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ゴブリン・イン・ザ・ダーク(『グランブルーファンタジー』二次創作小説)前編

(文字数:21,620字(読了目安: 45分))

(2018年にpixivに掲載した作品です)

→後編

1


 ルシウスが山にはびこる魔物の討伐を依頼されてから数日になる。ルシウスはおおまかな規模を把握しており、後は急襲するのみ。山頂や中腹には出入り口らしきものが見受けられたが、使われた形跡が薄いので放置することにした。村長からの前情報によれば魔物はラウンドウルフなどの小型の魔物だったが、実際に近辺を調査したところ、通称【立ち犬】と呼ばれる大型魔物の足跡があった。おいそれと真似できる代物ではない。実物が聞いた話と違うのはいつものことだ。しかしこれを単独でどうにかしなければいけないのは現実的な問題だ。後で証拠を持っていって追加報酬をもらわねばならない。


 今回の依頼にティナやフィーナは関わらせていない。時節はちょうどバレンタインデイの前後にあたり、ティナやフィーナは団長のためにどんなチョコを作ろうかと頭を悩ませているからだ。ティナやナルメア、アンスリアが夜な夜な厨房に出入りしているところから見るに、共同でチョコレートの制作にあたっているのだろう。そこにルシウスが魔物討伐の依頼を承ったのだが、チョコの味や団長の動向に一喜一憂する妹たちを眺めていると、甘酸っぱいものを魔物で邪魔するのはいかにも無粋だった。ということで、団長に話を通しただけでルシウスは騎空艇を離れた。


 なるべく早く魔物を処理して戻りたい。バレンタインの前日にあまり不在にするのも何であるし、ティナの顔を見ていると、おそらく近日中にチョコレートの材料や何かが足りなくなる。


 明け方頃、ルシウスは山頂近くに位置する巣に近づいた。自然にできた洞窟に魔物らが巣食い、入り口から覗ける闇には腐敗臭が漂っていた。【立ち犬】らしき体毛も何本か落ちている。このまま入るかと思った矢先、洞窟から足音がしてルシウスは頭を引っ込めた。誰かが来る。


 洞窟内からやってきたのはゴブリンだ。弓、刀、それから剣を携えている。


 ゴブリンというのは数だけは異常に多く、グループを作った場合は各人が異なる武器を持つ。だがそれも行き倒れた冒険者から奪った武器だったり、捨てられていたものを拾ったりで練度は低い。とはいえ雑魚でも数が多ければ一般人にとっては脅威だ。現にルシウスの村は母もろともゴブリンたちに蹂躙された。既に王であるゴブリンキングは討伐していたが、王がなくとものうのうと生きている姿は見るからに浅ましかった。改めて腐った魔物に対する復讐の念が湧いてきて、新しい殺意が心理を塗りつぶす。


(ひとつ試してみるか)


 離れた木陰に隠れたルシウスは短刀を抜いた。ルシウスは普段は剣で戦うものの、遠距離攻撃に乏しいという欠点がある。パーティならばフィーナやティナにいぶりだしてもらえるものの、単独の場合は自分でカバーしなければならない。そこで考えついたのが短刀投擲であり、特に東国から伝来したという苦無をルシウスは好んで用いていた。投げやすさがあり手に馴染む。弓を持ったゴブリンにあたりをつけて苦無を構えたルシウスの後ろで声がした。


「ピカピカしてるゴブー」


 予測していなかった声に思考が凍ったが体は動いた。振り向いて近くでしゃがんでいたミニゴブリンメイジを発見すると、急いで彼女を抱えて木陰を走った。後ろではゴブリンたちがルシウスとミニゴブを見つけて騒ぎ始めている。矢の一本が木の幹に突き刺さって彼は呻いた。


 山の中の全力疾走は骨が折れた。枝や倒木が邪魔するのはもちろん、茂みも足を滑らせて滑落しそうになる。だが数分も走るとゴブリンたちは彼らを見失ったらしく、怒声が次第に離れていく。ため息をついて見下ろすと、ルシウスに抱えられたミニゴブがキラキラした目で苦無を見つめている。


「ルシにーちゃん、これ、もらっていいゴブ? フィーねーちゃんにお土産したいゴブ!」


「これは土産物じゃない。あと、俺はルシにーちゃんではない」


「じゃあウスにーちゃんだゴブ」


「……ルシでいい」
 ルシウスはもうひとつため息をついてから腰を下ろしてミニゴブを座らせた。ミニゴブが何かいう前に口を開く。


「おい、ミニゴブリンメイジ。どうしてここにいる。どうやってここに来た」
 ルシウスはミニゴブを指さした。ミニゴブはくせっ毛のある髪の毛をフードで覆った女の子に見えるが、れっきとしたゴブリン族だ。ゴブリンを蛇蝎のごとく忌み嫌うルシウスにとってミニゴブは悪魔の子孫であり、正直いって良い感情はなかった。それでもフィーナが面倒を見ている手前、またミニゴブが他人とうまくやっているため、意識して彼女からは目を逸らしている。だがここまで来た理由は解せない。


「んーとね。いまはフィーねーちゃんとかティーねーちゃんが、チョコ作ってるゴブ」
 ミニゴブは上目遣いにルシウスを見た。何をジロジロ見ていると怒鳴りそうになったがルシウスは我慢した。このゴブリンが村を襲ったわけではないのだ。それにしてもティーねーちゃんとは、ティナか。
「それでミニゴブもいっしょにチョコ作ってたゴブ。そんなときにルシにーちゃんがどこかに行っちゃうゴブ。一緒に住んでる家族が真面目な顔して、行き先もいわずにどこかに行くって、やっぱり気になるゴブね?」


「……そうだな」
 ルシウスは頷いた。ミニゴブに家族扱いされることには虫酸が走ったがそれもいわないでいた。


「それにルシにーちゃんは真面目な顔してたゴブ。なにかお手伝いしたかったゴブ。だからこうしてついてきたゴブ!」


「帰れ」
 ルシウスはすげなくいった。
「これは仕事だ。お前の出番などない。皿洗いでもしていろ。そもそも今回は――」


 草木が乱暴に踏み荒らされる音がしてルシウスは舌打ちした。かなり離れたのだが。山腹を見上げるに弓を持ったゴブリンが2人を睨んでいた。他のゴブリンより一段と小さいせいで発見が遅れた。代りの苦無を抜く前にゴブリンは叫んでいる。


「居タゾッ! ココダ! 殺セ殺セ!」
 叫びながらゴブリンは弓に矢をつがえた。ルシウスが苦無を構えた瞬間、ミニゴブが杖を振った。なにか黒く輝くものがルシウスの横を飛んでいった。それが弓ゴブリンの頭に命中すると、ゴブリンは頭でも殴られたようによろめき、ふらついて前のめりに倒れた。地面は斜面だ。ゴブリンは頭から地面を転がり丸太のように落ちていった。


