しいというよりも、誰かに話をすると、大抵は話がこじれてしまい、想像より時間がかかるとか、あるいは誤解されて結局できなくなるというディスコミュニケーションに至るからだ。物をいえない性質に後天的になってしまった。おおよそ小学生から高校生までの期間で、沙口はたくさんの苦い経験と居心地の悪さを味わった。時に周囲から孤立し、時に他者の助けをまったく受けられない状況の中でひとりで過ごさなければならなかった沙口は、チームで仕事をすることに嫌悪感すら覚えるようになった。

 だから大抵、沙口は何かについて他人に相談せず、一線を越えるまで一人でやりきってから他人に報告する。例えば沙口は就職先を選ぶ時、両親や妹に相談せずに、長山市(石見ヶ原線の始発が出発する長山駅でもある)に就職を決めた。新渡市から南西に下った都市で、そこそこ大きい。そこの水道会社に職を得た。就職説明会や入社当初はなかなかの高待遇を受けていたし、年上ばかりの職場で沙口は、まるで孫に対する祖父の接し方のような生活を楽しんだ。両親は新渡での就職を望んでいたので、引っ越しの時に話を切り出して、かなり怒られたが、うまく返事ができない沙口は、そのまま家を出てきてしまった。

 とはいえ我が世の春も入社半年ぐらいまでで、営業マンとして入社した沙口はそれまでディスコミュニケーションが多い人生だったので、営業にいっても結果は出ないし、何度か先輩から焼きを入れられても効果がなく、それどころか余計にこじれるものだから社内で孤立していった。その頃になると、まともな話し相手は長山駅近くにあるカウンセリングクリニックの人間しかいなかったし、カウンセラーの話はたいてい「で、仕事どうしますか?」に終着してしまい、一方通行的な対話に息苦しくなっていった。なんとか努力をアピールするために、三十冊ぐらい自己啓発書やビジネス書を買い込み会社のデスクに並べたが、課長や事務は気づかなかった。その頃の沙口は、とにかく自分を救ってくれる人間はいないかと手当たり次第に探し回り、思いついた会員サイトやビジネス記事、オンラインサロンに課金しまくり、長山にある日曜英会話とか趣味のサークル、生花の会にできるだけ加入していたので、月の支出は手取り収入を超えた。

 どうしても首が回らない時は両親に頼んで送金してもらったが、経済的な面でも精神的な面でも生活はメチャクチャだった。しかし、当時ヒットしていた漫画に出てくる妹キャラをかなり気に入って、それは少し精神的な支えになった。一日の睡眠時間が五時間を切ることもザラにあったが、そういう日はスマホでさりげなく漫画を開き、妹キャラを見て束の間楽しみ、仕事に戻った。

 しかし週7で会社とサークルとネット上の交流を繰り返す生活をしているうちに、沙口はあらゆる面で疲弊してきたので、やはり救いを求めて筋トレを始めたのだが、それが腰を痛める要因になった。駅から自転車で三十分の距離にあるジムでデッドリフトをしたところ、40キロぐらいの負荷から足と腰に痛みを覚えて動けなくなった。日曜の夕方のことだ。新渡から持ってきた自転車も、ジムに置いてタクシーで家に帰る羽目になってしまった。もう限界だった。彼は衝動的にメールで退職届を書き、会社のアドレスに送ってしまった。

 その日はクリニックでもらっていた睡眠導入剤と抗不安薬を二倍飲んで寝たのだが、やはり二倍飲むと身体もそういう反応をするもので、寝起きにぼーっとしてしまった。三十分ぐらいかけてようやく沙口は覚醒していったが、その頃はもう始業時刻の9時を越してしまっていたし、会社は現実的には8時半には始業しているので、二重の意味で沙口は遅刻した。「おれ皆にころされるかもなあ」と本気で思った沙口は、ライナスの毛布代わりにシャツを一枚余計に着込んで出社した。が、割とスムーズに退職はうまくいき、自己都合退職という身分ではあったが、とにかく会社から離れられた。給料とも昇給とも縁が切れたが、おかげで大量に作ったカードや名刺とはおさらばすることができた。もっとも爽快だったのは、二十枚近いカードを一枚一枚手でちぎり、駅のゴミ箱に最後はまとめて突っ込んだことだ。

 そして沙口は、長山で通っていたカウンセリングクリニック・生花・押し花・日曜英会話・俳句・書道・TRPG・瞑想サークルの全ての約束をぶっちぎって石見ヶ原線に乗って実家へと帰っていき、物置になっていた自分の部屋の押入れから布団を引っ張り出すと、二日間眠り、起きてから薬を飲んでまた寝た。そのうちに頭痛で目が覚めて、台所に出ると父と母が待っていた。仕事をやめたことを父に叱られたが、沙口にとってディスコミュニケーションはいつものことなので、「まだまだこれはらくなほうだな」と気楽に構えられた。気楽さのおかげで第二の就職先をスムーズに探すことができた。沙口はその後何箇所かバイト先をディスコミュニケーションのせいでやめることになるのだが、その晴れやかさは一年ぐらい続いた。もちろん連絡に使っていたLINEには、かなり強い調子で連絡が来たが、連絡が溜まってきたところでアカウントごと削除した。これもまた晴れやかさがあった。そうして第ニのアカウント作りに勤しんだ。


 線路沿いの県道を走っていたのだが、とうとう畑に遮られて道がなくなった。というより行き止まりになる。自動車の場合は別な道を探す必要があるが、沙口の自転車なら行き止まりの隙間から入り込み、五メートルほど畑の際を突っ切って向こうに出られる。もし畑を管理している人間に見つかればそうとう怒られるかもしれないが、いままで見つかったことはない。今日も見つからずに済んだ。ただ、帰り道は道が暗くなって危険なので、さすがに別な道から帰る。

 中溝駅から茂木駅までは一キロほどだが、時間がかかる。道がまがりくねり、電車の線路がカーブすると、それに応じて歩道も線路をまたぐように伸びるし、さっきのような畑があるので、道自体がなくなる場合もある。自転車通勤の最初の時期は、てっきり線路脇を走り続ければ良いと思っていたものだから沙口は狼狽した。

