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愛された記憶のある物

なんだかビートルズのようなタイトルですが、私はアンティーク好きです。

新品より古い物と言うか、歴のある物に惹かれます。

それもただ年月を経るのではなく「愛されて」時を経てきたものが好き。

大学で専攻した建築も、新しい建物を建てることには興味は無く、挙句の果てに昭和初期に建てられた建物の論文を書いて大学を卒業。

建築学科の学生なら就活先はゼネコン、ハウスメーカーあたりに入社する方も多いけど、新しいものを作るエネルギーも無ければ興味も無かったのです。

建物で興味を持ったのは「リフォーム」「リノベーション」でもこの業界には進まず、いや進めず。なんて私の職歴はどうでもいい。

20代の頃はタワーマンションに憧れていて、商社マンと結婚してタワマンに住みたいと心底思っていた。(そしてゆくゆくは駐妻に、、、!)

でもタワマンに住む友人宅に遊びに行く度に、おしゃれだなー、CITYだなーと思いながらも、自分には向かないうえに住みたいと思わないと感じたのでした。

都会の利便性、充実の設備、CITY感、、、タワマンを取り巻くオプションで費用対効果を計ってみても腑に落ちず。

なんでしょうね、簡素的な感じ、お隣さんは箱の中の人に過ぎない感じ、マンション内の自然も人工的な感じがしてしまって。

キングオブタワマンの一室に住んでいた友人は「タワマン内の離婚率が高い」と言っていて、なんか分かるような気がした、なんて言ったら住民各位にとても失礼なのだけど、上辺感を感じる建物や空間の佇いからそう感じたのだと思います。

内部の最新の設備もピカピカ輝いていたけれど、なんだか無機質に感じてしまって「嗚呼、やはり下町に生まれ、山の麓で育ったからか」なんて自分の貧乏くささみたいなものを感じながら、商社マンと結婚してもタワマンに住まないと心に決めました。(商社マンとタワマンは私の中でセットでした)

そんなこんなで、商社マンとは結婚する機会に恵まれまれず、自分が商社マンになり数年が経過。

今週末に家の内覧に行くことにしました。それも築50年の家に。

最近マイホームを購入する友人も増えてきて「築50年の家を買おうかな」なんて言うのも少し恥ずかしい感じがしてしまうのですが、私は「愛された記憶のある家」に住めるのっていいなと思っているんです。

オーダーメイドでこだわりにこだわったマイホームも憧れる。

でもインテリア業界にいた私は痛感している、オーダーメイドでこだわりにこだわる辛さというものもあるんだということを。

自由ならではの辛さ、理想と諭吉様の天秤を計り続ける辛さを!

なんて夢の無い発言ですが、それはまた別の機会にじっくり書きたい。

そうそう、なんで「愛された記憶のある家」になぜ住みたいか。

愛された記憶の引力に引かれているから、なんて哲学的な詩的なことを言いますが、愛された記憶のある物にはパワーがあると心底思っている。

私が赤子の頃から可愛がっていたボロボロのぬいぐるみ、娘達はプレゼントにおブランドの可愛いふわふわのぬいぐるみをいくつか頂いたのに、決まって手に取るのは私のボロボロお古。

きっと私とぬいぐるみの楽しい記憶が伝わって、愛された記憶の引力で引かれているんだと思う。

私が今住んでいる賃貸住宅はオーナーさん自身も住んでいた、手の込んだリフォームが特徴の一室。

募集が出ていた時から内装の手の込み具合には驚いて、絶対内覧したいと思っていた一室。

縁あって住んでから数カ月、年季の入ったお部屋なので不具合が出て工事を何回か手配してもらったけど、工事業者の人が口を揃えて「こだわってますねー手が込んでますねー」と言って帰っていく。

住人としてなんだか嬉しい瞬間でもあります。

今の部屋は決して新しさはないけれど、なんなら少し不便を感じる時もあるけれど、あれこれ考えて作りこみ、修理を重ねてきた今の姿が好き。

私は家や服が自分に馴染む瞬間があると思っていて(家は段階的に馴染む気がする、犬のように。って犬飼ったことないけど)最近やっと馴染んできてくれた気がしている。

ドアを開けた時の空気感、匂い、自分の寛ぎ具合。これが新築の賃貸に住んだ時は馴染むのに結構時間がかかった気がするなー、いやその前の中古賃貸はもっとかかったかなー。家によりけり。夫は今の家ももう一息と言っていて、なんとなく分かる、あと少し。

今の部屋を譲って欲しいくらい気に入っているけど、オーナーさんもすごく気に入っていて手放す気はなさそうで(定期借家だったのを無理くりお金を積んで普通借家にしてもらったくらい私もオーナーさんも好きなんです)それだけ好きな空間に住まわせてもらえて幸せだなと思っているし、私たちも存分に愛でながら住みたいと思っている。最近は米のとぎ汁で床掃除までしちゃって、これは愛なのか自粛生活の反動なのか、、、

そんなことはさておき、住まいに関する現体験から今週末に築50年の家を見に行ってきます。

愛された記憶のある家であることを祈って。


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