 別のゴブリンが草むらから首を突き出したが、その時ルシウスとミニゴブは物陰に身を潜めている。ちょうど弓ゴブリンはかなり下まで落ちていったようで、ルシウスたちからも見えない。ゴブリンはペッとツバを吐くと別な方向に行った。


「……行ったか」
 ルシウスは安全を確認してから下を見た。ゴブリンが落ちていった方角である。上がってくる気配はなかった。
「何をした?」


「危ないから眠ってもらったゴブ」
 ミニゴブはいった。
「落ちちゃったけどゴブリンは丈夫だから平気だゴブ。3日くらい寝てるゴブ」


「そのゴブゴブ言うのはなんとかならないのか」
 いってからまずいと思ったがもう遅い。口を滑らせた。


「うん……ごめんなさいゴブ、あっ」
 ミニゴブが口を押さえた。
「ご、ごめんなさい……」


 ルシウスは腕組みをしてため息をついた。眼を閉じる。自分にもし天敵がいるとするならこのミニゴブリンメイジだ。これほど扱いにくい相手も他にいない。しかしこのままでは自分が悪者なだけだ。ルシウスが眼を開けるとミニゴブは心配そうにこっちを見ていた。


 考える。仮にもルシウスは修羅場をくぐり抜けたゴブリンスレイヤーだ。そのルシウスに全く気取られないままミニゴブは尾行してきた。乗り合い騎空艇や森に入ってからの数日。動物の気配ぐらいは察知していたがミニゴブには気づかなかった。自分の気が抜けているというより、ミニゴブにもそういう才能があるということにしておこう。それにミニゴブはさきほど、とっさにゴブリンを戦闘不能にできた。機転が利くところは得難い才覚であり、足手まといになることは少ない。それにここで邪険にしすぎて後でフィーナやティナにバレた時、人間関係として面倒になる。ルシウスは口が下手だ。さっきみたいに口が滑ることもあるだろう。過去に何度かあったが、妹に嫌われるのはかなり堪える。


「このまま回れ右して帰る積りはないんだな?」


「ないゴ……ない。もしお仕事の邪魔じゃないなら、手伝いたい」
 ミニゴブはどこかギクシャクした口調でいった。不便さがモロに見えている。
「ルシにーちゃんのお手伝いしたい」


 なぜこうまでして一緒に住んでいるだけの赤の他人にこだわるのか。ルシウスにはそれが理解できない。


「わかった。最初にいっておくが、足手まといになるようなら帰らせるぞ。これは遊びじゃない。魔物は俺たちを返り討ちにしようとする」
 ルシウスはミニゴブに合わせて目線を下げた。
「もうひとつ。敵にゴブリン族がいても俺は容赦なく斬るからな。さっきの様子だと、あのゴブリンどもはお前が女のゴブリンだからといって容赦するようには見えない。自分の群れ以外はすべて敵とみなすのだろう。だからお前も襲われたら本気で戦え。これもいいか?」


 ミニゴブもうなずいた。彼女も思うところはあるだろうが、ここまで来たらやむを得ない。


「後はだ。語尾のゴブも戻していい。いつもと違うとどこかで間違えるからな。わかったなら行くぞ」
 ルシウスが立ち上がろうとするとミニゴブが裾を引っ張った。ルシウスが振り向く。


「ルシにーちゃん、終わったらあのピカピカを欲しいゴブ」
 ミニゴブはいった。口にしている途中で欲しいものを思い出したのか、眼が輝いてきた。
「あのとんがったピカピカゴブ! フィーねーちゃんにあげるんだゴブ!」


「……1本だけだぞ」
 ルシウスはあえてミニゴブの顔を見ないようにいって、斜面を登り始めた。背後でミニゴブが嬉しそうにはしゃぐ声が聞こえたし、その声で何かしら揺さぶられるものはあったが、それで心の中のゴブリンに対するわだかまりが消えるものではなかった。なにせ村が滅びたのだ。


2


 残った2匹のゴブリンを始末しなくてはいけなかった。登り切ってしばらくすると、刀のゴブリンが遠くの茂みを漁っている姿が見えた。ルシウスたちから視認できる位置に剣ゴブリンもいる。前々から外をウロついていたので歩哨だろう。ここで倒すか。


 ルシウスが苦無を取り出そうとすると、ミニゴブがそれを制した。疑問に思っていると、先程の黒い光を呪文で取り出すと、それを剣ゴブリンに向けた。剣が頭に命中して倒れる最中、刀ゴブリンが気づいた。ミニゴブがもう一度杖を振ると、今度は黄色い輝きが飛んだ。刀ゴブリンの胴体に当たると全身が感電でもしたように波打ち、やはりゴブリンは動かなくなった。ルシウスはゴブリンが戦闘不能になったとみなすことにした。ミニゴブの手前、やはりとどめを刺すことはためらわれた。


 2匹をまとめてふん縛り、念のために武器を破壊する。弓をへし折りながらルシウスは訊いた。


「あの黒い奴と黄色い奴はなんだ? 魔法か?」


「うん。黒いものは眠くなって、黄色いのは麻痺しちゃうゴブ。あと、確か赤いのもあるゴブ」


「火傷でもするのか」


「即死するゴブ」


「お前とは喧嘩しないほうが良さそうだな」


 洞窟入り口まで戻るとどことなく影が濃くなっている。太陽は登ってきているのに内部から染み出す闇がねばついてきている。中にはゴブリンメイジがいるかもしれない。


「明かり、つけるゴブ?」


「いやいい。これから先は長いだろうから、杖は温存しておけ」
 ルシウスは小型のカンテラを取り出すと明かりをつけ、蓋をした。体にくくりつける。ミニゴブが物欲しげにこちらを見ているので、ため息をついたルシウスは予備をミニゴブの腹にくくりつけた。バンザイの体勢で明かりをとりつけてもらうミニゴブはニコニコしており、ルシウスは自分が保父にでもなった気がした。あるいはゼエン教のスタッフか。離れるなよと告げて洞窟に入る。敵地に入る緊張感もあったが慣れない子どもとおっかなびっくり歩くこともあって落ち着かなかった。


 どんどん酸素がねばついていった。外では意識しない服のごわつき加減や汗が如実に感じられる。明かり二つが無音で移動する様は自分で見ても不気味だった。一つ分かれ道があった。右と左にわかれていたが左の道はなだらかな上り坂になっており、右はどちらかといえば下る。ルシウスは念のためにバツ印をつけると右に足を向けた。


「左には行かないゴブ?」


「魔物が棲むとしたら薄暗い奥地だ、」
 いいかけたルシウスの真上を何かが飛び抜けた。瞬時に後方に飛び退って苦無を構える。無音。ミニゴブに合図して明かりを上に向けさせると、ちょうどよく岩盤の隙間に足を差し入れたケイブバットがいた。一匹やニ匹で敵意は少なそうに見える。体全体がこちらを向いていた。殺すかどうか迷ったが身動ぎしただけで動き出しそうな気配がある。ミニゴブに魔法を使わせるか考えていると、奥から二つの足音が聞こえた。