 曲がりくねった道に入り込む。この辺りは住宅街の中でもかなり年季が入った地区に当たり、家の脇にカカシが立て掛けてあったり、信号がない道もザラだ。瓦屋根の平屋が多く、二階建ての家が見つかりにくい。看板も多く、《登下校の小学生注意》《不審者! 110》《火事があぶない》などが設置してある。看板は線路脇の大きな公園にも置かれている。安全のために遊具は取っ払われてしまうこのご時世だが、ブランコ、ジャングルジム、鉄棒、ベンチがいくつか残っている。まだ時間が午前中だからか、公園の奥のほうで、ニューハンプシャー州のロゴが入った帽子をかぶった老人が歩いている。沙口が自転車通勤をするようになって毎回見る人物だ。スーツと革靴という出で立ちだが、なぜか帽子だけはラフだ。おそらく父と同じリタイヤした元会社員なのだろうが、それにしてはどうしてスーツと革靴なのだろう。そして一人きりだ。老人はビニール傘を差して、ベンチに座っている。公園の中を歩いているだけかもしれないが、もしかしたら誰かの連絡待ちということもありうる。外に出てもすることがないかもしれないが、しかし家で座ってばかりいると、心臓や血管が奇妙な方角に脈打ってしまいつらいものがあるため、どうにかして陽の光を浴びたいのかもしれない。しかし春や秋なら外出に適してはいるが、今日みたいな梅雨や、夏や冬になれば、老人のような立場の人間はどうすればいいのだろう。猛暑の中をベンチに座って時間が過ぎるのを待つというのは、沙口の想像以上に過酷ではないのか。自分の問いかけは、まっすぐ沙口にも跳ね返ってくる。

 もし老人が家に居場所がなければ、と沙口は思う。ますますおれと似たような境遇だ。

 父は沙口に対してかなり態度が厳しい。許可を得ずに勝手に長山に就職したことも、相談なしに仕事をやめたことも気に食わないようだ。たぶん根底にあるのは、息子がマニュアルの自動車免許すら取れず、学校を退学になったという苛立ちだ。父と夕食を一緒にすると、たいてい「ハローワークに行かないのか」とか「土橋さんの事務所が若手を募集してるぞ」と、直球なことを言い放ってくる。できるだけ波風を立てたくない沙口はウンと頷き夕食を腹に詰め込むと去る。母は口にこそ出さないが、父と考えが似ているので、夕食や外食の時、同じ雰囲気を放っている。そういう時、沙口の心には長山から帰ってきたことへの後悔の念が湧き上がるのだが、ならば一体どうすればよかったんだ? という疑念も出現するため、心の中は調停するので忙しい。なにより食事がまずくなる。しかし、食費を浮かすためには両親とともに食べる他がない。バイト代はわずかばかりの貯蓄と家に渡す分、それから読めもしないのに購入してしまう資格試験の参考書に消えてしまう。沙口は新渡に帰ってきてから、英語と宅建士、基本情報技術者試験の資格の勉強をしているが、どれもうまく身につかない。そもそも時間を潰すために勉強する意味もある(ゲームでも時間は潰せるが、家族の目を意識するとできるのは深夜に限られた)。そのため、金のなさと居場所のなさという二重苦を感じながら沙口は実家暮らしを続けているし、それを突破するための良い方策を思いつかない。

 いま沙口は線路脇の小道を走っている。朝の10時前だと車の通りは多くない。線路脇には車道しかないので、歩行者は補助線の内側を歩く。が、実際に歩行者や自転車がレーンを歩いていると、通り過ぎる自動車からかなり鬱陶しがられる。車が少ないならいいが、三台も四台もやってきた場合、沙口は進行方向について再考を迫られる。

 軽乗用車が二台、沙口を追い抜いていった。そしてもう一台。今度は中型トラックが後ろに寄ってきた。道幅が狭くて追い抜けこそしないが、運転手が苦虫を噛み潰したような表情をしているのが、手にとるようにわかる。ここらが潮時と、沙口は住宅街に入った。例によって何度も道に迷ったので、自分の方向感覚を信じすぎないようにしている。十字路の度に立ち止まり、スマホで時間を確認しながら走る。まだ余裕がある。交差点の信号は赤だ。といっても向こうまでの幅は数メートルもないので、誰も見ていなければ渡ってもいい。小雨は同じ調子で振り続けている。雨にもだいぶ慣れてきたが、視界が塞がれる感じがする。

 沙口はあえて自転車から降りた。尻の筋肉をほぐしたかったからだ。正確には足の付け根から膝、それからお尻の少し上辺りの筋肉が、ペダルを漕ぎ続けたせいで熱を持っている。実はスウェットを履いている。もちろん雑貨屋では別な服に着替える予定だ。身体にはまだ電車で通勤していた頃の名残があって、きちんとした服を着ないで家を出ることに違和感がある。

 信号が青になった。沙口は自転車に乗り直すとペダルを漕ぎ始める。しまった、水を飲めば良かった。まあ茂木(しげき)駅はすぐそこだ。

 住宅街の中では五十メートルもまっすぐ進めない。家が見えると左右に分かれる必要がある。昨日は左へ曲がったので、今日は右へ進み、雨に濡れる変化のない路面を見つめながら、次の交差点で更に左へ曲がる。十メートルごとに小刻みな進路変更を余儀なくされているので、めんどくさい。家の表札が飛びすぎていく。村山、佐伯、楠と貼られているのだが、たまに二世帯住宅らしき家があり、そこは富田秋野と併記されている。鉢物、雨ざらしの軽自動車、家の玄関に放置されている、おもちゃのトラックや砂遊び用のスコップとバケツを眺めながら走り、やがて大通りに出ると、茂木駅はすぐそこだった。9時50分。

