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ウエディングプランナーへの道

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私がフリープランナーになるまでと15年間歩んできた道のりを綴ってものです。
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ウエディングプランナーへの道④

プロデュース会社時代は、今思い出しても過酷な日々だったけど、私の根本を作ってくれたのはあの時を無くしてはあり得ない。 本当にたくさんの経験を積ませてもらい、営業の仕方、お客様との接し方、コミュニケーションの取り方、マーケティングから媒体の事、何から何までおしえてもらった。 死ぬほど働いたけど今となってはいい思い出。いくつもの会場からブライダルフェアを依頼され、同僚や後輩とと3日徹夜したことは、当時の仲間たちとも未だに笑い話として話がのぼるほど。 濃すぎる5年間だったけど、今の

ウエディングプランナーへの道③

お客様のためなら公園や島、美術館、県外にまで行って一から会場を作る、私が入ったプロデュース会社はそんなところだった。 毎週違う会場に行っては荷物を運び込みセッティング、緊張の時間を過ごしてはすぐに撤収。 平日は打ち合わせやミーティング、週末に向けての準備と忙しく、休みもあまりなかったし、毎日夜遅くまで仕事をした。 だけど、その頃は若かったし(笑)無我夢中で働き詰めの毎日も楽しかった。 今から20年ほど前のことだから、レストランウエディングでさえ、そこまで認知されていなくて、

ウエディングプランナーへの道②

前回のお話から… 7年間のOL生活を経て、私は先輩の結婚式で見た“ウエディングプランナー”という職業の人を見て憧れ、転職をすることになりました。 そして、就職活動をして無事にプロデュース会社に就職したのでした。 お客様のためなら公園や島、美術館、県外にまで行って一から会場を作る、私が入ったプロデュース会社はそんなところだった。 毎週違う場所に行っては荷物を運び込みセッティング、緊張の時間を過ごしてはすぐに撤収。 平日は打ち合わせやミーティング、週末に向けての準備と忙しく、休

ウエディングプランナーへの道①

私がノートをはじめた理由の1つ。 コロナの影響で2020年3月からの結婚式がばたばたとキャンセルが続き、秋までほぼお仕事がなくなってしまった…。 はじめはその事にどう行動していいのかも分からず、ただただステイホーム。でも、そんなことをしていても立ち止まっているばかりで春にいろんなことをスタートしてみた。 その中の1つがInstagramで自分のフリープランナーになるまでの道のりを書くこと。 書いているとひとつのお話でも長くなってしまって、インスタでこんなに長文誰が読むのかしら