 照射で明るみに出た姿は最初は鋼鉄そのものに見えた。よく見るとそれは擦り切れたガラス窓をはめ込んだ巨大なシールドだ。ミスリル製かもしれない。シールドを前面に構え、つま先の部分は鋼鉄で補強されている。持ち主はゴブリンで、仰々しい兜をかぶっていた。シールドにはいたるところに鋼鉄製の棘が生えており、これで叩き潰すだけで破壊力はかなりのものだ。盾兵ゴブリンは一定の距離を保ったまま動かないが、その後ろで女の声がした。


「こんにちは」


 盾兵の後ろから顔を覗かせたのは銀髪の女性だった。理知的な声だ。学校の先生でもしていそうだな、というのが第一印象だった。それでいて洞窟に似つかわしくない目鼻立ちをしており、外で水浴びをしているほうがよほど様になっている。姿は軽装だったがその瞳を見てルシウスは油断ならないものを感じた。ここは魔物ではなく山賊のアジトだったか? だが後ろにいるミニゴブが耳を尖らせたのを感じて、察した。


 こいつは女性ではなく女性型のゴブリンだ。いわゆるミニゴブの成長形といっても良いが見るのは初めてだ。女性は無防備を装うように横に身体を出すと手を上げた。腰には小型スタッフを下げている。


「この子はブロックくん。なんでも防げるシールドバッシュが使えるからその通りの名前。そして私の名前はエンペラ。では自己紹介終わり。次はそちらの番ね」


「皇帝でエンペラか? 寝言は死んでからいえ」
 ルシウスは改めて抜刀した。アジト全体に報奨金が出ている。無防備なうちにケリをつけるのが得策だ。
「ミニゴブ、構えろ。こいつは敵だ」


「敵ゴブ?」
 ミニゴブはおそるおそるという口調でいった。
「倒したほうがいいゴブ?」


「違うわよ。ねえ、ゴブリンちゃん。他の女の子に会いたくない?」
 エンペラが口にした途端ルシウスは自分の失策を悟った。さっさと斬ればよかったのだ。今からでも間に合うかと踏み出したところ、盾兵が眼前に出てきた。威圧感を押し出しているのを見るに、これが本来の姿か。


「奥にね、他の女の子ゴブリンもいるの。ここに男のゴブリンはほとんどいないわ。このブロックくんや見張りのゴブリンはね、女の子のゴブリンを見ても何とも思わないわ。男のゴブリンは乱暴で、無節操で、ルールがない。私たちはそれが嫌になって出てきたの。いまはここに住んでるけど、いずれ別の……もっと明るい土地に行くつもり。でもこんなところで女の子のゴブリンに出会えるなんて、夢みたい!」


「くだらない嘘はやめろ」
 ルシウスは低くいった。この女、ミニゴブを惑わす気だ。
「お前はゴブリンのフリをしているだけの阿呆だ。ミニゴブ、下がれ。こいつの相手は俺がする」


「私の家にもうひとりいるの。お友達、欲しくない?」
 エンペラはにっこりとした。ルシウスは苦無投擲を考えたが、それを背後の声が遮った。


「会いたい! 会ってみたいゴブ! ミニゴブみたいなお友達、いるゴブ? 女の子いるゴブ?」


 エンペラの笑みが深くなった。それは本心からの笑みにもとれたが見せかけの笑みのようでもあった。彼女はくるりと後ろを向くと、スタッフを用いて明かりをつける。ミニゴブを誘う。
「おいで、ゴブリンメイジちゃん。お友達に会いましょう。そこのお兄さんも、よかったらどうぞ」


 なおもルシウスは構えていたが盾兵が武装を解いた。盾を背中にくくりつけるとルシウスには眼もくれずにエンペラに従い、前に出たミニゴブはチラチラとルシウスとエンペラを見比べている。ルシウスがため息をついて剣をしまうと、ミニゴブはいままで見たこともない輝かしい表情で歩き出した。体にくくりつけた照明のせいで異様なほど洞窟がよく見えた。


 やはり連れてこなければ良かった。


3


 ルシウスは洞窟を進み洞窟は彼の思考を体現するように険しく深くなっていった。徐々に道は下り始めいくつも分かれ道ができた。他に侵入者がいたのだろうか、分かれ道の先からは腐臭が漂っていた。エンペラは迷うことなく慣れた足取りで道を選ぶ。罠にはめられたんじゃないかとルシウスは思っていたが、前を行く盾兵は歩くだけだったし後ろから他のゴブリンが迫ってくる気配もない。ちょうどミニゴブが挟まれた形になっているので奪い返すことも難しい。途中でいくつかエンペラが壁を押すと、音がして壁や床の一部が落ち窪んだ。エンペラはそこを踏んで通り過ぎながら、侵入者防止用の罠なのよ、といった。


 ミニゴブとエンペラは何か話していたが、最後尾にいるルシウスには盾兵の巨体も相まって聞き取れなかった。事前に口止めしていなかったのでミニゴブは騎空団のこともペラペラ喋っているかもしれない。しかし口止めしたとしてもどうしてか首を傾げるだろう。ミニゴブは性善説で動いている。悪人について理解できないのだ。エンペラは主に聞き役だったが自分のことも語っているのが少しずつ聞き取れた。


 曰く、ゴブリンキングから離れた分家のそのまた一部。


 曰く、ここをねぐらとしてゴブリン族のオスとは繁殖期にしか会わないし会ってもすぐに帰ってくる。


 曰く、ここに連れてきたゴブリン族の女の子はまだひとりだがもっと増やしたい。


 どこまで本当やら。


 剣の滑りを頭でイメージしながら歩いていると途中から花の香りが漂ってきた。先にある空間から漂ってくる。盾兵の横から覗いてみるとぽかりと空間が開き、オレンジ色の光源が感じられた。ミニゴブが作る明かりに近い照明だがかなりしっかりしている。それに光の加減や暗闇の減退からいって、明かりは複数ある。まさか開けた空間で奇襲されることはないと思うが、ルシウスは最後まで剣の柄に手をかけていた。


 出た先は大きめのホールだった。騎空艇の甲板を思わせる広さで、天井や壁にはオレンジ色の魔力灯が埋め込まれていた。ところどころ吊られているのもある。壁は基本的に岩そのままだが、花柄の壁紙だったり水色のマットレスで装飾されているところもある。ところどころに香り壺が置かれており、そこから花の匂いが漂ってくる。隅には荒っぽい造りながらも水場、厨房が備えられている。時節柄かチョコの香りまで漂ってきそうだ。大きめの戸棚や本棚まで置いてあるのが見事だった。本格的に生活していることは明らかだ。奥にも部屋がある。


 明かりの下には洞窟に似つかわしくないテーブルと椅子が揃えられ、椅子には女の子が腰掛けていた。毛布をかぶりながらカップから湯気が立つものを飲んでいる。時間はまだ朝方だ。寝ているところをエンペラに起こされたのかもしれない。服装はミニゴブのようなロープ姿でエルーンのような耳が生えていた。