 中渡(なかわたり)駅や中溝(なかみぞ)駅と違って、茂木駅は最近リフォームされたばかりで施設が新しい。駅の傍には公衆トイレも設置されているので、誰でも入れる。たまに便所が汚いときがあるが、そうした点には目をつぶる。多目的トイレに入ると、内部は清潔でほっとした。

 リュックサックを下ろし、ペットボトルの水をさっきと同じぐらい飲む。汗のせいで気分は晴れないが、梅雨はこんなものだ。軽くストレッチしてスマホの着信を確認してから、忘れないうちにリュックサックの中から薬を取り出して飲み込む。整腸剤と抗不安薬だ。身体は徐々にトーンダウンしていく。企図せず、沙口は長山時代にもらっていた抗不安薬を新渡でも再びもらうことになった。たかがバイト生で、今日の労働時間も四時間ぐらいだが、しかしシフト中に具合が悪くなることは許されない。「大丈夫ですか?」と聞かれたら「大丈夫ですいけます」といわなくてはいけない。「すみませんお腹痛いです」といっても店長や順子さん、それに最近入ってきた李さんは許容してくれるかもしれないが、客は許さないだろう。

 沙口は責任という言葉が29歳になる今でも苦手だし、同じぐらいプロとかプロフェッショナルという言葉も苦手だ。よくテレビや動画で「プロらしくやれよ!」とか「僕らプロなんで」という言葉を耳にするし、正論なのだが、それ故に沙口は胸が重くなる。彼の目には、身の丈以上の重量を担ぎ、頂上が見えない山を死にそうな顔で登山し続ける人のイメージが浮かぶのだ。なぜ自分がそうなったのかはわからない。水道会社での挫折経験がそうさせたのかもしれないし、あるいは長年に及ぶバイト経験が沙口を変質させたのかもしれない。もしくは、もう年収400万円以上の生活は無理だろうという、現実的な諦めが呼び起こした感情でもあるかもしれない。できるだけ考えないようにしているが、沙口の手取りはおそらく同期より少ないし、おそらくこれから悪くなりこそすれ、良くならないだろう。特に発作が発生したいまではなおさらだ。

 沙口は12月のある日、中渡駅で乗り込んだ電車で具合が悪くなった。本音をいえば、その日からさかのぼって一ヶ月前、三ヶ月前から吐き気や胸の痛みは感じていた。しかし一ヶ月前は寝不足だったり、三ヶ月前では久しぶりの同期たちとの飲み会で、恥をかくまいと必死だった行動を自分の中で反省していたので、それが原因だと思っていた。しかし半年前の12月、沙口は突如としてせり上がってきた胃痛と嘔吐感に我慢できなくなり、出勤中の電車で嘔吐してしまった。周囲の乗客がギョッとした目で彼を見て、沙口は胃の中におさまっていた朝食のカスを、慌ててティッシュで拭き取り、リュックに放り込んで隣の車両へ逃げた。だが次の車両に行くと、ますます気分が悪くなりめまいまで起きて、黒目がブルブル震えているのが自分でもわかった。沙口は滅多に開かないツイッターを開くと、〈あ〉とか〈きえ〉だのわけのわからない文面を次々投稿しはじめた。そうしていると気分が紛れたのだ。そうやって中溝駅までやり過ごして、電車を飛び出すと10分ほど椅子に座り、店長に〈熱が出ましていまから病院に行きますので本日はお休みを頂いてよろしいでしょうか〉と震える手付きでLINEを送った。

〈了解。風邪? 気をつけて!〉という返信と、その一分後に笑顔のスタンプが送られてきた。帰りの手段をどうするか考えてから、母親に迎えに来てもらうことにした。帰りの車で母親は、あんた顔色悪いわよ、といったので、これから病院に行くよ、と返した。おそらく食中毒だな、と沙口は予想して、内科へ向かった。

 すると医者は訳知り顔で、「紹介状書きますね。別のお医者さん通ってます?」と切り出した。

 心療内科に入った沙口には、パニック障害という診断がついた。心療内科医は温厚な顔つきで、「ちょっと名前は仰々しいんですが、まあ一種の現代病といいますかね。無闇に恐れる病気でもないんです。生活習慣を整えれば、次第に症状は減っていくでしょう。とりあえず薬は出しておきますので、朝晩に飲んでみてください。一週間ぐらいは休養にあてていいと思いますが、大丈夫な感じになったら、電車にも乗ってみましょう。他に気分が悪くなったことってありますか?」

「ええと、両親の車に乗ってると、いつも後部座席なんですけど、気分が悪いです。あと、関係ないかもしれないんですが、この前歯医者に定期検診に行ったんです。そうしたら、歯の治療中に気持ち悪くなっちゃって、途中で何回かトイレに行きました。これ関係ないですよね?」

「いや……そうともいえません。パンフレット置いてあるので、良かったら差し上げますよ。ストレスの発散とかしてますか?」

 沙口は反射的に、いまプレイしているソシャゲで見かける妹キャラを思い浮かべた。妹キャラは長山時代から漫画で見かけていたが、漫画がヒットしてアニメになり、アニメは設定資料集に小説アンソロジーまで発売されるほどの人気作となり、妹キャラは大出世を遂げた。去年からとある漫画を原作にしたソシャゲがリリースされ、妹キャラも最高レアキャラの一人として登場している。

 妹キャラは母親が司書、父親が学者、五人いる姉はアイドルと教師と魔女を兼任した〈インダストリア・ウィッチーズ〉というユニットを組んでいる。妹キャラは異様に知識欲が旺盛で、ゲームのヘルプ画面にも登場する。ソシャゲのジャンルはRPG学園ゲームで、妹キャラは図書館に住んでいるような感じで居着いており、そこにたむろするサブカル系やヤンキー系のキャラとも仲が良く、成績も優秀だ。学園卒業後は留学費用を貯めるため、週末にはダイナーでアルバイトもしている。文武両道で自立心も旺盛、万事につけて消極的な沙口には憧れるところがあった。そして妹キャラは姉たちとともに〈インダストリア・ウィッチーズ〉でチアガールもしており、SNSでも人気がある。

