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 多恵子は解いたブックバンドを折りたたむと小さな鞄の中にそれを仕舞った。キジュはそれによく見覚えがあった。学生の頃から愛用していたものだ。  
 その日も多恵子は七条の駅を出てすぐにタクシーを捕まえた。決して倹約なわけではなく、盆地の都の蒸すような暑さもまたまた千年の昔から変わらないのだと半ば意地になり傘だけ差してはしょっちゅう出歩いていた母の、二三年前に脱水で倒れたのがちょうど往来の真ん中で、危うく後ろから走って来た自転車に頭を轢かれそうになってからというもの、この季節―葵祭を少し過ぎ五月雨の繁くなる頃から、大文字の火を送り颱風の度にぶり返すためにえっちらおっちらとしか進むように見えない季節が時代祭を境に転がるように秋へ移ろうまで―になると、用向きに出る際にはほんの短い距離であっても地下鉄を使うこと、駅からはタクシーを使うこと、基本は店なり何処なりに横づけしてもらうようにし、路が細かったり悪かったりどうしようもない場合に限り徒歩でゆくのを許される徹底ぶりだった。というのも、多恵子の母が子供だった頃にはまだいわゆる「B足らん」の気のある婦人が少なくなく、それと直接かかわるわけではないけれども、とにかく用心はするものだと母もその母からうるさく聞かされて育ってきたのだった。当時学生であった多恵子は、何枚か綴りのチケットを財布に忍ばせながら初めこそ便利な足ができたとほくほくしていたが、たとえば無理を言って市立動物園の近所に下宿させてもらっていたそのマンションから鍵手に沿って折れ曲がった冷泉通を抜け左手に御所を通り過ぎるのもいつもタクシーであったし、帰りに少し遠回りをして帰ろうと堀川通りを二条城の辺りまで走らせるのもまたタクシーなのだった。なるほど多恵子は、比喩ではなくこの地での生活のうち青葉に彩られた殆ど半分の季節を往来の空気を吸わずに暮らしたに等しいのだ。
 してみると、今目の前に積まれたこの本の塔もまた、そんな多恵子のタクシー癖が因果しているだろうか。キジュはそんなことを考えた。彼女は自らの手で持ち運べない言葉の重みに無頓着でいて、それで何の気兼ねもなく借りてきては返してを繰り返して来たのだ。キジュは、多恵子の書く自由課題のレポートがつねに空想的であることに、自分にはない論理の飛躍そのものを感性的な美点と捉え人知れずそこに淡いあくがれを抱いたりしたものだが、そのことを思い返してもまた彼女の本の借り方ひとつに還元できるような気がしてならなかったのだ。
「今から返しにいけばいいじゃない」キジュはそう切り出した。しゃきん、とジッポの音がしてこちらを振り返ったのは、しかし多恵子ではなく隣のすっぽんの前にかけた背の低い、顔の丸い女の子だった。

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