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禍話「カガワレ」

携帯サイトで昔、ある怪談を読んだことがある。
詳細は覚えていないのだが、雨が降っている日に廃ビルへ肝試しに行くと鉄錆の臭いがしてくる。そこに「カガワレ」がいて酷い目に遭う。そのビルで鉄錆の臭いがすると「カガワレ」が出てくる合図だったのです、という話だ。しかし、肝心の「カガワレ」についての描写はなかったためか、あまり怖いという印象はない怪談だった。


だが、その町名とビル名から、どうやらその話の舞台は自分が小学校の頃に住んでいた地元のようだ、という直感があった。妙に気になって、それから地元が近い色々な人に聞いてみたのだが、ネット怪談に詳しい先輩に聞いても、本好きの友人に聞いても、「いやぁ知らないな・・・何それ?」と返されるだけだった。案外マイナーな怪談だったのかもしれない。


ある日、一緒に飲んでいた友人Aが、あの怪談に出てくる廃ビルを知っていると言い出した。
「俺さぁ、いい年なんだけど彼女も友達もそんなにいなくてさぁ・・・」
何だいきなり。悪い酔い方でもしたのだろうか。
「俺んちの近所にそういうビルがあってさぁ・・・」

小さい頃、夜に怖い顔をした男が五、六人そのビルに入っていくのを見た。夜の十一時くらいだったと思う。その夜、夢でその廃ビルへ行き、詳細は覚えていなかったがものすごく怖い思いをした。朝、目が覚めると口の中で鉄錆の味がした。血ではなく、確かにざりざりとした鉄錆の味だった。

「その夢をきっかけに、そのビルが怖くて外にあまり出なくなったし内向的になって、それで友達もいなくなって、言ってみればその夢から人生が狂っちまった気がするんだよな・・・」
他にも理由はあっただろ、とは思ったが口は挟まずにおいた。
「まぁ、そういう些細なことがきっかけになることもあるよね・・・」


それからまたしばらくして、連休前にAから電話が掛かってきた。
聞けば、例の「カガワレ」の舞台かもしれない廃ビルが近々解体されるらしく、その前に廃ビルと自分の中で決着をつけたいので付き合ってほしいという。丁度、連休中の天気は大雨の予報だった。

正直、一緒に行くのは嫌だったが、Aを一人で行かせるのも気が引けた。何かあった時に人が多いほうがいいだろうと考え、細かい説明は伏せ、その廃ビルが心霊スポットだということにして後輩たちを一緒に連れていくことにした。

予報通り、大雨の土曜日だった。
かつて廃ビルに入っていたテナント名が書かれた看板はボロボロで、白っぽくなっている。辛うじて読み取れるのは、このビルが七階建てということくらいだ。

外階段を上がっていくと、三階に差し掛かったあたりで突然鉄錆の臭いがしてきた。四階にまで行くとさらに臭いは強くなり、むせ返るほどだった。

そんな中、言い出しっぺであるAだけは
「俺は怖くないからな」
と言って一人で階段を上り、どんどん先に行ってしまった。

たまたまマスクを持っていた後輩が分けてくれ、残った皆がそれぞれマスクを付けてなんとか耐えられるくらいの臭いだ。塗料か何かが剥げて、何か化学物質でも発生しているのかもしれない。カガワレなんかよりも、そっちの身体への影響のほうが今は心配だ。

「あいつどこ行ったんだろうな・・・」
「Aさんが言ってた『怖くない』って何だったんでしょうね」
「実はな・・・」
と、後輩には伏せていたカガワレについての話をその場で話す。
「騙したんすね・・・」
後輩たちはじっとりとした視線を向けてくる。
「ま、まぁ、そうなるが、すまん。ところで何階にいるんだろうね、Aは。順番に見ていくしかないか・・・」
「六階、じゃないですかね」
後輩の一人がふと言う。
「え、明かりでも見えた?」
「六階だと思いますよ」
その後輩はなぜか階段を上る列の先頭に立ちたがる素振りを見せながら、自分にだけ聞こえるくらいの小声で、
「後ろにおっさんがいたんですよ」
と告げた。思わず振り返る。
「え?いないって」
「いないですよ、今いないですけど、おっさんの声が耳元でしたんですよ」
と、やや怒気を含んだ声でその後輩は言う。
「『一番上じゃないよ、いっこ下』っておっさんに耳元で言われたんすよ、で、振り返ると誰もいないんすよね!」
見開いた目が血走っている。列の後方から逃げたがっていたのはそのせいだったのか。
「おお、そうか、それで六階な・・・」


六階に着き、見渡すと、仕切りのないそのワンフロアは会社のオフィスだったように見える。どれだけの期間放置されたのだろうか、オフィスチェアや折り畳みの長机、黒いごみ袋などがそこかしこに乱雑に置かれている。


フロアの奥のほうからモゴモゴとくぐもった声がしている。動物の鳴き声ではなく、人間が話しているような声だ。

様子を伺うと、机や椅子が積み重なっている下の、横になったロッカーの中からその声はしているようだった。

後輩たちと手分けして積み重なっている物をどかし、隙間ができたところで、中から声がするロッカーの扉を恐る恐る開けてみる。

くの字を超えるくらいに身体を窮屈に折り曲げられ、中に入っていたAの顔が覗いた。

「えっ・・・!お前、何してんの!」

自分で入ったロッカーの扉を閉め、その上から椅子や机を積み重ねるなんてどう考えても不可能だ。当のAはぶつぶつと何か呟いている。よく聞くと、


「怖くないぞ、怖くないぞ、俺は怖くないぞ、こんなものなんて」
と繰り返していた。


「身体とかどう入ったか分からないけど、その、呼吸とかできてんのか」


Aは、目だけをこちらに向けて、
「なぁ、俺、全然怖がってないよなぁ、なぁ?」
ニヤリと笑いながらそう言った。


あとは警察とAの家族に任せることになった。
警察はなぜか一緒にいた自分たちのことは疑わず、Aが自分でロッカーに入り何らかの方法で上に物を積んだ事故、ということになった。

Aはロッカーに入った前後のことを何も覚えていない。無理やりあの狭いロッカーに押し込まれていたのでやはり全身のあちこちを骨折しており、今でも日常生活に少し不便があるそうだ。


結局、「カガワレ」とは何だったのか。

Aを救出した際、ロッカーの奥に何か難しい漢字が書かれていたのが見えた。その字を自分は知らなかったのだが、「かがむ」と読む古い漢字があり、「屈む」の上位互換のような意味らしい。もしかしたら、あの廃ビルでそのような状態と関係のある事件があったのかもしれない。ビルが取り壊された今ではもう、確かめようがないのだが。


おわり


※このお話は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」から、一部を編集して文章化したものです。

破れスペシャル 2019年5月28日(106)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/547102673

(1:44:00ごろから)