 妹キャラを担当する声優は、沙口が電車で発作を起こす2週間前に婚約を発表した。結婚文面は「声のお仕事をしていく中で素晴らしい人とお会いしました。これから温かい家庭を築きつつ、皆様に応援していただける仕事をできるようにがんばります」。

 記事を見た時、沙口の中で何かが壊れた。恥ずかしい話だが、沙口の中では、妹キャラは永遠に妹キャラで、主人公に癒やしを与え、敵と戦い、〈インダストリア・ウィッチーズ〉で踊っているものと考えていた。そんなキャラの認識が崩れた。妹キャラが漫画に登場して十年近く、アニメ化されておそらく五年も経過していない。声優がついてそれほど長い時間が経ったわけでもないのに、声優イコールキャラクターと無意識に考えている自分にもショックがあった。いずれにせよ沙口は、妹はずっと妹であるという空想を、中の人物が次のライフステージに進むという発表により、粉々に打ち砕かれた形になる。

 フィクションはどうあっても現実と地続きだ。どれほど浮世離れしたキャラであっても、声優やグラフィッカー、エンジニアのように入力する人間がいなくては成り立たないし、そうした人を包含するべき会社や事務所が必要になる。人間同士の繋がりという舞台裏を見ていると、自分はそこに別に所属しているわけではないことに気づく。妹キャラは複数の人間の一面で構成されているが、ファンの一人である沙口は特別に寄与していないし、強いて言えば金しか出していない。金を出すとなると、多いか少ないかでしか人間をはかることしかできない。ここでも沙口は疎外感を覚え、疎外感はディスコミュニケーションで苦しむ自分や、家族、人間関係、年収、職業という現実へと繋がる。

 報道を見て沙口は一気に熱が冷めた。「所詮ファンがいくら投資してくれようが、それはあくまでパブリックな領域であって、役者である私にはプライベートで支えてくれる人が必要なのよ」と明言された気がした。妹キャラは大々的に売り出されていたので、イメージソング、彼女を模したフィギュア、下敷き、〈インダストリア・ウィッチーズ〉公認のプロマイド(単なるイラストだ)などの各種グッズが発売されている。それらを沙口は密かに買っていたが、冷めた勢いでゴミ袋に突っ込んだ。しかし捨てるのも勿体なく、そのままゴミ袋は押し入れの中に置いてある。

 妹キャラの声優が結婚した時に、やはりSNSは大いに盛り上がり、炎上し、祝福と非難、罵詈雑言と悲鳴が混ざり合った。そしてそういった意見を斜に構えた態度で更に批判する意見が打ち込まれたし、他の俳優が婚約を擁護したり別なアーティストが次の日に離婚を発表したし、公式SNSが別キャラの絵を続々と投下するため、うやむやになったまま2週間が過ぎてしまった。

 既に数万円課金していたので、ソシャゲはほそぼそと続けているが、沙口はそれ以来、キャラに愛着を持てなくなった。「どうせ結婚するか何かして離れていく」と思うと、キャラに課金するのがバカバカしくなったといいかえてもいい。自分が抱いた感情は本物だったが、幼稚だとも思えたし、そんな感情で苦しむ自分を情けなく感じることもあり、結婚なんかで情熱がスポイルされた自分への自己嫌悪もあった。そしてキャラの結婚で冷めるということは、〈キャラ〉は〈アイドル〉とか〈俳優〉にも置き換えが利くし、彼ら彼女らは露出する仕事で金を稼ぎ、事務所の移籍や仕事の関係で別なステージへどんどん進んでいくが、実家へ帰ってきた沙口は行きたいステージへ行くことが容易ではない。ソシャゲにログインして妹キャラを見る度に自分が袋小路に陥ったことを錯覚したような思いがあった。

 だがそんな心境はとても医者には話せない。

「特にないです。酒とかタバコもそんなにしません」

「そうですか。じゃあ読書をオススメしますよ。SFは頭の体操になりますし、ファンタジーは広い世界を扱っているので、空想の中ではどこでも自由自在にいけます。私は中華風の大河ファンタジーが好きです。仕事柄、ここを離れられないんですが、頭の中ならどこへでも行き放題ですからね。純文学は、いろいろな悩みをフォーカスして言語化しているから、自分の悩みを扱っている作家を探すのも良いです」

「わかりました。本屋で見てみます」


 茂木駅を出発する。新渡駅まで残り2キロだ。

 駅を出ると小川があり、そこを渡る。橋の長さは二十メートルほどだ。橋を渡り終えるとすぐに別な県道と合流する。茂木駅近辺は住宅街とオフィス街とがまだらに重なり合っている。家の脇にラーメン屋があり、昔ながらのタバコ屋と蕎麦屋に挟まれる形で家が建っている。自転車で通るようになってわかったのだが、昔は空き地だったようなスペースに、変電所が新設されていたり、歩道のあちこちの自販機は新しい飲料水が組み込まれている。

 自転車の空気がだんだんと抜け始めているのか、タイヤが柔らかくなる感覚がある。トーンダウンしつつある自転車に乗ると不思議な感覚がある。電車の車両センターに差し掛かる。新渡駅はハブステーションなので、遠くから走ってきた回送電車や急行電車、貨物列車などもここで面倒を見る。そうなると、新渡駅の施設だけでは収容しきれないので、車両センターが必要になる。ここに電車を置き、保管しておくのだ。一般人は入ることができないので、沙口はいつも横を通り過ぎる。ところどころに設置された監視カメラ、そして一面を覆うフェンスを眺めながら、外周を大回りするようになだらかな道を走る。

 空を見上げると灰色。雨は夜には止むらしい。

 自転車で動き続けた疲労はあるが、抗不安薬のおかげで落ち着いている。疲労回復のために薬を飲むわけではないのだが、ライフスタイル上、得をしているところがある。周囲には車が走るばかりで人間がおらず、心細さもあるのだが、心細さもまた抗不安薬が落ち着かせることを沙口は知っている。

