[essay]『怖いトモダチ』に出会ってしまったら
社会生活に支障をきたす"性格"
刊行早々にTBS『王様のブランチ』に取り上げてもらったこともあり(→そのときの様子はこちら)、重版も決まって嬉しいスタートとなった新刊『怖いトモダチ』(KADOKAWA)。この作品のモチーフである「自己愛性パーソナリティ障害」にまつわることを、小説から引用しながら書いてみようと思う。
自己愛性パーソナリティ障害は、いくつかあるパーソナリティ障害のうちのひとつだ。ではそもそも「パーソナリティ障害」とはなんぞや?
人の性格は、ひと言では表せない複雑なものだ。血液型やら星座なんてもので、ズバッと切り分けられるものではない。誰だって何かしらクセがあるし、どこまでが正常でどこからが異常かという線引きもはっきりあるとは思えない。しかし、いくつか読んだ専門書によれば、"長期に渡って社会生活に支障をきたす"と、病気と診断されるらしい。
ところが自己愛性パーソナリティ障害は、他のパーソナリティ障害と違って本人が支障を感じにくい。苦しむのは周囲の人たちばかりで、本人は苦しくない。あるいは、本人が辛そうに見える場合でも「原因は他の誰かにあって自分はあくまで被害者だ」という考えなので、彼ら自身が医者にかかる機会は永遠に訪れない。
だからこそ、"怖いトモダチ"はあなたの隣にいる可能性が高い。
そして、あなた自身がそうである可能性も高い。
あなたも"怖いトモダチ"かも?
本書にも出てくる、診断テストを上げておく。
9項目のうち、5つ以上当てはまったら自己愛性パーソナリティ障害の可能性が高い。「自分は絶対に違う」と言い張るのは勝手だが、これまでの友人関係で嫌な切れ方をした思い出を振り返ってみてもいいと思う。その"嫌な切れ方"の元は何だったろうか。「あのときは✕✕ちゃんが悪かった」「このときは◯◯くんが誤解した」と、誰かのせいにしかできないとしたら、そうとうヤバい。
3つ4つ当てはまる人は、病とまでいかないにしても、その傾向が自分にあることを自覚しておいて損はない。それだけで、その後の言動は変わるだろう。愛する人を無駄に苦しめずに済む。
"怖いトモダチ"は、自分は特別扱いをされて当たり前だと思っている。だから、そう扱われないと傷ついて腹を立てる。しかしそれを直接訴えるのはプライドが許さないから、"不機嫌な態度"をとって相手に気を遣わせ、自尊心を養う。
"怖いトモダチ"は、助言や注意、異論までも「攻撃」と受け止めてしまう。「攻撃されたなら勝たねばならぬ」と、戦闘態勢になるのが彼らだ。自尊心が破壊されてしまうので「敗け」はありえない。勝つまで闘う。勝つためなら嘘もつくし、記憶も改ざんする。
パーソナリティの語源「ペルソナ」には、人格の他に"仮面"の意がある。いくつかの仮面、つまり表面的な人格を持ちながら、中身は空っぽなのが彼らの正体なのだろう。そう思いながら『怖いトモダチ』を書いた。
"怖いトモダチ"に出会ってしまったら
それでは、もしも「これは"怖いトモダチ"かも」と思う被害に遭ったら、どうすればいいだろう。わたしの経験を踏まえて、書いてみようと思う。これは決して「正解」ではない。わたしが専門家ではないことも、留意しておいてほしい。
1.話す
まずは、共通の友人など周囲の人たちに話すこと。怖いトモダチは、必ずほかでも誰かをあなたと同じように傷つけている。被害者はたいてい、一人で打ちのめされている。何故なら、相手に罪悪感を植えつけるのが、怖いトモダチの得意技だからだ。あなたの告白が、そんな誰かを救うかもしれない。
運悪く、仲間内であなたが被害者第一号だった場合、誰にも信じてもらえず、あなたが仲間から抜ける羽目になってしまうかもしれない。しかし、怖いトモダチは必ず同じ過ちをおかす。あなたが遭ったのと同じ被害を、いつか仲間の誰かが被る。何年もかかるかもしれない。でも、必ずその日はくると断言できる。そのとき被害者はあなたを思い出し、連絡をくれるかもしれない。
2.共有する
罪悪感を植えつけられている被害者は、「自分が悪かった」という思考からなかなか抜け出せない。それがまた、被害者を苦しめる。第三者を交えて出来事を分析し、被害者に何の落ち度もないことを確認し合うこと。そうしてはじめて、被害者はこの忌まわしい出来事から心を解き放つことができる。
出来事を時系列で並べてみるのもいい。何が起きたかを、些細なことまで共有して、共感し合うことが大事だ。"怖いトモダチ"は共感力が弱い。共感で繋がりあった「友人関係」は、強力な盾になる。
3.闘わない
怖いトモダチとは、闘ってはならない。彼らは「勝たねばならない」人たちだ。怖いトモダチは絶対に勝つ。闘いは彼らの栄養にしかならない。闘わず、向き合わず、説得もせず、ただ背中を向けるのみ。注目されること、構われることが生きがいの彼らには、無関心が最もこたえる。
4.例外(家族の場合)
ただし相手が家族だった場合、ただ背中を向けるだけでいいのか、考えてしまうところだ。
わたしだったら、直接相手に話をする。「あなたを責めるのではない」「家族として気持ちを聞いて欲しい」と前置きをし、さらに話し終えるまで口を挟まないことを約束してもらってから、自分がどのように苦しんでいるかを話す。当然「攻撃」と受け取られて激しく抵抗され、あるいは非難され、こちらが悪者にされて逆に責めたてられるだろう。どんなにしんどいか想像はつく。しかし家族なら、他のメンバーが必ず味方になってくれる。そして家族なら、それが決して「攻撃」ではないことを理解してもらえる糸口が見つかるはずだ。そう信じたい。
その上で、相手がどうするかには口を出さない。本人の問題だからだ。自省して行動を改めるのか、医者にかかるのか、セラピーを受けるのか、こちらとの関係を断つのか、本人が自分で考えて決めるのをただ見守る。もしもこのとき相手が間違った判断をしたとしても、伝えた言葉は残る。それがいつか響くこともあるかもしれない。その希望は捨てない。
自分にその傾向があると思ったら
ここまで読んできて、自分に"怖いトモダチ"の傾向がありそうだと思ったら、もうその時点でこの病ではないので、安心していい。
しかし、無視していいものでもない。前述したように、傾向を自覚することはとても大事だ。わたし自身がそうだったのだが、自己愛性パーソナリティ障害の"傾向"がある人は、完全に病気の人と違って、けっこう本人も苦しんでいる。そしてそこに突破口がある。
診断テストの中の、チェックがついた項目について、具体的に自分がどういう言動をとるのか考えてみよう。勇気があるなら、身近な人に訊いてみてもいい。もちろん、おべっかを使わない人にだ。何を言われても相手を恨まないし腹を立てないと決めて、口を閉じて訊いてみる。
次に、理想とする人間像を想像してみる。こうありたい、と願う自分自身だ。チェックをつけた項目は、きっとそれに反している。だから苦しいのだということがわかれば、ゴールは近い。
自己愛性パーソナリティ障害は、最も身近で最も大切にすべき人を傷つけてしまう病気だ。みんなが不幸になる。だからこの小説を書いておきたかった。
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