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何者でもない者になる。

ここのところ、弟家族も含め
お客さんが続くと
みんな何かしらのお土産を持ってきてくれて
お土産好きとしては
とてもうれしい。

おいしいものは大好きだけど
物に限らず、考え方とか
それはメールや
お便りなどでも
いろいろ受け取るものがある。


山の家は自然がいっぱいで
静けさの中にいながら
こころもからだもせかせかと
慌ただしく生活していた。

パン職人として
お店屋さんの店員として
そして村人として
ものすごく慌ただしく
受け取ったものを
ゆっくり味わう時間がなかったように思う。

噛まずに喉に流し込むように
おなかだけ膨らまして
吸収したような気になって。

それでも栄養になっていたけど
どんな味だったかは心に残らず
おいしかったよー、しか言えない
みたいな。


今、私の生活は、とてもシンプルになり
ごはんを作る時間が来るのを待つような日々で
違う味を味わえることがチャンスとして
とても新鮮にこころに染み込んでくる。

きっと前にも味わったことがあるかもしれないけど
今はゆっくり噛んで
脳に伝達させて
記憶に刻み込んで
飲み込むだけの時間がある。

みんないろんなお土産を届けてくれるから
様々なその時間がとてもありがたい。

そしてそれが、様々なようで
なかなか共通した
自分好みの味であることもありがたい。


これからどうなっていくのかな
と思うとき
自分が何をしたいのか
と考えるとき
どちらも今の私が生きる状況は
先が見えて来なすぎて
不安に思ったときもあったけど。

いろんなお土産を食べていたら
味の向こう側が見えてきた。

「何者でもない者」になる。

目指す頂点が見えたら
足が軽くなった。

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