 店長と順子さんは、パニック障害を発症した沙口にこれまでと変わらない態度で接してくれた。少なくとも表面上はそうだ。やはり彼らの間で色々考えることはあるのだろうが、もしそうでも沙口は仕方がないと思う。雑貨屋には李さんほか、何人かのパートの人が勤めているが、後天的な人見知りの性質が作用して、沙口は彼らにまでは自分の話を広げない。これまで取り柄とかアイデンティティが薄かった沙口にとっては、いきなり発作というものが前面に押し出されてしまったので、発作について話さない人とは共有部分も少なく、そのために同じ釜の飯を食う感覚が薄くなってしまうことに気づいた。

 医者には月に一度通って薬をもらう。電車についてたまに言及されるが、沙口は話を濁している。それに現実問題、電車には乗れなくなってしまった。電車に乗れないなら使えるのか自転車か自動車しかないが、いまから免許を取りに自動車学校に通う元気はない。消去法で通勤手段は自転車になった。また、どうしても時間が余ると無為な時間も増えて、そういう時に母から小言をいわれるとムカムカしてどうしようもなくなり、外出する必要があった。結果的に、パニック障害には自転車によって強制的に世界を広げる作用もあった。

 電車に乗っている時はスマホをしているか妹キャラの画像を探すのに忙しかったので、道沿いに墓地があることにも気づかなかった。茂木駅の近くには一箇所あり、たまに外から見える墓には、コーヒーが供えてある。

 オフィスが並ぶ道に差し掛かる。まだ場所が郊外であるせいか、物静かな感じの雑貨屋や、駐車場が広めに取ってある店が多い。墓地を通り過ぎて、洋裁店の前を抜けて、でこぼこ道をバウンドしながら走り抜ける。

 地上を走る沙口と平行しながら、だんだん線路がせり上がっていく。沙口は高架下に潜り込む。いま上へと伸びていく線路は、新渡駅が新幹線と普通電車を同じレイヤーで扱うために工事した線路である。新渡駅には新幹線も入るが、その専用レーンは普通電車とは別方向に設置してある。沙口は線路を眺めながら、今日の店にはどんな客が入るか考える。

 大手チェーンの雑貨屋には毎日大量の品物が搬入される。沙口はダンボールに箱詰めされた商品の梱包を解き、陳列するのが主な仕事だ。使われたダンボールは再利用される。売れなかった品物を再梱包して返品するのである。急激に品物が変わると客の反応が良くないので、入れ替えのアルゴリズムは徐々に進む。売れなかった商品には店長がコメントをつけることがあるし、つけないこともある。しかし順子さんが店長のコメントに影響を与えていることには疑いがなく、「もう少しソフビっぽいとお子様にも売れますよ」「こないだの商品よりサイズ感出せたのか、手にとってる方多かったです」と順子さんが話すと、店長はメモ帳に何かしら書く。

 黙々と商品を片付けたり取り出すしかできない沙口には、ビジネス上の疎外感をそういう時に味わう。自分の仕事は喋らないことであると理解はしているのだが、沙口もいる昼食の席で、関わることのできないステージの話を露骨にされると、やはり自分はどこかに置いてきぼりにされたような感覚を味わう。もちろん、表向きにはそんな感情は出さないで「なるほど」「聡いですね」とコメントを付け足している。自分の話は求められていない。いなくてもいい。バイトとはそういうものだったが、いざ経験してみるとそれなりに考えることがある。

 自分は大学を卒業していろいろあった後、雑貨屋という生き方を選択することで、人に影響を与えず、逆に時給や仕事によって影響される人間になった。自分は周囲への影響力や影響について、大学時代と長山時代でしか、考えが及ばなかったことに気がついた。生活全般において薄く、余生のように過ごしている。おそらくこの生活にも、濃すぎる人間関係を薄めることができたり、支出を抑えられるメリットはあるのだが、最近はデメリットのほうを感じる。もっとトーンダウンを深めることで、最小限の生活に適応していくことで、何かしら生活の良さを探し出せるのかもしれないが、それは極端過ぎるかもしれない。そうなると、自分にできることをもっと探すべきなのだろうか。しかし、いまの状態で副業をするなど考えもつかないし、どこかに通うにしても電車に乗れないのでは限度がある。

 ようやくオフィス街に入った。車線が増えて、自転車に乗っている人間が増えた。歩行者も多いのでホッとする。歩道には柳や樹木が設置されていて、枝も茂っているから雨露をしのぐこともできそうだ。沙口は手頃な樹木の下で止まり、ペットボトルの水を飲む。ぬるいが、こんなものだろう。自転車には弁当も載せてある。型崩れしないといいが、と思った。道路沿いにはハンコ屋、ブランド品を売り買いする中古屋も見える。もう随分遠くなってしまった高架線の辺りから、ゴオオ、と新幹線が通過する音がした。

 飛行機を除けば、新幹線から見える景色は頂点だ。新幹線が新渡駅へ入っていく。こどもの頃、沙口は新幹線で何度か東京に行ったことがある。あの頃は多くの百貨店、デパートを見下ろして、なんだか雲の上で生活しているようでいい気分だった。普通電車は格が落ちて、百貨店や居酒屋、書店と同じ目線で走る。では歩行者や自転車はどうなのかというと、店の玄関クラスへと視点が下がる。あるいは歩道を横切るトンボとか、道に生えている草花と同じ立場になる。新幹線クラスならば頂点から見下ろせる。しかしその分素早く停車場へ入らねばならない。歩行者は景色を気が済むまで堪能できるが、早く入ることはできない。電車はその中間だ。もっと段階を踏んだ移動の手段を選びたいが、しかし沙口の財力でこれ以上を求めるのは現実的に難しい。

