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納涼歌舞伎 さよなら弥次喜多

令和元年八月二十七日をもって大好評だった二部の「東海道中膝栗毛」通称弥次喜多
染五郎、猿之助で始めた弥次喜多が幸四郎猿之助で幕を閉じた。
オープニングは第1回から3回までのダイジェスト映像。3回目で喜多さんは亡くなり弥次さんも共に天使に導かれて飛んでいったんはずが、映像の幕が開けると二人はヒマワリ畑でお昼寝。
そう、すべては夢、夢だったと言う所からスタート。
改めて二人は伊勢参りへと旅立つ。
ラスト弥次喜多は初日と前楽では想像通り別物だったが、それはさておき弥次喜多を少し振り返りたい。1回目は俳優祭かと思うはじけたお伊勢参りならぬラスベガスまで行ってしまい、金髪の獅童さんに春猿さんとの楽しい絡み。今は雪之丞さんとして新派に移られた。月日の長さを感じる。
平成28年限りの弥次喜多かと思いきや元号が変わった今年までとぎれることなく続いた奇跡。29年の夏の弥次喜多は殺人事件でラストは展開は客席の拍手で決める!松竹新喜劇を思わせる展開な上に、おもだかのお家芸「四ノ切」の裏側を客席にも若手花形やそれぞれのお家の門弟さん達にも全部みせる。
竹三郎さんの静御前赤姫を観られたのは眼福。
その後猿之助さんは10月9日ワンピースの公演で大怪我。命さえ助かってくれればもうしばらくは舞台等立たなくていい。
8日に「麦わらの挑戦」を観て夜ははじける笑顔でタンバリンを投げる猿之助ルフィを観た翌日だった。ショックと涙で人目もはばからずハンカチをぐしょぐしょにしなから羽田を後にしたあの日の事は忘れようとしても忘れられない。
翌年30年お正月には歌舞伎座に立ち高麗屋三代の御襲名を「涎くり」で寿ぐ。超人か!
ハラハラしながら舞台を観てたのに、喉元過ぎればなんとやらで超人猿之助さん演出の3度目の夏の弥次喜多。ここでは喜多さんが関西で女殺油地獄の裏方のアルバイトをしてて油に足を取られてあっけなく亡くなった。
これは四月に松竹座の高麗屋三代御襲名興行で幸猿の「女殺油地獄」に引っかけたもの。
喜多さんは閻魔様から喜多さんが現世に戻り良い行いをして、ありがとうと言って貰えないと家族も天国へ行けないと幽霊のまま現世に送り返される。
今になってふと考えるとこのストーリーって少し「オグリ」に似てるよね。オマージュ?
観てる最中は全く考えてなかったけど。
圧巻は中車、七之助、獅童の三人の早替り
 替わる、替わる、替わる そして地獄の鬼達の踊り!夏休みぼっちゃん大会で超若手花形達の舞踊だけをたっぷり見せる演出が心憎い。團子ちゃん、金太郎からお名前が変わった染五郎君も声変わりで苦しげではあるが成長著しい。毎年ぼっちゃん達の成長を観てると親戚のおばちゃんの気分になるのが歌舞伎の良さかな。
今年は千穐楽は観られず前楽で私の弥次喜多は終わったが初回の弥次喜多にちゃんと収束させる脚本と演出。
中身は歌舞伎検定の如き様々な古典、新作、スーパー歌舞伎、社会現象も取り入れたパロディ歌舞伎。
シネマ歌舞伎に残して欲しいと思う。

初回に爆笑を取り、3度目は見事な早替りを見せてくれた獅童さんは大病から復活し、本公演として南座でまだ観たことの無い「超歌舞伎」で暑い京都の温度をもっとあげてくれた。
歌舞伎座は笑いに包まれ、南座はペンライトと獅童さんの圧力とニコ動ユーザーの大向こうで割れんばかりのライブ歌舞伎を堪能した。残暑も厳しく夏もうだるほど暑かったが、二つの劇場で全く違う形ではあるが歌舞伎未来形で大いに楽しませて貰いボルテージをあげた令和の葉月。
大怪我をしたことすら忘れさせてくれる猿之助さん(忘れてませんよ)大病から復活した獅童さん、東西で二人の活躍が観られた夏は思い出の宝石。
さよなら弥次喜多。二人は笑顔で飛びながら私達に魅せてくれる新しい景色を模索してるのだろう。

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