16(6(6(6( ⑥

「あけんで」
「うん、いいよ」キジュは背の順に並べてあるリモコンの中から迷いなくエアコンのそれを手に取りスイッチを切った。開け放った窓からなけなしの冷気がだだ漏れていく。北山を下りてくる夏夜の匂いに混じって、わずかに聞き取れた嬌声は確かに英語のそれだった。
「それでね、蒔岡さん、自分も校友会カード作ったんだって」
「そんで」
「先週早速借りに行ったみたいで」
「読書家いうイメージなかったけどなあ」吊革を垂らした水槽が、何重唱かの英語を乗せてどこかへ走り去っていくと、外からは虫の音すら聞こえない。杉森の緑はあまりに深く、月影さえ届かない濃密な夜気に、ささやかな生き物の呼吸を詰まらせるばかりだった。

「みて、これ」多恵子はpixelの画面を向けた。
「うわ、こんなに」
「せやねん、奮発してな」言葉の使い方が間違っているのはおいておくとしても、借りてきた本を写真に撮るなんて本当に浮かれていたのだろう。
「面白そうなのばっかり」
「ふん」自分が褒められたかのような顔をして、多恵子はそれから十以上もあるそれらについて一冊一冊説明をしていった。この数日の間に全部読み切ったのにも驚いたが、その時間がどこから出て来ているのかがもっと気になった。そう言えば、卒業してからの多恵子がどんな暮らしを送って来たのか、そのあたりについてキジュは全くといっていいほど何も知らなかった。
 最後の一冊『事故のてんまつ』についてのご高説が終わると、多恵子はいっちょまえにグラスの水を干し、「ああおいし」と言って掌で顔を扇いだ。
「ほんでな、話はこっからやねん」
「へえ?」素っ頓狂な声にこちらを向いた繁と目が合い、キジュは慌てて俯いた。
「借りて読んだまではええねんけどな、今度は返さなならんやろ」
「当たり前じゃない。図書館なんだから」
「せやねん、問題はそこで」
「何を言ってるの」
「最近ほんっに忙しうしとって、返しに行く暇がないねん」
「へえ?」今度は高い声は出さずに、つとめて眉をひそめ彼女の鼻のてっぺんにある黒子を睨んだ。
「今日は何してたの」
「ああ、今日?今日はお彼岸の支度。っても、ママが今西軒のぼたもちたべたい言うて、そのおつかい。ほら、うち家遠いやろ、山の方やさかい」秋の彼岸のことを言うのなら、おはぎと呼ぶのではなかったか。

「夜船」
「へえ?」今度は振り向く繁もいなかった。
「ぼたもち、おはぎって餅みたいに搗かんと米の粒残したまんま作るやろ。せやから『つきしらず』、『つきしらず』から『着き知らず』と遊んで、夜闇に隠れてもやぐ船…ながいわ」携帯から眼を離さずに、全部言い切った和栗は、溶けだした氷の白く濁った水を、少し迷った後、目を閉じ一口に飲み干した。からん、と氷の湿っぽく乾いた音が、開け放った窓の外へ、射程は短く重い闇に吸われて、二人はしばらく黙ってしまう。
「…なんでそんなこと知ってたの」
「うぃきぺでぃあ」見せてきた白い画面に、大きく「寄付のお願い」が出ていた。

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