 パニックの発作を起こしたのは12月で、いまは6月。沙口は半年ほど自転車通勤を続けている。肉体もそれに応じて変化し、両目から両足にかけて自転車通勤に応じた肉体へと変化してきた。道のバウンド、いつもどこかでやっている工事の予期、カーブの迂回を繰り返しながら、沙口はスピードを落とす準備をする。いつもやっていることだが、自転車のスピードからアルバイトのスピードへとギアを変えるには、特殊なスイッチが必要になる。店には店の速度があり、自転車には自転車の速度がある。それは人と働くことへの適応だ。人の速度に合わせるには一人の速度がなくてはならず、しかし一人の速度が長すぎると、ギアチェンジには時間とエネルギーが余計にかかる。顔つき、声まで店の外と中では別になる。

 新幹線と違う線路から電車が入ってきたのが見えた。キオ3244を思い浮かべたが、しかしキオ3244はさっき中渡駅の近くで通り過ぎたから、別の電車だろう。新渡駅を出入りする路線も多い。新渡駅は電車の音だけでなく、人々が行き交う雑音や工事音、騒音に満ちている。車道にはタクシーから自家用車まで種々雑多な車が走るし、自動販売機もそこら中に置いてあるので、缶が販売機から取り出される鉄の音もする。新渡駅の近くまで来ると沙口は、中溝あたりの田圃道がまるで幻か何かのように思える。とはいえ実際に中溝まで戻ると、新渡の喧騒なんて夢の一部だったように思えるのだから、人間の主観はどんどん変化する。

 目的とする雑貨屋は新渡駅の500メートル手前にある。だから、正確にいえば新渡駅に着く必要はない。駅の近くには中古屋と書店がある。たまに沙口は仕事上がりに中古屋に行っていたが、以前に立ち読みをしていたら、少し遠い本棚に順子さんの後ろ姿が見えて肝が冷えたことがある。沙口はその姿を見て、自分は順子さんが嫌いだという感情にようやく気がついた。順子さんは気が強くて店長への具申を堂々と行うし、その調子で沙口のプライバシーにもどんどん介入してくるものだから、用事がなければ人と会話しない沙口にとって、彼女は天敵も同然だった。他に退職した仕事場も、順子さんのような人に追い込まれて退職したことをようやく悟った。雑貨屋は職場なので話を合わせるが、それ以外では会わないほうが無難だ。余裕があれば中古屋で本でも買いたいが、彼女が立ち寄る可能性(といっても正社員の順子さんと沙口では活動時間が違う)を考えると、足を向ける気にはどうしてもなれない。

 自転車を雑貨屋の駐輪場に滑り込ませたところで、沙口は自分がスタッフの一員としてやってきたことを思い出した。従業員用の駐輪場は裏手だ。店内唯一の喫煙所も裏にある。順子さんがたまに吸っているが、客がタバコの臭いに敏感になってきたとぼやいていた。沙口は長山時代、会社の人間に合わせるためにタバコを吸っていたが、雑貨屋に入ってからは順子さんが吸うのでキッパリとやめた。

 時刻は十時二分、シフトに入るのは十時半。よしよし、早く着いた。

 自転車から降りた沙口は、ほどなく下半身からせり上がってきた筋肉痛に耐えながら裏口から店へと入る。

「お疲れ様です」

「お疲れ様でーす」と顔を出したのは店長だ。

「おはようございます。順子さんは?」

 沙口は尋ねた。

「ちょっと遅れるって。こどもさん送迎するんだって」

 店長がいった。

「あれ、順子さんこどもいましたっけ」

 沙口が聞き返すと、店長は半笑いで店の奥へ引っ込んでしまった。なんとなく、順子さんの家族構成を知らない沙口が悪いという雰囲気になってしまった。

 店のトイレに向かい、雨合羽を脱いで下着も全て取り替える。制服をトイレで着込むと店長に怒られる。ひとまずまともな服装に着替えてから更衣室に向かい、更に制服に着替える。「沙口くんあのね」と店長がダンボールを抱えて現れる。まだ着替えの途中だが、店長は気にしていない様子だ。

「あ、今日の仕分け分ですかそれ」

「うん。ちょっと早いんだけど。それと今月の給料分、これも早いけど」と店長はダンボールをテーブルに置き、ダンボールの上に置かれていた封筒を差し出す。沙口は予想外の封筒に目を戸惑わせる。

「あ、ありがとうございます」

 ちょっと噛んでしまった。封筒を受け取る。軽く会釈して封筒を見ると、中には明細書らしき紙が入っている。頭の中で時給を労働時間と掛け算していると、店長が声をかけた。

「病気……最近、どう?」

 声に遠慮の響きがあったので沙口は、これが本題か、ということに気づいた。

「あんまり変化ないです。でも、薬は毎日飲んでるので……医者は、そのうち良くなるといっていました。駆け足で頑張らないほうがいいって。今日も自転車で来ました」

 なんだか中学生みたいな受け答えになってしまった。調べ物はよくしているのだが、沙口は口が回るほうではない。

「そう。まあ、沙口くんが元気で仕事してくれればいいし……でも家からここまで一時間でしょ? 苦じゃない? お尻とか痛くならない?」

「はは、もう中年ですわ。尻とか痛くてたまらないです」

 最初にうまくいえなかった反動か、沙口村はか自分に対する嫌味をいってしまった。店長は苦笑したが、彼は沙口の十歳年上だ。あまりいい気分ではないだろう。

「沙口くんがオッサンなら僕は大オッサンだよ」と店長が、沙口の心理を裏取りするような発言をする。沙口はやはり反応に困りつつ笑ってごまかす。そもそもが皮肉なのだから、笑う反応はおかしいのかもしれない。

 店長が不意に時計を見た。沙口が店に入ってから五分ほど。まだ荷物の整理もできていない。沙口は、自転車に乗っている時は時間の流れが遅かったことに驚いている。やがて話題がなくなった店長がダンボールを置いて去ると沙口は着替えてからダンボールを開封する。

 仕事が始まる。


 仕事が終わった。

 時間は午後の4時過ぎ。午前中は問題なく終わり、午後も滞りなく仕事が終わった。しかし午後4時から、レジ業務と在庫の片付け、それから店の清掃を同時にやっていたら、予定時刻を過ぎてしまった。沙口は手書きで業務時刻表に記す。大手チェーンの雑貨屋だというのに、管理用のタブレット端末はなかった。正社員ならタイムカードを使えるのだが、アルバイトはそこまでして厳密に詰めなくても良いかもしれない。

