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マレーシアのオラン・アスリとは

 マレーシアにはオラン・アスリという種族がいます。日本人にはあまり馴染みがなく、マレーシアでもそれほど多くはないのですが、ここでちょっと解説します。

■オラン・アスリとは?
 オラン・アスリとは「オラン」は「人」、「アスリ」を「本来の」というマレー語。日本語に直すと「原住民」や「先住民」と呼ばれています。1966年にこの名称が付けられ、それまでは英語の「アボリジニ」と付けられていました。

 ただ、この「オラン・アスリ」とは一体誰のことなのか。そこで出てくるのが1954年アボリジニ法(現在はオラン・アスリ法と呼ばれている)。この法律では細かく定義していますが、要は「その生活様式や言葉、慣習、信仰を従っている人」としています。どの宗教を信じているかまでは規定していないのは、マレー人の定義とは異なるところです。

 そのオラン・アスリはマレー半島に住み、2020年国勢調査でのオラン・アスリの人口数は20万6777人。ボルネオ島には住んでいません。

 オラン・アスリと一言で言っても言語や身体、生業形態によってセノイ、ムラユ・プロト、ネグリートの3つに分かれ、さらに18の部族に分かれています。下記がオラン・アスリ局のサイトに掲載されている部族名です。

Senoi
Temiar
Semai
Jah Hut
Che Wong
Semoq Beri
Mah Meri

Melayu Proto
Temuan
Jakun
Semelai
Orang Kiuala
Orang Seletar
Orang Kanaq

Negrito
Kensiu
Kintaq
Jahai
Mendriq
Bateq
Lanoh

(注)https://www.jakoa.gov.my/orang-asli/suku-kaum/

 セノイ族はマレー半島北部から中部の高地森林で焼畑農業を営んでいます。ペルリス州からペラ州の地域になるようです。オラン・アスリの中で最も多いのがこの部族で、オラン・アスリの人口約20万人中11万人強がこの種族に属しています。

 ムラユ・プロト族はマレー半島南部の内陸から海岸沿いに住み、焼き畑や漁撈などを行っています。こちらは主にジョホール州を中心に住んでいます。

 ネグリート族はマレー半島北部のタイ国境からから中部の低地森林で、狩猟や産物の交易をし、定住をせずに生活しています。クランタン州からパハン州にかけて移動していますが、一部はクランタン州グア・ムサン周辺に定住しています。

 言語もそれぞれ異なっていますが、多くはマレー語を話すことができます。

■歴史と国家への統合

 オラン・アスリの祖先は8000年ほど前にアフリカから渡ってきたことが遺伝子で判明しています。ただ、少数のみが到来し、その後は混血による血統が続いているようです。

 不幸なことに西暦8世紀ごろにスリウィジャヤ帝国の初期にオラン・アスリたちは奴隷貿易の対象とされ、その後も近隣の王国も奴隷化し、20世紀初頭まで続いていたようです。このため、オラン・アスリたちは外部の人と接触せず、奴隷になることを回避するため、深いジャングルに入っていったとみられています。スリウィジャヤ帝国の時代から定住せずに狩猟による移動生活をしていたとみられます。

 マレー半島で奴隷制度が終わったあと、彼らは外部と接触を始めたようです。特に中国人商人とも物産品の取引をしていたとみられます。第二次世界大戦後にはマラヤ共産党が1948年にマレー半島で武装蜂起を始めると、ときの植民地政府はオラン・アスリの生活に介入してきました。

 共産党のゲリラたちは都市で武装蜂起しましたが、その後に劣勢になってジャングルに隠れるようになりました。一部のオラン・アスリは、何も知らずに共産党員らに食糧を支援したりしたのです。これらがきっかけでときの政府はオラン・アスリたちを強制的に定移住させる方策に出ます。

 この結果できたのがオラン・アスリ開発局。これは今でもありますが、同局は究極的にオラン・アスリを国家への一員として統合することを目指しており、定住化させてコントロールさせたい方針をもっています。1960年に12年続いた非常事態宣言が解除され、政府はオラン・アスリの保護に舵を切りました。このため、オラン・アスリの「管理や開発」は一貫して同局が今でも行っています。
 
 全般的にオラン・アスリたちの生活は貧しい。オラン・アスリの多くはクランタン州内に住んでいます。定住した村々は南部のグア・ムサン郡ですが、アクセスはなかなか難しいところにあります。

 その村々の一つで2019年ごろにはしかが発生。免疫をもっていないオラン・アスリたちは次々と倒れ、十数人が亡くなってしまいました。さらに、新型コロナウィルスは彼の生活も脅かします。オラン・アスリがどれだけ感染したのかは明確ではありませんが、一部はこのウイルスを恐れて村を捨て、ジャングルの中に逃げていった人たちもいます。

 現在は公立の学校に通うなど僕たちと変わらない生活をしているオラン・アスリたちも多いのですが、それでもいまでもジャングルの中で狩猟生活をしている人たちもいます。

 オラン・アスリはマレー人やインド人とも異なる独特な顔立ちをしているので、すぐに見分けがつきます。以前グンティン・ハイランズに行く途中、腰に藁だけを巻いたオラン・アスリが道沿いを歩いているのを見ました。あの辺りでも移動生活している人もいるようなのです。

 オラン・アスリの博物館がクアラルンプール(こちらは工芸専門)やスランゴール州ゴンバック、クランタン州ジェリにあります。興味のある方は行ってみてください。

(写真)https://says.com/my/lifestyle/indigenous-groups-in-malaysia より


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