 事ここに至り、ルシウスは本気で衝撃を受けた――女の子がいたのだ。それもゴブリンの。いままでミニゴブしか知らなかったが、この種族にも本当にメスがいた。


「エンペラ姉さん!」
 手芸をしていた少女が途中のものを放り出すと、椅子を蹴立ててエンペラへと走り寄った。彼女が待ち構えていたというふうに抱きかかえる。その仕草が人間そっくりに見えた。その様子はいかにも自分が理性的だと言い張っているかのようでルシウスは腹が怒りで煮えくり返るのを意識した。盾兵は自分の役目は終わったとでもいうように壁際に向かうと、そこにあつらえられていた作りおきの椅子に腰を下ろした。エンペラが抱えていた三つ編みの女の子が険しい眼でルシウスをにらむ。


「この人? 私たちの家をずっと見ていた人。そんな人を中にいれたの」
 なるほど、とルシウスは納得した。監視済みだったとは。この数日の動向はすべて丸わかりだったと見ていい。もっと魔力の面から警戒すべきだった。


「あなた、名前なんていうゴブ? アタチはミニゴブだゴブ」
 ミニゴブが首をかしげるとゴブリン族の少女はミニゴブをつついた。久しぶりの来客が面白いのだろう。


「ほわわわ、つんつんしないでゴブ!」
 ミニゴブが慌てたが少女は介さない。だがルシウスが一歩前に出ると子どもは鳥のように逃げ出し、エンペラの背後に隠れた。


「…………ある程度話は本当のようだな」
 ルシウスがにらむようにエンペラを見ると、彼女は笑ってルシウスを見返した。どこまでも真意が読み取れない。


「そうよ。1年ぐらいここにこもりきりだから飽き飽きしてるの。こうしてお客様が来られると嬉しくって嬉しくって」


 何がお客様だと返そうとしたが押さえた。ここは奴らの力場だ。会話しているうちに少女はミニゴブを連れ、ルシウスから離れたところに歩き出している。向かう先は遊び場のようで、区切られた一角には床にマットを敷いておもちゃが置かれていた。ミニゴブは小さな木馬に杖をたてかけると少女と手遊びをしはじめた。


「よければかけて」
 エンペラが口にすると既に本人は椅子にかける。盾兵を呼ばわると厨房の方向を指差し、茶を淹れるようにいう。


 ルシウスは最後まで糸を使わないあやとりで遊んでいるミニゴブから眼を離さないまま席についた。


4


「最初にいっておくけどあの子は進んで私についてきた。ゴブリン族の女は男に比べて極端に数が少ないことは知ってるでしょ」


 ルシウスは頷いた。自分の中のゴブリン知識を総動員する。


「定説はないけれど、私の考えだと、もともとの元祖であるゴブリンキングが男性だったからだと思う。性別が遺伝子に引っ張られて、そのせいで男性の数が極端に多い。それに合わせるためかゴブリンの女はとても丈夫でとても多産。少ない数で種族をまかなおうとすれば当然そうなるわよね。その分狩猟や戦いには向かない体をしてて、住処にこもって子孫育成が主な仕事になる。そういった前提はあるけれど、それ以上にゴブリンの女というのは地上において超希少種。なぜだと思う?」


「囲い込みか」


「正解。ゴブリン側は血の流出を恐れて生まれたコミュニティから出さないようにするの。ゴブリンは一度その地に根付くとモロに属性や地域の星晶獣の影響を受ける。バルツのゴブリンはほとんどが火属性で水属性のゴブリンはよそ者なんて話もあるぐらい。さらに言えば女性ゴブリンは魔力を使う関係で体つきにもその土地の影響が出る。生きていくだけで大変ってことね。


 そこにもって外部へ女性を動かしたり呼び戻したりするのは問題外。子孫育成に悪い影響が出る。だから女性は一地域一人ぐらいの割合で置かれている……のが普通だけど、最近の事情はちょっと違う。


 例えば優秀な女の子が産まれるとするでしょう。その子は子孫育成としての手段として期待される他、子孫育成を終えた後や前でもトレードの対象になる。特徴としては、魔力に光が宿るとよくいわれるわ。魔力というのは単なる流れでしかないけれど、優秀な子の魔力は一般人にも見えるぐらい可視化される。それにそういう子は属性数を何回も変えられる。フリーパスといってもいいかもしれない。魔力の規模も一般ゴブリンより桁違い。異種族の形をしているから潜入工作や破壊工作も可能になる。だからそのくらいの規模になると対軍兵装や攻城兵器としての運用もできる。もうそこに生き物としてのルールはない。通称は破壊の女神。産めよ絶やせよ、我が女神」


「星晶獣扱いといっても良さそうだな」
 ルシウスはチラリとミニゴブを見た。魔力光。属性。2つともミニゴブに当たり、そうなるとミニゴブはやはりゴブリンの考えでいえば優秀か破壊の女神なのだろう。が、それはいわないでおく。


「そう」
 エンペラはうなずいた。
「優秀な女は優秀な子を数百育て、数百の軍勢は島を落とす。かの呪われしゴブリンキングの時代から続いてるルールの一つよ。男は戦え。女は秘して撃て」


「人族はかつてドラフを奴隷としていた。ゴブリンは同族の女性を奴隷としているわけか。どいつも変わらんな」
 ルシウスは足を組んだ。
「恨むべきはゴブリンキングだな。もっとも、あいつは死んだ」


「知ってる。それに時代は変わるもの。人間は進化してきたし、私たちもそれなりの進化をしてきた。いずれこの風習が終わる時も来る」
 エンペラは前に身を乗り出した。
「また質問だけれど、遊んでいるあの子は優秀だと思う? トレードされるだけの才覚はあると思う?」


「…………悪いほうではないと思う。だがトレードされるほどかといえばわからんな」


「だいたい当たり。あの子はコミュニティによっては中の上、別のコミュニティでは中の下ね。つまりトレードされず子どもを育てるために地下に閉じ込められる。一生、日の目を浴びることはないの。そして寿命を迎えれば死ぬ。戦いがあれば引っ張り出されるけれどそこで死ぬかもしれない。遺体は地下奥深くに土葬されて我らが血族を属性力によって守るための養分になる。土地から動かずしてすべて終わる」


 ブロックが茶を淹れてきた。ルシウスよりもかなりでかい手だがカップに注ぐだけの器用さは持ち合わせているらしい。レモンティーだが、なかなかうまい。


 エンペラは続けた。


「そもそもの私について話してなかったわね。私の住んでいたコミュニティは人間との戦争で滅びたわ。以前に四大属性のバランスが崩れる事件が起きたでしょう。あれで最終的に島がいくつか落ちた。私たちはその崩れた島に住んでいたの。