 順子さんは始業時間に少し遅れた。店長の予測通りで彼は安心して、店の雰囲気が悪くなると同じように気が張り詰めてしまう沙口も安心して、それをいうなら遅刻がわずかで済んだ順子さんも同じように安心したようだった。事情としては、共働きの順子さん夫婦だが、こどもが急遽熱を出したので、順子さんが小児科に連れて行った。その後、順子さんの母――つまりこどもの祖母――が、小児科にやってきてバトンタッチ。順子さんはそのまま雑貨屋へ来て、祖母はこどもを連れて、順子さんの自宅へ向かった。順子さんと母は別居しているようだ。

「おばあちゃんいてくれて良かったですね」と沙口は本心から口にした。そうでなければ順子さんは一日店に来れなかった。

「本当にそう。おばあちゃんさまさまよ。今日はウチの子はおばあちゃんの家に連れてって、ご飯食べさせてもらって、身体も拭いてもらうわ。ほんとありがたいわー。まあでも、おばあちゃん一人だと時間持て余すとか、やることなくて辛いとかいってたから、丁度いいのよきっと。こどもいると働くのとかほんとムリだから、どうにかしておばあちゃんに手伝ってもらわなきゃね。全員で助け合うのが家族だもの。ほんとはアタシおばあちゃんと同居したいけど、旦那がマジで無理っていうから別居という形だし。旦那が出張行く機会あったら、夕飯とか食べに行こうかしら。そうしたら洗濯もお願いしてお風呂も入れてもらおうっと」

 そういうものなのか、と沙口は考えた。沙口が結婚する機会はないだろうから、順子さんの話は新鮮だった。人間を育てて時間を使うという感覚は考えたことがない。しかし、こどもの祖母が一日中面倒を見ているということは、祖母の時間を逆に拘束しているともいえる。祖母による育児の手伝いは順子さんにはありがたいだろうが、もしかしたら役割の強制も否定しきれないだろう。祖母の本心としては、子離れができてほっとしているのに、こどもが別なこどもを連れてきた、という感覚は部分的にはあるかもしれない。おそらくこんな風に考えるのは、自覚しているように、沙口が育児に縁遠い人間だからだ。そもそも自分の世話だけで手一杯なのに、パートナーと同居したり、ましてや家族を作るなんてもっての他だ。おそらく順子さんは祖母にかなり甘えているのだが、沙口は人のことがいえない。実家暮らしで水道光熱費、ネット料金まで持ってもらっている身上では、おおっぴらに他人の生活態度に口を出せない。

 沙口には東京に引っ越していった妹がいる。彼女が家庭やこどもを作るとなれば、否応なしに沙口は家庭作りを手伝う羽目になるか、それが嫌なら家族を距離を置くことになる。正直、家族とはうまくいっていないのでできるなら家を出たいが、出たところで行くアテがない。家族に反発しながら家族と暮らしていくというのは、生活がかなり矛盾しているし、エネルギーの浪費だ。そんな状態を放置していると、おそらくいま以上に精神的にも肉体的にも悪影響が出るだろう。あるいは発作を理由にして逃げることもできるかもしれないが、家族という集団は、そこまで柔軟ではないだろう。おそらくあれこれと理由をつけるより前に、自分は家から叩き出される。自分は公園の老人と同じぐらい不安定な立場に置かれている。もし万一の事態が起きたとして、自分に準備はできているだろうか?

「ところで病気って治りそうなの?」とあけすけに順子さんが聞いた。いつも彼女はこんな感じである。

「ああ……そこそこです」

 沙口は荷物を片付けようとしている姿勢で、遅番として入ってきた李さんを遠目に見ながらいう。これで会話が終わったかに見えたが、順子さんは前腕を掻いただけだ。おそらく言葉が足りない。

「今日も自転車で来ました。やっぱ年なんでそろそろしんどいですね」

 沙口は無理して笑った。早く帰って薬を飲みたい。そうすれば寝るまで心安らかでいられる。

「まあ家まで10キロ近くあるもんね。あたしさ、実は家に使ってない電動自転車置いてあるのよ。通勤に使うかなーって思ったけど予想外にしんどくてね、すぐに断念しちゃった。沙口くんさえ良ければどう?」

「あ、そうなんですか! ください! いつくれますか?」

 沙口は反射的に口に出して、遠くの李さんがこちらをチラリと見たのに気づいた。順子さんが苦笑いしている。

「ああ……うーん。いつがいいかな。ちょっと奥で埃被っててさ、取り出すの時間かかりそうなんだよね」

 しくじった。順子さんは本気で沙口に自転車を渡そうとしているわけではない。《今度お茶しようね》とか《お酒飲もうね》』ぐらいの、単なる話題のための話題だったのだ。人間関係には時折、何の伏線もないこういう落とし穴が広がっている。そして大抵の場合、沙口は気づかないで穴に落ちる。

