小説「斜陽」太宰治

読了。


学生の頃に一度読んだことがある。
当時は太宰治を数作読んでいた時期で、
中でも「斜陽」が1番好きだった。

久しぶりに実家を漁ると目が合って
「なんでこの作品が好きなんだっけ」と気になったので
もう一度読んでみることにした。

するとページを捲る手が止まらず
サクサクと読めてしまった。
そもそもきっと、太宰治の書く文章が私に合っているのかもしれない。
ところどころ、とても好きな表現があるのだ。

「他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。いかが?」

不良とは、優しさの事ではないかしら。

私は確信したい。人間とは恋と革命のために生まれて来たのだ。

貴族という品格を自負した女性の言葉遣いの書き方が
とても美しい。
麻薬中毒で苦しむ人間の日記は
太宰治自身の死への葛藤を投影しているかのように思えた。

前回の読後よりも、おそらく、きっと今回の方が
よく咀嚼できている自覚がある。
それはきっと主人公であるかず子と私の年齢が
近いからだろうと思う。
30前後の女、老いていく母。
家族のこと、子のこと、恋のこと、
生きること、死ぬこと。
共感、ではなく、親近感。

とても儚くて、さみしい小説。
私は太宰治本人についてまだまだ知らない。
この作品には、いつの、どの経験を
織り込んでいるのだろう。
読んでいる間、ずっと書き手の太宰が頭から離れなかったのは
自己投影しているからだろうか。
読了後、真っ先に思ったのは
太宰治の葛藤についてだった。

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