 もともとあの島は戦争状態だった。私たちを討伐するために人間の軍隊がやってきていたの。戦争は何ヶ月にも及んで長期戦になると思われたのに、突然軍隊が島から立ち去った。どう考えてもおかしいからあれこれ調べてみたら、四大属性のバランスがヒットした。明らかに均衡が崩れていて、大気中のマナも麻痺したようになっている。悪影響を恐れて人間たちは立ち去ったのね。そのうち島に大嵐が吹き荒れ、山が崩れてきた。放棄された砦にひとりでに火がついた。一族の会議は紛糾したけれど最終的には籠城になった。たぶんいつまでも人類の影に怯えていたんでしょうね。私は一族を見捨てて逃げることにした。


 そもそもゴブリンの女というのは地下にいるのが当然なのにどうして逃げようなんて思ったのかしら? 細かいところは覚えていないけれど、たぶん相手を見たからじゃないかしら。人間たちが立ち去る前、私は情報収集と司令塔を兼ねていた。魔力レーダーを使っているときに、向こうの狙撃手が見えたの。魔視モードに切り替えたら、木々の上に組み立てた小屋に住んでいたのが確認できた。熱源を透視できるから丸見えだったわ。向こうもこっちの存在なんて知らなかったでしょうし。
 彼らの生活は単調だった。ゴブリンが来れば撃って、そうでないときは暮らす。手紙を書く。大抵は無言だったけど、バディと遊ぶことがあったわ。カードを交換したり、取り合いするの。夜になると詩を朗読したり、本を回し読みして、寝る。あと、食事していても、チョコバーを片方が食べてると、もう片方がそっちをよこせというの。意味分かんないわよね、自分の分を食べればいいのに。私が見ていたのは2、3日かしら。その監視が始まって、見て、そして終わった。彼らは自分たちの船に戻って去っていった。でもあのチョコバー……人間はあんなことするんだと思うとね、バカだなって思えて、すると胸の辺りがこそばゆくなってね。それはゴブリンの家にはこれまでもなかったし、これからもない。


 決断したのは会議の終わったすぐ後のことだった。私は一族の頭脳。このまま残っていたら地下深くに押し込められる。それを避けるために出るしかなかった。これまでコミュニティを出たゴブリンなんていなかったから、ここを出るんだって思ったら心臓がドキドキして、破裂するかと思った。ひとりで両手を組んで、神様がいるならこの山場を乗り切らせてくださいってお祈りまでしたぐらい。夜中に洞窟を抜け出して砦に入って……廃墟を目の当たりにして……別の砦に向かい……夜中にそれの繰り返し。もう追手が追撃していて、一度見つかったときに矢を射掛けられた。びっくりしたわ。連れ戻されるのかと思ったけれど躊躇なしに殺しに来たの。兵士が誤射しただけなのかはわからない。でも、ある意味でそれで決心がついた。追手を吹き飛ばすと私は先を急いだ。


 軍隊が最後まで駐留していた砦に入ると、ああ助かったんだなと思った。奴らが残していった壊れかけの騎空艇があったから、それを動かした。島のへりから船が出た途端、思わず泣き出したわ。泣くなんて思わなかった。後は近くの島に向かって、私はエルーンと偽って救助された。非常食を食べながらいままで住んでいた島が落ちるのを見た時も涙が出たけれど、これは安心したからでしょうね」
 いい終わるとエンペラが一息にお茶を飲み干した。うつむいてお茶のカップをソーサーに戻した顔を見た時、ルシウスは彼女の顔に刻まれている疲労を見てとり、同時にエンペラが長い年月を生きてきたことを知った。


「内部分裂はどこにでもあるんだな」
 もう少し話そうかと思ったが、エンペラはまだ話し足りない顔をしている。ルシウスは先を促した。会話相手が足りないのは本当かもしれない。


「私はそうして生き延びた。その後、広い外の世界を知って……ドラフ、星晶獣、お酒、お祭り、バルツ公国、海、エルステ帝国……他の女性ゴブリンを探そうと思った。私のようなゴブリンがいたのだから、この世界には幽閉されているゴブリンがいるはずだ。探そう。彼女たちを助け出そう。そう思ったわ。雇われ仕事で路銀を稼いで、酒場で聞き込みして、情報屋のところに通いつめて……ひとつのコミュニティを見つけた。男は100人ほど。女は1人。あの子……ハシスがいたコミュニティ」
 エンペラはミニゴブのフードを引っ張って遊んでいる三つ編みの少女を指さした。さきほどルシウスに険な顔をした少女だ。


「最近できたコミュニティか、ゴブリン女が病気か何かで死んだのね。ハシスは子孫育成の年齢まで達していなかったの。素性を明かして魔力光を見せてやると、あっけなくあいつらはハシスの下に連れて行ってくれたわ。あわよくば私も捕まえようとしていたのかもしれないわ。ハシスに出会って、話をした。私が外で見聞きしたものを全部伝えた。ハシスは全部吸収した。私と同じ、外について何も知らなかったの。この子に魔力光は使えないことはわかっていた。だからこの子がトレードされることはないし、一生太陽が及ばない地下に閉じ込められるのはわかっていた。隕石が落ちたりおとぎ話の王子様でもやってくればハシスは逃げられる。でもそんなのは来ない。絶対来ない。私の時に来なかったから。だから、私が逃がすことにした」


 ルシウスはカタリナとルリアのケースを思い描いた。あのケースもはじめは同情が原因ではなかったか? 


「ハシスはそれを承諾したのか?」
 気づけば口をついて出た。エンペラは少し考えて頷いた。


「私は太陽や海、あと思いついた建物をスケッチして彼女に見せた。はじめ彼女はくだらないと笑ったの。でも何枚も渡すと笑いが消えた。そんなにたくさんの嘘をつけるわけがないもの。彼女は黙りながら紙をずっと見ていた。三つ編みをくるくる指でいじりながら。


 私は【50メートルも上に登ればそこがあるの】といった。


 彼女はちょっと笑って【いいなあ】っていった。それで、私は訊いた。


【行きたい?】


【行きたいなあ。アイスクリームを食べてみたいなあ】


 それで脱出を決心した。


 彼女の手を掴むとドアを爆破して、彼女を連れ出した。上に行けるとわかった彼女の顔は忘れられないわ。連れて行くともちろん男ゴブリンたちが襲ってきた。最初は私もろとも捕獲するつもりで縄や網……最後は弓矢にゴブリンメイジ。私の時と同じ、従わなければ殺す気が見え見えだった。でも一度、年老いたゴブリンが出てくると何かいった。ハシスの父親か叔父だったのね。彼が叫ぶと、ハシスが青い顔をして一瞬立ち止まった。私も止まって、彼女が家族を大事にするために残るなら、私は単独で逃げよう、と思った。でも年老いたゴブリンは私たちに剣を投げてきた。それでおしまい。ハシスが走り出して、私も走って、ゴブリンを蹴散らして、外に出た。日光に顔を押さえるハシスを抱きかかえて私は空を飛んだ。飛翔術が使えるの、私。そのうちあのメイジちゃんも使えるようになると思うわ」