「そうですね。まあ……電動自転車といっても、いろいろありますからね。ウチも電動を導入しようかと思うんですが、父が反対してて」

 沙口はできるだけ丁寧に、傷痕が残らないように話題を切り替えた。順子さんは、やや戸惑いながら話題の転換につきあってくれる。

 そういう中身がありそうでない会話を五分ほどすると、順子さんが切り上げたそうにもじもじし始めた。沙口はほっとしていった。

「じゃあ、水曜に」

 今日は月曜日だ。沙口の次のシフトは明後日の水曜になる。仕事に来なくてもいい反面、休みの余った時間をどう使えばいいのか、未だにわかっていない面もある。

「ええ、じゃあ」と順子さんはいった。

 店を出ると雨はまだ降っていたが、レインコートを羽織ってまっすぐ帰るのはためらわれた。仕事が終わった達成感はあったが、それと同時に同期たちはまだ仕事をしているし、同期たちの給料はもっと高いし、なんなら妹キャラの声優はこの時にも家庭を続けるために仕事をしていることを考えた。頭の気づきに付随する不安や比較が、自分にかなりの重荷を背負わせていることに沙口は気づいていない。窓から店が見えるが、李さんがレジに立っていた。新渡駅の近くで外国人の姿は見られるし、中渡にある工業団地には、週6で東南アジアの人が働いている。彼らは日本がつきつける過酷な環境にも負けず、仕送りやビジネスチャンスをものにするために必死に働いている。それに比べて、定収入だった正社員をやめてアルバイトになった自分はどうだろう? 自分はなにかに精力を注いで人生を生きているわけではない。家を買ったり家庭を作るような苦労をせず、時給と労働時間を掛け算して、月に何冊のマンガ本が買えるか計算している自分が、意欲の乏しい貧相な人間のように思えた。仕事終わりに中古屋に寄ろうかと思ったが、そんな気分が消え失せてしまった。それでも多少は時間を潰したいので、新渡駅の近くにあるドラッグストアに入る。

 化粧品、ボディソープ、風邪薬といろいろな棚を見る。漢方の棚まで見た沙口は、特に面白い品揃えもないので切り上げようと思った時、耳栓が売っていることに気がついた。棚の端、旅行用のアイマスクが置かれている。販売しているのはメテオノールというアメリカの会社だ。サイズは一番小さくてM――アメリカ人用のサイズだ。沙口の耳にはかなり大きい。こんなものを自分は使えるのかと思っているうちに、レジに持っていってしまった。

 もしこんな現場を順子さんに見られたら……

 ……しかし、順子さんはまだ仕事中だ。それをいうなら、沙口の知り合いはひとり残らず店内で仕事を続けている。なら、気にする必要はない。それに、すれ違う人はBluetoothのイヤホンや有線のイヤホンをしているではないか。一人ぐらい緑色の耳栓をつけている男がいても、おかしくないだろう。要するに、両親に咎められなければいいのだ。

 沙口は耳栓を買った。店員に白い目で見られるのではと不安があったが、ポイントカードをお持ちですかといわれただけだった。

 店外に出るとイヤホンをつけるフリをして、耳栓をつける。片方はめた途端、これは何かが違うぞ、と期待感がこみ上げた。明らかにこれまでとは異なる聴覚の感覚があり、新鮮なものだ。

 両耳に耳栓をはめた。

 電車が、

 車が、

 バイクが、

 喧騒がトーンダウンした。

 自転車に乗りながらのイヤホンが法律で禁止された後から、沙口は耳栓をつけるなど考えもしなくなった。しかし、この音量を下げる感じはどうだろう。耳に音がこもるものの、取扱説明書を広げてみると、人の声や信号などの、致命的な事故に繋がりうる高音域はカットしないらしい。主にカットするのは車、電車、バスの低音域だ。沙口は耳栓をつけて初めて、自分がどれほど新幹線や電車の音量をやかましく思っていたかに気がついた。車、バスも同様だ。周囲を見回すと誰も沙口のことを見ていない。沙口は明らかに気分が楽になっている。薬ほど直接的ではないが、薬のように副作用を心配する必要はない。自転車に乗っていて、背後からやってくる車や自転車にはいっそう気をつけたほうがいいかもしれないが、沙口はもともと気配には敏感な方だ。この小雨なら耳栓への影響はないだろう。

 耳栓をつけていれば、沙口はもしかしたら電車にも復帰できるかもしれないと考えた。急に気分が舞い上がって、飛躍した考えも持つようになっていた。しかし、理性的に推し量ると、急すぎるしハードルも高い。それに、まずは自転車の乗り心地を確かめながら帰る必要がある。茂木駅が、中溝駅が、中渡駅がこの耳栓でどのように変わるのか、沙口には気になった。

 けれども、沙口が住んでいる中渡駅が快適になれば、いずれは行動範囲が長山まで広がるかもしれないし、一度広がるなら、東京も、あるいは海外も範囲に収まりうる。沙口はパニック障害を起こしてからいままで、遠方に旅行に行く夢を諦めていたことを、そしてそれによって、思った以上の絶望感とともに暮らしていたことに気がついた。

 しかし沙口はもう三十手前の男だ。安易な希望に乗っていい年ではないし、たぶん一日にして生活は天国にならない。だからやるべきは、小さな実践と理解の繰り返しだ。耳栓の効果は大したものだが、考えながら行動しなければ、すぐに耳栓も日常に埋もれる。生活を快適にしていくためには、段階を踏む必要がある。もしかしたら耳栓は単なる入り口に過ぎず、より快適に過ごすには、例えば……サングラスとか、帽子とか、他にもいろんな物が必要になるかもしれない。筋トレとか貯金とかの行動も必要になってくるかもしれない。逆説的に、耳栓が良い物であるからこそ、それを維持するためには継続した努力が必要だとわかり、それに対する抵抗感がある。つまり日々の積み重ねはやはり積み重ねでしかなく、自分がどこかの世界にいないということは、才能や資力で補填できない限り、やはりどこかの世界への下積みが足りなかったことを意味する。

 いずれにせよ、希望的観測が生まれたのはいいことだ。当座は行き帰りが楽になる。

 沙口は早足で自転車のところまで戻り、雨ざらしで濡れたサドルをタオルで拭く手間も惜しんで、自転車にまたがる。大して気にならない。日が徐々に暮れていく新渡駅を出発して、下校する高校生、オフィスレディ、クールビズを着込んだサラリーマンたちの中に入り込み、ゆっくりと自宅へと帰っていく。思ったより音が減った自転車は快適で、小雨にも関わらず涼しい風を沙口は顔に浴びた。

 帰りに茂木駅で水を少し飲もう。
 

《終わり》


この作品は、白蔵主さん主催のコンテスト『風景画杯』に投稿した小説となります。すてきな機会を設けてくださいました、白蔵主さま、ありがとうございました。

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