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まわり道をしてある意味夢は叶ったお話

子供の頃、アトピーと気管支喘息を持っていて、しょっちゅう小児科に行っていました。その小児科は気難しいおじいちゃん先生と事務兼薬剤師のお姉さんのふたり(時々、看護師をしている先生の奥さんも登場)でやっていて、そこそこ混んでいました。そして私は、薬剤師のお姉さんが昔ながらの分包器でガチャコンガチャコンと私の喘息の粉薬(しぬほど苦い)を巻いて作ってくれているところを見るのが楽しみだったんです。

この時私は看護師になろうと思いました。将来の夢は?と聞かれたら「看護婦さん(当時)」と答えていたものです。ただ看護師になるには何が必要かとかわかっておらず、漠然と高校は白菊の看護科に行こうと思っていたんですよね。もう夢しかみてなかったので。
中学生になると薬剤師さんもいいな、お薬作ったりしたいなとも思い始め、病院で働く!というビジョンはたぶんこの頃かたまったんだと思う。

この頃、壊滅的に数字と気が合わないことにも気づきました。とにかく数学も理科も嫌い。女子高の家政コースに入ったら今度は化学がついてくる。そんなん知らんがなの連発。家政科のある短大に進んだものの普通に就職も考えた私に母が救いの手を差し伸べてくれました。

「あと2年分の学費はあるから、専門学校行く?」

と。神よ。ゴッドマザーよ。ありがとうございます。
そして私は医療秘書科のある専門学校に通えることになりました。

病院勤務が大前提だったので、外来・入院のレセプトを書く授業がある日は電卓と医科点数表を抱えて登校。足の指に落とした時は悲鳴を上げて泣いたっけ。病院学などの座学、秘書としての知識と実技、高校生みたいに1日ぎっしり授業があって、そして就職となったとき私は病院ではなく調剤薬局から内定をもらったのでした。

これある意味夢は叶ったんです。薬自体を触ることはないけど、薬剤師さんが軟膏の練り練りしてるとこを間近で見られる。棚への薬詰めは今でも楽しい。成分量で書かれた処方箋を見たらかつての数学への嫌悪感が蘇るものの、やっぱりお仕事そのものは楽しい。
医療の一端に関われる嬉しさを感じています。

#この仕事を選んだわけ
#医療事務 #薬局

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