「あいつの名はミニゴブだ」


「それ、あなたが名付けたの?」
 エンペラは眼を細めた。どちらかというと蔑みの意志が込められていた。
「もっとまともな名前はなかったの?」


「俺が名付けたわけじゃない」


「そう。私だったらもっといい名前をつけるな」
 エンペラは遠くのミニゴブを見つめながら眼を細めた。その仕草はまるでミニゴブを自分の所有物としたかのようで、ルシウスはいまこの場にフィーナやティナや団長がいたら何をいうだろうかと考えた。しかしここにいるのは自分だけであり己は別の考えに立脚している。


「なるほど。ゴブリン側から見れば子どもさらいだな」


「ある面ではそうね。でも子どもたちは実際に外に出たいの。だから私はそうした。いずれは他のコミュニティの……困っている子たちを救い出したいと思う。でも、私の考えがどこかで間違ってくれればいいとも思う。だって、すべての女ゴブリンが虐げられているなんて、ひどすぎるじゃない。だから中には、男と女が平等だったり、対立してなかったり、女ゴブリンのほうが立場が強い……そういうコミュニティもあってほしい。あるいはよりいっそう違う立場の女ゴブリンがいてほしい。私なんかの考えなんて取るに足らないような、強くて強くて強いゴブリンが。それこそゴブリンクイーンとでも呼べるような」


「お前の希望に関心はない。それで、自分たちの防衛のために麓の村を荒らすわけか。ここに賞金がかかっているのは知ってるな?」


「知ってる。悪いことをしたとは感じてるわ。だけど人は殺してない!」
 エンペラは初めて声を張り上げた。
「ただ食べ物を頂いて、生活用品を拝借して、それから……服も借りただけよ。代価として宝石も置いてきたし。ゴブリン族の財宝を、いくつか」


 ルシウスは片目を開けた。依頼の際にはなかった情報だ。エンペラを嘘をいっているようにも思えない。ひとまず話を変えることにした。


「それでも魔物まで使役するのはやりすぎじゃないのか。あのブロックなんぞ男ゴブリンなんだろう。いいのか、そんなことをして」


「彼は他のコミュニティからのハグレよ。身体が大きすぎて追い出されたの。他のゴブリンも似たり寄ったり。それに私たちも鬼じゃない。きちんと世話はしてる」


「じゃあ【立ち犬】とかの魔物は」


「あれは自衛戦力」
 エンペラの眉が怒りに歪んだ。
「どうしても私たちだけじゃカバーに限度があるの。敵はゴブリンだけじゃない。人間だって私たちを隙あらば殺すし、説明して逃げられると思う? 私たちはゴブリンの中でも虐げられているほうで、戦意はありません……いざここに攻めてきた兵士たちがそれを聞いて、兵士たちがわかりましたって帰る? 人間には前科があるの。ゴブリンキングは人類に滅ぼされた。彼は良い王ではなかったけど、けれどもシンボルだった。そんな人類と共存するのは無理。リスクがありすぎる」


「ならお前はミニゴブを見習うべきだな。あいつはリスクを積極的に打開している」


「あの子はリスク自体を知らないの。それは無謀。そもそも、あなたたちの素性を聞いていなかったわね。どこから来たの?」


 ある意味で待ちに待った質問だった。ルシウスは滔々と自身の村がゴブリンに蹂躙されたこと、妹のティナを連れてゴブリンスレイヤー・ゴブリンキラーになって各地のゴブリンを狩りまわっていること。そして念願叶ってゴブリンキングを攻め滅ぼしたことを話した。


 エンペラの顔にあからさまな敵意は見出せなかった。


「なるほど、聞いた覚えがあるわ。スレイヤーとキラーの二人組。まさかあなたとは思わなかった。それであなたとティナのほぼ単独で彼らの軍勢を討ったの? 無理でしょ。どこかと組んだ筈」


「ノーコメントだ。それくらい自分で調べろ」


「そう。で、あなたは慈悲の心があるのか、あのミニゴブちゃんは殺さずに連れてきた。そうよね、見た感じは人間の子どもだものね、豚のように殺すには葛藤があるからね」


「勘違いするな。あいつはフィーナにくっついてきただけだ。俺とは関係ない」


「フィーナ。フィーナね。ゴブリンハンター。3人が組んでゴブリンをやっつけた。楽しい話じゃない。で、あのミニゴブちゃんはどうするの? いずれ殺すの? 屠殺場に連れて行く?」


「ふざけるな。俺には理性がある。あいつは……」
 ルシウスは言葉を切った。ミニゴブの将来など考えたことがなかったことに気づいた。そもそも自分の1年先ですら考えていなかったのだ。赤の他人をおもんばかるにも無理がある。
「……あいつなりの道を見つけるだろう」


「あらそう。ゴブリン族の女はやがてゴブリンの子どもを産むでしょう。異種族と交わっても同じこと。産まれるのはハーフよ」
 エンペラが冷徹な眼でルシウスを見た。彼の考えを察知したかのようだった。
「まさかミニゴブちゃんに子どもを産むなというつもり? 他のゴブリンに混ざるなというつもり? 私たち知性のある生き物の前にはさまざまな可能性が開けている。それぞれの幸せがある。だけどミニゴブちゃんから最初から可能性を取り上げるの? あなたは本気でそれを正しいと思ってるの?」


 ルシウスは言葉に詰まった。エンペラの考えの通りにいえば、ルシウスがゴブリン殲滅を至上としている以上、いずれはどこかでミニゴブと袂を分かつことになる。もしミニゴブの血族が村を襲うようになれば兵士やルシウスたちが駆り出されるし、最終的にはミニゴブと剣を交える未来も十分に想像できた。


(競り負けるな)
 ルシウスは歯を食いしばった。
(こいつは俺を追い込もうとしている。競り負けるな)


 いまここで己は何らかの決断をしなくてはならない。そもそもミニゴブとルシウスの道ががいままで重なっていたことが奇跡だったのだ。ゴブリン族を殺すのにミニゴブと暮らす矛盾を解さなければならない。どこかで曖昧だった自分を明白にしなくてはエンペラに負ける。そうなったらこの女は徹底的にルシウスを言い負かすしそうなるとルシウスは精神的に負ける予感があった。

 一度捻じ曲がった信念は再起させるのがかなり難しくなる。ルシウスはかつてゴブリンキングを討伐した後、抜け殻のようになった虚無を通してそれを理解している。あの頃のルシウスは未来もなく目的もなく、ただぼんやりとティナの都合の良い幸せを祈りながら生きていた。そんな人生は味気なく薄いスープのように喜びや楽しみを腐らせ、最終的に日々の明かりを消し去る。

 あの時は団長やまわりの助けのおかげで戻ってこれた。


 だが今回は。


 今回は単独で競り勝たなければならない。


 自分のために。これ以上揺るがないために。


 最初のゴブリンを殺した時、そしてミニゴブを手にかけなかった時から、既にこの道が選ばれていたのだ。


「賽は投げられた」
 ルシウスがつぶやくとエンペラが怪訝な顔をした。彼女が口を開くより先にルシウスは武装を取り外すとテーブルの上に置いた。ゴトンという音に各々のゴブリンたちが振り向いたが、ルシウスは構わずにいった。


