見出し画像

牢獄のマリーアントワネット


ここで語る牢獄とは、パリのコンシェルジュリーだが、もともとコンシェルジュ(管理人)という言葉からこの建物の名前がついた。カペー朝からここは王宮だったが、14世紀には牢獄として使用されるように。そこに王宮と牢獄の管理を任されていたコンシェルジュリーがいたのでそこからそう呼ばれるようになったそう。ここでは革命後の恐怖政治で、4000人が投獄され、その全員の名前が壁に記されている。

ヴェルサイユ宮殿に暴徒がなだれ込み、チュイルリー宮殿に連れていかれたマリー・アントワネットは逃亡を計画。しかし、連れ戻され今度はタンプル搭に。ルイ16世の処刑後は、政治犯として1793年にコンシェルジュリーに移動させられ、ここで最後の76日間を過ごすが、驚いたことに2回も脱走を企てていた!

礼拝堂となった独房
もう一つの独房

コンシェルジュリーは、タンプル搭より人の出入りがあり(お金を払えば入れてくれる)、王妃に好意を持つ者がそれらの計画を立てる。有名なカーネーション事件は、ルージュヴィルなる人物が、メモをさしたカーネーションを看守に見つからないようにマリー・アントワネットの独房のストーブの後ろに投げ入れる。そこには、看守を買収するために大金を用意するからというようなっことが書いてあったのだ。マリー・アントワネットは、髪のピンで紙に穴をあけて返事を書いた。しかし結局失敗する。2度目も見つかり4名処刑された。


アントワネットの回顧させる家具など
囚人登録室
監視人の部屋

王妃は、ここに移ってから部屋を2回変わったが、一つはマリー・アントワネットを回顧させる礼拝堂になっている。

おまけ情報:
この牢獄は有料だったそう。支払う金額によって3つのカテゴリーに分かれていた。
1, 藁が敷かれた雑居房
2, 簡易なベッドがある雑居房
3, 裕福層や著名人が入る家具のある独房。読書や仕事ができる。

マリー・アントワネットは3にいたが、読書といってもろうそくは使用禁止。視力も体力もお衰え、最後は初期の子宮がんだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?