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選択するということ。

散歩道においしそうなベリーがなっていた。

今日も通ったら
なくなっていた。

食べたかったけど
ちょっと怖い。

昔みたいに直感だけでは
口に入れられなくなった。


今週から週に一回
父の排便コントロールのために
看護師さんが来てくれることになった。

時々看護師さんが
家に来てくれるということの安心感。

自分だったらなるべく
お医者さんにはかかりたくないのに
自分以外のひとは、最低限でも
プロにお世話になっていてほしいと
思うようになった。


10年くらい前
親友が癌で亡くなったのだけど
そのひとは自然療法で治したがっていた。

でも奥さんが「安心できないから」と大反対で
あらゆる抗がん剤治療を受け
最後にはなすすべがなくなり
亡くなってしまった。


その頃私は
自分の治療法さえ自分で選択できない親友が
かわいそうだと思ったりしたけど
今は奥さんの気持ちもわかるな。

今でも私は
本人に選択してもらいたいと思うだろうけど
近くで見ているひとは
自分のからだじゃない分
不安も大きいのだと思う。


私だってもうすでに
看護師さんが来てくれるってだけで
もう何があっても大丈夫ってくらい
日々の介護も怠ってしまいそうなくらい
大安心しちゃってるもの。

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