「お前なんぞに武器は必要ない。心配なら盾兵に没収させろ」


5


 ミニゴブはチラリとルシウスを見やったが視線を戻した。ルシウスは昔はイライラしたり神経質な顔をしていたけれど、最近は少しほがらかになった気がする。彼はフィーナや団長――場合によってはティナにも――馴染めなかったけれど、いろいろなものに慣れてきたように思う。おかげでミニゴブはいつも隠れなくても良くなったし、こうして二人で行動する勇気も持った。


「なんかあの人、怖いね」
 ハシスがいった。最初の自己紹介の時に自分はお姉ちゃんだと宣言した子だ。三つ編みにした長い髪がきれいで、ミニゴブの髪型ではなかなか真似できない。
「ブロックくんは動かないけどさ、心配だよね。乱暴じゃない?」


「ミニゴブはあんまり心配してないゴブ。ルシにーちゃんは優しいゴブ」


「ミニゴブちゃんてさー、なんか名前がカタいよね」
 ハシスがいう。さっきも出た話題だが混ぜっ返してきた。ルシウスとエンペラが剣呑な調子で議論をしているから、ムードを変えたいのかもしれない。
「ねえ、新しい名前決めようよ。もっとこう、ラブリィ! ブラボー! ってヤツ」


「ミニゴブはこのままでいいゴブ」


「ミニゴブちゃんしゃらっぷ! じゃああたしからね。ご、ご……ゴリラ!」


「えっ、ラ……ラ……ランドセルだゴブ!」


「……ぶりカツ」


「それはしりとりだゴブ! そんな名前はヤだゴブ!」
 ミニゴブがつっこむとハシスが大笑いした。おほほほといいながらゴロゴロする。


「あはは、間違えちゃったのだわ……ツナマヨ」


「まだ続けるゴブ!?」
 ミニゴブがまたつっこむとまた笑った。結局みんな固有名詞で名前にならない。自己紹介をした後はだいたいこんな感じでダラダラしていて、ミニゴブとゴブリン族の少女は家族のように親しんでいる。同族であるおかげか細かいところがツーカーで通じるし、かゆいところに手が届く。


「そういえばそれは指輪ゴブ? ピカピカしてるゴブー」
 ミニゴブはハシスがしている指輪に触れた。ハシスはニコリとしたが自然とミニゴブの手を離した。


「これね、エンペラ姉さんがくれたの。私らさ、モロにその土地の影響を受けるじゃない。属性もなかなか変わらないし。土地の力場から守るためにこれつけてるんだ。魔力が込められてる。ミニゴブちゃんは?」


「アタチはしたことないゴブ。属性もけっこう変わるゴブよ。火属性とか水属性とかできるゴブ」


「え」
 ハシスが眼をむいた。
「それもしかして優良児ってことじゃん。ねえ、魔力光出せる?」


「出せるゴブよー」
 ミニゴブは右手に黒い光を出してみた。左手に赤い光を出すと混ぜ合わせ、紫色を作リ出す。
「ふっふっふ。これに触れると死ぬゴブぜ」


「…………すごいねー」
 ハシスがぽかんとした。ミニゴブとしては遊びのつもりだったのだが、どこか食い違っている。少し黙ってしまった。


「あーあ、ミニゴブちゃんがずっとここにいたらなあ」
 おほん、と咳払いしたハシスが話を変えた。
「同族だしさあ、いろいろ便利じゃん。ここ狭いし暗いけどけど住めば都っていうし、なんか男ゴブリン来るから基本ヒッキーだけどさ、たまに街のお祭りとか見に行けるよ? アイスの買い食いとかできるし騎空艇も乗れるしさー。一回でいいからアウギュステ行きたいよー、海見たいよー」


「ミニゴブはずっとグランサイファーに乗ってるゴブねえ。それにアウギュステで泳いだことあるしジュエルリゾートだって入ったことあるゴブ」


「……ブルジョアね、こやつはブルジョアだわ!」
 ハシスがまたミニゴブをつんつんした。逃れようとするとのしかかってくる。
「くぬっ、えいえいっ、そのブルジョワ成分をわけなさい」


「ひょわわわ、できないゴブよ!」
 ミニゴブがばたばたした拍子に脇においていたカンテラが転んだ。どこかぶつけたらしい。
「あ、ルシにーちゃんのが転んじゃったゴブ。壊れたら大変ゴブ」


「……ねえミニゴブちゃん、あのルシウスさんと旅をしていて楽しい? ちょっと怖くない?」


「そんなことないゴブよ」
 まだほっぺをつんつんされていたがミニゴブは返した。
「ミニゴブはフィーねーちゃんと暮らしてるゴブ。ティナねーちゃんともご飯食べてるから暮らしてるゴブ。あ、そうなるとルシにーちゃんとも暮らしてるゴブね。でもみんなといると楽しいゴブ。ニコニコするゴブね」


「えーそうなんだあ」
 ハシスがいった。ミニゴブから降りるとハート柄のクッションに座る。
「ゴブリンってさー、昔から嫌われ者だったじゃない。おとぎ話でも童謡でも悪役でさあ。だからかな、他の種族より同族同士でいるとホッとするって研究もあるんだって。でもヒューマンと暮らしててもうまくいくんだねえ」


「アタチは初めてグランサイファーに乗った時、知らない人がたくさんいたから緊張したゴブ。いまでもどんどん新しい人が来るから、やっぱり緊張しちゃうゴブ。でもフィーねーちゃんと手遊びしていると落ち着くゴブね」


「……でも、フィーナさんってゴブリンハンターなんでしょ?」
 大人同士の話を聞いていたようだ。ハシスが耳打ちするようにいった。
「怖くない?」


「あんまりないゴブ。でもたまに、フィーねーちゃんがミニゴブにいってきますをしないで出ていく時があるゴブ。帰ってきたフィーねーちゃんはいつもより静かで、ちょっと嫌だゴブ」


「ああーわかる。大人ってさあ、急に黙る時あるよね。嫌な仕事してる時とかさ。あたしも前のゴブリンの巣にいたときそうだったもん。大人たちが会議してるとね、あたしは全然会話に入れなくてさ」
 ハシスが顔をうつむけた。彼女もミニゴブのつむじをクリクリ指でかいてから、また顔をあげる。
「そういう時は黙ってるしかなくてさ。何すればいいかわかんなくて、辛かったね。結局何だったのか教えてくれないし」


「それは辛いゴブよねえ……」
 ミニゴブがハシスの頭をなでた。なぜかハシスが頭をなで返してきたので二人してナデナデしているよくわからない状況だ。そっとハシスがミニゴブを抱擁した。


