見出し画像

ふたりのわたし

わたしのなかにはふたつの時間が存在していた。

16年前の喪失からのわたしと、
地球の時間軸で生きて年を重ねているわたし。

いつまでたっても当時の30代のわたしの感覚の方が強かったから
30代の人と話すと「なんで敬語なのかな?」と思っていたし
リアル同年代の人と話すとなんだか変な感じがした。

ふたつのわたしがいる気がする、と気づいたのは数年前。
ちょうどその頃からたましいと向き合う学びが始まり、
ひとつになってきたのはつい数日前のこと。

きっかけは息子。
彼は過去にあった大きく傷ついただろう出来事を手放していた。
自分から歩み寄りまでして、もうあの出来事は完全に彼のなかで過去のことになり形を変えていた。
どうしてそうなったのか聞いてみた。

『いまが充実しているから』

今だって色々あるけれど、全体的にハッピーで楽しみがあふれている。
その姿を見ていたら

あれ?
わたしもいまをしあわせだって感じてるよね?
過去の出来事をぎゅっと握りしめているのは、わたし自身。
いましあわせなら、それを感じていたらいいんじゃない?
握りしめていた手を緩めて『いま』を感じるちからのほうを大きくしよう。

子どもの頃のキズも、大人になってからのキズも
それとどう付き合うのかはわたしが決められる。
なかったことにするのではなくて、ちゃんとじぶんで癒してどうしていきたいのか考えられる。

喪失に関しては、手放すのが怖かったのだと思う。
あの子のことも、あの時の色々もすべて放してしまったら
なくなってしまう気がしていた。

頭ではわかっていた。
手放すことはあの子を忘れることには全然ならないって。
もうこれは理屈ではない。
そのひとの時間。
わたしとあの子との時間。
時間のかかるわたしは
同じように時間のかかるひとの気持ちがわかる。

わたしはとても複雑で
いろんな感情があって
それがいくつもの層となってわたしを織りなす。

そんなわたしを美しいと思えるようになった。

16年。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?