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「こういう時」の本

 週末のサッカーがいなくなり、ずいぶんな時間になる。もともと、頻繁に街中に出る方でもない。必然的に読書が進む。積ん読も、大分と解消されてきた。
 朝食。音楽をかけて本を開く。近所の散歩、スーパーで買い物、家事。昼食。音楽をかけて本を読む。料理か筋トレ。本を読む。夕食。本を読む。入浴。本を読む。就寝。結構、こういう休日だろうか。サッカーがないことを除けば(それが大きく違うのだが)意外に普段と変わらない。好きな時間にページをめくって、好きな時間に切り上げる。便利なものだ。
 外出を控える時勢。「こういう時だから家で読書を」の声がSNSなどで上がる。書店の売り上げが増えた、という嬉しい話も聞く(緊急事態宣言でまた変化はあるのだろうが)。少しでも、本の世界にお金が流れれば、と思う。

 こういう時に何を読むか。感染症の世の中とあって、ネットなどでは疫学の歴史などの特集が組まれている。疫学関係でなくても「こういう時だから」と人生に向かい合うような識者によるおすすめ、のような特集もある。哲学書を薦めているケースもみた。こういう時勢だからさまざまな読書ができる。さまざまな本が読める。
 そして読む本は、なんでもいいと思う。感染症が流行っているから疫学を知ってもいいし、そこから離れてもいい。世界的な危機に直面しているからこそ、人生に向かい合う本を手にしてもいいし、そのような深刻な本を避けてもいい。「重い本」で不安に向かい合うのも読書だし、「軽い本」で不安を紛らわすのだって読書だろう。
 年代もある。職業も、置かれた立場も違う。家族、人間関係だって一様でない。気分、体調は日々刻々と変わっていく。人それぞれ読書は、読み手があってこそ。そして読み手のこういうときこそこういう本を読まなければ、というほど本の世界は狭くないはず。「それぞれのこういう時」に合った本は必ずあるはずだ。そして、読まなくったていい。音楽でも映画でも、家族友人とおしゃべりでも。こんな時だから、読まなくってもいいと思う。

 私は積ん読を続々解消中。分からないなりにベルグソンも読めたし、気散じに東野圭吾さんも読めた。町田康さんの「告白」はひたすらにおかしく、おもしろく、悲しかった。読み解くのに疲れたり、分からないことに打ちのめされたり、分かったような気になって得意げになったり、ささっと読んでスッキリしたり、泣き笑いで感情を揺さぶられたり。何でもアリ。こういう時勢でも、そうでなくても、だからこそ読書はいいなあ、と思う。

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