 ハシスの服は温かかった。


6


「つまり私がいいたいのはこういうこと。ミニゴブちゃんはグランサイファーではなくここに住むべきということ。心理的な面からも、安全的な面からも」


 とうとう本題に来たな、とルシウスは思った。連れてきたのはこういう目的があったのかもしれない。椅子を蹴って出ていく選択肢もあったが、ルシウスは敢えて話に乗ることにした。


「まずお前の前提をひっくり返そう。こういう話にはつきものだが一番目に本人の意思を尋ねていない。ミニゴブがここを拒否したとしてもお前は囲い続けるのか? それは幽閉だ」


「私は《安全》にまつわる話をしてるの。いくら楽しいとはいえ危険なところに住むというのは困難。それに永遠に定住しろというわけじゃない。ミニゴブちゃんの宿としてここを提供するの。いずれ成長して旅に出たくなったらグランサイファーに乗ればいいし、個人で動いてもいい。でもいまは幼いのよ? 子どもさらいや奴隷商人がどこで動いているかわからない」


「仮定が多すぎるな。ところで騎空艇のどこに危険要素がある? 団員たちは仲良しで騎空艇は基本的には安全だ。どこでミニゴブが狙われる。そもそもお前が語れるほど騎空艇を知っているとは思えん」


「例えばメネア皇国。あそこはゴブリンキングの討伐を行った国でありゴブリンを第1級絶滅指定種にしている。ゴブリンの首1つにも報奨金も出す国よ。騎空団である以上、メネア皇国に立ち入ることはよくあるしそこの兵士にミニゴブちゃんを見つけられることもありえる。誰何された時にミニゴブちゃんは説明しきれる? 自分はゴブリンじゃないって嘘をつかせるの?」


「……」


「そのニ。さっきミニゴブちゃんから旅の目的を聞いたわ。イスタルシアに行くという。そんな島が本当にあると思ってるの? 空の果てに行ったとしてそこにあるのは島ではなく単なる空の終わりでしかないことは考えないの? 瘴流域や他の障害についてはどう考えてるの?」


「俺たちはそういうことを込みで団長の船に乗っている。もちろんミニゴブもだ。蒸し返すようだがミニゴブの考えをお前は理解していない。尊重もしていない」


「彼女は幼すぎるの。洗濯物なら干せるかもしれない。でも危険な仕事を任せられるほど成熟してるの? 《フィーナの家族だ》ということで乗せてもらっているんじゃないの? 聞けば、エルステ帝国ともドンパチやってるそうね。一歩間違えればいつ沈んでもおかしくない船に乗って、安全といえるの? 死ぬことを承知した……って、それ本気でいえるの? ミニゴブちゃんがあなたのように危険性を把握しきったとは考えにくい。彼女はきちんとした保護や教育を必要とするわ。少なくともあと数年」


「まるでここが叡智の殿堂みたいな口ぶりだな?」


「ゴブリンにとってはそうよ。発情期。ゴブリン特有の魔力属性について。魔力光。自分の体の仕組み。ゴブリンの短い歴史。人間との戦争。他種族に対して注意すべき点。それからて他のゴブリン族の男の特質と彼らからどうやって逃げるか。こういうことを教え込む必要がある。ミニゴブちゃんは平和的で他のゴブリンらに関心がないかもしれない。でも他のゴブリンどもはゴブリンの女を狙うものよ。ふらふら外を歩いている希少種なんて、鴨が葱と鍋を背負って来ると同一。ゴブリンキングが死んだことで、奴らはいっそうその心理を強めている。自分たちの根本が切り崩されたことで、奴らは繁栄によって安息を得ようとしているの」


「なるほど。性別が異なるだけなのに魔物と人間ぐらいの差異があるな」


 ルシウスは半ば皮肉ったがエンペラは額に手をついてため息をついた。


「時々そう思う。私やハシスもあいつらほど本能的に振る舞えたらどれほど良かったら。あれこれ考えなくて気楽に生きられたら。でも現実は違う。私は自分や他人の境遇について考えられるし考えてしまう。そして実際に苦境に陥っている。苦境にあるということは、打開しなければならないということ。あるいはこの構造はどこかでバランスを取っているからかも。私たちは人間のように理性的に振る舞って、男たちは魔物の本能を発揮することで種族としての平衡を保っているのかもしれない」


「……」


「とにかく、男ゴブリンから身を護るため、最低限の自衛戦力を備える必要がある。ミニゴブちゃんは魔力をうまく扱える? 結構。依頼を受けて他の魔物もやっつけている? それも結構。だけど悪質な手段を使って女をさらう魔物への対処の仕方を知ってる? 外にいるゴブリン族の女がどうやって自衛するか知ってる? 騎空艇でそれを教えられる人がいる? あなたの話だとグランサイファーには王族やら星晶獣が乗っているそうね。でもゴブリンに身の振り方を教えられる人は乗っているの?」


「なるほど痛いところを突いてきたな。じゃあフィーナに教えさせよう。あいつは女性だから少なくとも俺よりはミニゴブに寄り添える。ハンターだからゴブリンの習性についても承知だろう」


「これは私の中でもかなり葛藤があるし、さきの話をひっくり返す考えでもあるけれど、ミニゴブちゃんもゴブリンの一部だと考えている。極端にいえば彼女も魔物よ。私たちは人間をできる限り襲わないように努力しているけれど、ミニゴブちゃんのほうはどうなの? その習慣を教えることはできるの? 理性的に振る舞うよう指導するのは私たちの方が適している。フィーナはゴブリンハンター……だから、たぶん彼女の感覚で教えようとしても溝が広がるばかりだと思う。私たちになまじ知性と感情があるだけ、誤解は大きくなる。そうなってからではミニゴブちゃんも他の面々も辛いだけだわ」


「ではお前の線で押してみよう。俺たちの騎空艇にはティアマト、ユグドラシル、ブローディアなどの星晶獣が乗り合わせている。彼女らは以前に俺たちと戦ったことがある。だがいまでは共存することを学んだ。ミニゴブが同じことをできるかと問われれば、俺はイエスというだろう。俺は魔物と星晶獣の具体的な違いについては門外漢だが、少なくともミニゴブは彼女たちの道に沿って学ぶことはできる」


「それは道を歩けるだけ成熟すればの話。ミニゴブちゃんは幼い。子どもと考えても良いわ。あなたの考えが通用するまであと数年……少なく見積もっても3年はかかるでしょう。その間、ミニゴブちゃんを保護しながら教育できる仕組みは、グランサイファーにはない。私はそういう結論」


「つまりノーか。平行線だな。では次に問おう。お前のいるこの環境ではどうだ? ゴブリンの女たちを男から守れる環境なのか?」


 エンペラが何かいいかけたがそれはやはりルシウスに反対する意見だったのかあるいは間接的な否定だったのかもしれない。しかしそれを知るより早く地面が揺れ、二秒後には天井が激しく震え照明同士が揺れてホールの天井に不気味な陰影を作った。ルシウスは直感で悟った。


 これは地震ではない。襲撃だ。


《続く》


→後編

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