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緑の少女③

 息を吐くと、指は雨曇りの朝顔のように半ばまで閉じて、掌の上で交差する幾本の澪は、少しばかりその影を深くした。今吐き捨てたばかりの石のかけらを、それがまるで自分の身体の一部であるかのようにそっと拾い集めると、川というよりは海岸のものに近いそのとげばった輪郭を撫でた。部屋には光を採る窓、というよりもただ壁をくりぬいただけのものがひとつだけあって、ちょうど幼いパラケラテリウムと同じぐらいの背丈をした素木の棚が、その窓のあるその面に背をつける格好で据えられていた。

 この部屋に元々住んでいたのは君の方だった。今はもう忘れられたこの部屋を見つけたときも、夕方の空はちょうどこんな風に胸をかきむしる色で、ひ、ふ、み、と数え上げる声はずっと樫の樹の向こうから聞こえていた。今思うと、やっぱりあの晩も君は月を見ていたのでしょう。恐る恐るドアを押した僕には気づきもせずに(そう、気づかなかったということは拒みもしなかったということでもあるのだけれど)、シェルフの上で丸窓に頭をもたれていた君のことを、僕は倒れた籐椅子を立て直し、それに座って、そうしてずっとずっと眺めていたんだ。まだチャイムも鳴っていないのに月が出るわけはなかったし、たとえそれが夜のことであったとしても、こんな天気じゃきっと望みはなかったから。ほの暗い部屋の床と全く同じ鉛色をした空を仰ぐ君の背中は、第七頸椎から下がぼこぼこと浮き出していて、僕にはそれが海嶺の尾根のように見えた。

 君が残していったスープをすする。冷たいのは分かっていても今朝より少し酸っぱいのが嫌で、薬缶をつかんだけれど、今度はその紅茶からも古い匂いがした。後がないことに気がついた僕は、ポケットから鳶色の小瓶を引っ張り出し雫をいくつか垂らした。懐かしい匂いにせき込んだちょうどその時、部屋のドアを叩く音がした。

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